50.あなたのおうち
暫くして、ドアが打ち付けられる音が響いた。
すぐにドアがうち壊され、タクト先生が現れた。
「アリアさん」
「先生! クーラントが!」
タクト先生は、私と向かい合うようにして座る。そして、大きくため息をついた。
「……だから……私は……」
「先生?」
タクト先生は私の声に驚いたように顔を上げた。
「あ、ああ、すいません」
「魔法の影響、でしょうか? 魔法陣が」
そこまで言ったところで、タクト先生に口を押えられる。
そして、タクト先生は迷うように視線を床に落とした。暫くして、大きく決意する様に深呼吸をした。
「貴女には申し訳ないことをしました。その上で、お願いです。彼を助けたい。力を貸して欲しいのです。その為にはすべてを聞いて頂かなければならないのですが、口外しないと約束していただけませんか。貴女にとって嫌なことも含まれます。とても嫌なことだと思います。都合の良いお願いです。でも、それでも」
私は頷く。
先生は慌てて私の口元から手を離した。
「乱暴にして、すいません」
「いえ。私も助けたい気持ちは一緒です」
先生は悲しそうな顔をした。
「彼については思うこともありますが、だからといって死んで欲しいとは思っていないから」
タクト先生は大きく息を吸った。
「……貴女に教えた通りこれは遠隔操作の魔法陣です。しかし彼には魔力がありません」
「他国の方でしたね」
「ええ、なので、自身の生命力を魔力の代わりとして起動します。門外不出の特殊な魔法をかけてあります」
「え?」
「魔力ではないので、通常の二倍の力を要します。……彼は使いすぎてしまったんです」
ドキリ、胸が跳ねる。
「使いすぎ、生命力を……」
「ええ。そうすると還れなくなる」
「還れない?」
「ああ!」
タクト先生は頭を振り、投げやりに吐き出す。
「私が与えたんです。こんなもの、良くないと分かってたのに。私が」
驚いて先生を見た。
「先生?」
「すいません、すいません、貴女に、こんなふうに」
「いいから、先生、クーラントはどこから還れないんですか! どこへ探しに行けばいいの?」
タクト先生は怯えるように、おぬこさまを見た。
私は確かめるようにおぬこさまを見る。
「……おぬこ、さま?」
「あの猫の中に彼はきっととりこまれている。彼自身の体が、還るだけの力を失ってしまったんです」
「……は?」
「呆れたでしょう。気持ち悪いですよね。ああ、でもずっとあの中にいたわけではないんです。そんなことできない、していたらとっくに彼はこうなっていたはずです」
「どう…いう」
「目を、猫の目を借りていたんです。それ以上は」
タクト先生はそう言って口をつぐんだ。
きっと話せない、なにか、なのだ。
もしくは、私が知ってはいけないものなのだ。
「分かりました。聞きません。でもどうしたら彼は戻るんです?」
「彼の生命力を上げる、これは彼に魔力を注入すれば目覚めるくらいの力までは持っていけるでしょう。もう一つ、彼が還りたいと思うこと」
「還りたいと思うこと?」
「ええ。長い間猫の中にいると、そちらに意識が定着してしまうんです。還りたいと思わなければ、身体に戻れない。多分、彼は猫の中にいる方が楽しかったんでしょうね。それで、長いこと猫の目を借り過ぎて……」
猫の方が楽しかっただなんて。
私もおぬこさまとの時間は楽しかった。だけど、クーラントと過ごした夏休みだって苦くはあるけれど、楽しい思い出もある。
「貴女に、彼を呼び戻してほしい」
「どうすれば」
「私は魔力が弱いので貴女の魔力をわけてください。そしてあの子の名前を呼んでやってください」
「なまえ……」
それくらいならできる。私でも。
チートな力なんか持ってない、悪役令嬢の私でもできる。
「分かりました」
タクト先生はホッとして、クーラントのネックレスを外した。
そして、私の手に乗せてその上にタクト先生が手をのせる。
「ここから、私たちの魔力を生命力に変換してクーラント君に注入します」
掌が熱くなる。風が手のひらから巻き起こって、ネックレスの中に吸い込まれていくのがわかる。
初めての感覚に、おどろいて目を見開く。
タクト先生は、沈痛な顔で私を見ている。
「……クーラント!」
声をかける。
ピクリともしない。
長い睫毛。釣り目の瞳。顔に出来た影は青い。
「クーラント! クーラント!」
膝に乗った背中は、初めの頃よりもうっすらと温かくなってくる。身体は徐々に力を取り戻している。
それなのに、目覚めない。
戻ってこない。
「ねぇ、そんなに猫がいいの? 戻ってきなさい、クーラント!」
クーラントは目覚めない。
だらりと下がったままの腕。
タクト先生は唇を噛みしめている。
「猫なんてらしくないわよ、クーラント。あなたはティガーなんでしょ!」
当たり散らすようにそう怒鳴る。
『せめて、ティガーって言ってよ』クーラントはそう言った。
猫は嫌だと、自分は虎だと、そう言ってたはずなのに。
それなのに、なんで。
なんで、猫の中の方がいいの?
