52. 愛おしい木陰
あの騒ぎの翌日から、私は学園を休むことになった。
お父様の強権が発動されたのだ。
あの出来事が、大きな噂になって学園中に広まっているらしい。
想像はつく。
立ち入り禁止の誰も来ないような小屋で、男女が着衣の乱れのある状態で見つかったのだから。
汚れきった私をジークが抱いて保健室へ保護する姿は、何人かに見られただろう。
状況はタクト先生が知っているすべてだし、クーラントが行方不明だったことは、教師の間では共有されていた。
それに、クーラントが私に何かできる状態にないことは明らかだ。自分で立ち上がることもできないのだから。養護教諭も証明してくれるだろう。
それでも、噂というものは、真実がどうであれ、面白い話の方が広がっていくものだ。
アリアは傷物にされ、それを理由に婚約は破棄される、噂の大筋はそんなものだろう。
「ただ、面白がってるやつらのために、余計な傷を受ける必要もない」
お兄さまは、サラリと言った。
私も初めての魔力の注入で疲れ切っていたので、休めるのはありがたかった。
ジークに合わせる顔もなかったし、ジークを見るのもつらかった。
まぁ、こちらの方が大きな理由かもしれない。
ついに来た、婚約破棄。
ただ、正式な申し入れはまだのようだった。
学年末の舞踏会で断罪イベントがあるのだろうか。
本来は学期末の舞踏会は、カノンちゃんのパートナーのお披露目になるはずだった。
これも、ゲーム補正なのか。
気が重い。
家族会議も今のところない。
お父様もお兄さまも、そっとしておいてくれる。
窓から外を見ていれば、様々な使者が訪れているのがわかる。
大事になっているんだなぁ……というのが感想だ。
まるで人ごとのようだ。
こんな噂がたった上で、婚約破棄となれば、私は王都にはいられないだろう。
宰相家の足を引っ張ることは避けたかった。
どこかの領地でひっそりと暮らすか、はたまたゲームのようにワグナーへ政略結婚の駒になることも考える。
それもいいかなと思う。
王太子の婚約者としてのアリアを知らない国へ行く。
ジークじゃないなら誰と結婚したって同じだ、きっと。
それに、ワグナーとグローリアの懸け橋になれるなら、それはきっとやりがいがあるだろう。
戦争が回避されれば、みんな幸せに生きていけるから。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、ペルレが花を生けにやって来た。
暗い毎日の中で、唯一の慰めになっているのがこの花だ。
珍しい紫の薔薇を、あの日から毎日一本ペルレが持ってくる。
送り主は不明のプレゼントだ。誰か分からないけれど、誰かが私のことを心配してくれているのが伝わる。
ただ、その薔薇は王宮のコンサバトリーでしか見たことがなかったから、ジークだったら嬉しいなんて、期待をしてしまう。
小さいころに一度だけ、「アリアみたい」と言われた薔薇だ。きっとジークはもう覚えていないかもしれない。
それでもあの時、最後まで紡がれなかった言葉は、否定じゃなかったのかもしれない、なんて、夢を見てしまう。馬鹿だ。
「いったい誰なのかしらね? お会いしてお礼を言いたいのに」
「そうですね」
ペルレは、昨日までの花が生けられた花瓶に、今日の分の薔薇を加えて整えなおした。
ドアがノックされる。お兄さまがやって来た。
「アリア、ラルゴの話を聞いたか」
「いいえ?」
「特任部隊に志願した」
特任部隊とは、その名の通り国家機密の案件を受け持つ部署だ。それだけ難しい内容を扱うため、危険と隣合わせだ。しかし、ひとたび任務を遂行すれば、騎士としての最高の栄誉を賜ることができる。
位の低い貴族が手っ取り早く身分を上げることができるのだ。
「!! どういうことですの!! ジークはお許しになったの!」
「まだ、ジークには話していないようだ。今、内々に父上へ話に来ている。きっと、ジークを説得するための根回しだろう」
「……どう…して……?」
「アイツは男爵家の次男だ」
「だからなんなの?」
ラルゴはジークと対とされ、影と呼ばれることが多かった。
でも、私にとっては、ラルゴは木陰だ。
つらい時も、眩しすぎる時も、ラルゴの元に飛び込めば、優しく包んでくれる。そんな木陰のような人。
私だけじゃなく、ジークにとっても気持ち安らぐ拠り所なのだ。
お兄さまは私を見てため息をついた。
「アリアは反対?」
「反対よ!」
「だったら、サロンへ行きなさい。まだ間に合う」
私は慌ててサロンへ向かった。
サロンでは帰ろうと身支度をしているラルゴがいた。
階段から駆け降りる私を見て、驚いた顔をする。
「ラルゴ! なんで私に声をかけなかったの!」
「……もうしわけございません。今日は公爵様に」
「お父様に何のお話?」
ラルゴは目をそらして押し黙った。
「嫌よ」
「アリア様?」
「志願なんかやめて。志願なんかしたらラルゴだったら絶対受かってしまう」
「ルバート様……ですね?」
ラルゴは困ったように笑った。
「行かないで」
私はラルゴの腕を掴んだ。
きっとこの志願は、ラルゴを殺すものだと思う。
ゲームのラルゴルートのバッドエンド、アリアがラルゴに押し付けた任務がきっとこれだ。
タイミング的にもそうだ。
だから駄目だ。
行かせたら駄目だ。
今ならわかる。
なんでアリアがラルゴに危ない任務を与えたのか。
バッドエンドの、カノンちゃんを刺そうとすることも、お兄さまに無茶な選択を迫ることも、気持ちがわからないことはなかった。
でも、ラルゴの任務だけは理由が分からなかった。
そう、今なら分かるのだ。
アリアは、ラルゴに地位を与えようとしていたのだ。殺すつもりなんかなかったはずだ。
ラルゴルートのアリアもきっと、ラルゴが好きで大切で手放したくなかったから、カノンちゃんの手が届かないように地位を上げようとしたのだ。
死ぬなんて思っていなかったから。
馬鹿なアリア。
でも、私はそんなことしない。
ラルゴは戸惑った顔で私を見た。
「アリア様……私は少しでもあなたに釣り合うようになりたい。だから、待っていてくれませんか?」
「イヤ」
「アリア様」
「ラルゴはラルゴのままでいい。どうして釣り合ってないと思うの?」
「だって、あなたは公爵家の令嬢で王太子殿下の婚約者」
「今の私は悪評高い公爵令嬢よ。そんな私の方がラルゴに釣り合わない」
「! そんなことない! アリアは無実だ」
「ねぇ、お願いよ、行かないで」
「アリア」
「死んでしまったら意味ないわ」
ギュッとラルゴの腕をつかむ。
みっともなくていい。駄々っ子でわがままな公爵令嬢でいい。
大切な人を失いたくない。
どんなに泣いても戻らなかった、お母さまのように。
「ラルゴの可能性を、夢を奪うとわかってる。でも、お願い、一生に一度のお願い。ラルゴは私の知らないところで死なないで。私が与えられるものならラルゴになんでもあげるから。お金でも爵位でも、買えるものならなんだって」
どんな力を使っても、ラルゴを死なせるわけにはいかない。汚いやり方だ。わかってる。呆れられる。でも、この力だって王都を離れてしまえば使えなくなる。今使わなくていつ使うのだ。
悪役令嬢なのだ。悪役令嬢らしく、どんな手を使ってでも望みを叶える。
ずっとアリアが頑張ってこれたのは、ラルゴが支えてくれたからなのだから。恨まれても嫌われても、命だけは守りたい。
私たちを守ってくれた木陰を、切り倒させたりしない。
ラルゴは私の手を払い、逆に私を引き寄せて抱き締めた。
「……それがアリアの望み?」
「そう、私の我儘な望み」
「だったら、私をアリアの側に置いて」
「私の……?」
「もし、アリアがジーク様のそばを離れることになったら、私も連れて行くと約束をください」
息を飲む。
私がジークからラルゴを引き離す?
そんなこと、できない。
「それは」
「貴女にしか与えられない私の望みだ。お金が欲しいわけじゃない。爵位が欲しいわけじゃないんです。今の私のままでは、誰かの意志で簡単にあなたの側にいられなくなってしまう。それでは嫌なんです。どんなことがあっても、アリアの側にいられる資格が欲しい」
ラルゴはそっと私の前に跪いた。
そして、私の右手を取る。
「姫様」
何度もしてきた。騎士ごっこのそれ。
「約束をしたら、もう行かない?」
「行かない」
「絶対ね?」
「絶対です」
ジークとラルゴを引き離すなんてできないけれど、死んでしまったら一生会えない。
だったら、選ぶ道は一つだ。
「分かったわ。約束します。だからお願い、行かないで」
「御意に」
ラルゴはそう微笑むと、私の指先に軽くキスをした。