ふるり、クーラントの飴色の睫毛が震えた。
「クーラント!」
「クーラント様!」
掌のペンダントが熱くなる。
パン!
耐えきれないように、ペンダントが割れて、吸い上げられていた私の風も止んだ。
「ティガー……?」
ゆっくりと瞼が開く。
オレンジ色の瞳が膨らんでいく。
世界が滲む。
目元が熱くなる。
ホッとして、ホロリと雫が落ちた。
「……アリア…?」
クーラントのかすれた声。
まったくらしくなくて可笑しい。
「やっぱり、猫より虎の方が似合うわね」
私の涙が落ちてしまったクーラントの頬を指で拭う。
泣いてしまうなんてらしくない。
でも、良かった。
死ななくてよかった。
嫌われているのは知っている。
私だって別に好きじゃない。
でも、楽しかったこと優しくしてくれたこと、感じた過去は嘘ではないから。
死ななくて良かったと、心から思った。
クーラントが私の頬へ手を伸ばす。
「アリア……泣くんだ……こんなことで」
「こんなことじゃないわ」
「戻ってこれてよかったよ。アリアの泣き顔見れるなんてさ」
「……本当に、酷いヒトなのね、あなたって」
「あなたじゃない」
クーラントが笑う。
私も笑ってしまった。
「クーラント、ね」
バタバタと足音が響いた。
タクト先生が顔をこわばらせる。
私は振り向く間もなく肩を掴まれた。
「アリア!」
ジークだ。
振り返れば、ラルゴが青い顔をして制服の上着を脱ぎ、慌ててジークの手ごと私の肩にかける。
「アリア様!」
ラルゴの上着でジークが私を包み込んだ。
ラルゴの後ろには、息を切らして駆けて来たカノンちゃんがいる。
「カノンちゃん! この人に癒しの魔法を!」
「アリア様? クーラント先輩? タクト先生?」
とたん、ジークに引き上げられて、膝の上のクーラントが落ちた。
「いってぇ……」
ジークに非難の目を向けようと思ったら、そのままお姫様抱っこで抱きあげられる。
「じーく! やめて」
「止めない」
低い声。聞いたこともないくらい怖い声。
腕の中から見上げれば、怒りに燃えた目が私を見ていた。
ゾっとするぐらい怖い。
慌てて視線の先を見れば、開けた胸元と汚れた制服。
私はラルゴの上着をぎゅっと合わせて、前を隠す。
「ジーク……様」
ラルゴの低い声に驚いて見ると、彼は護衛用の銃に手をかけていた。
怒りに燃えた黒い瞳は、獲物を追いつめるようにクーラントを睨みつけている。
「ラルゴ! なにを!」
「撃ちます」
ラルゴは当然のことのように答えた。
「ああ。許す」
ジークも当たり前のように応える。
「ダメよ! 何を言ってるの二人とも!」
まだ動きの取れないクーラントを、タクト先生が引き寄せ庇う。
カノンちゃんは状況が読めずに、オロオロとしている。
「アリアを傷つける奴は許さない」
ジークの言葉に、ラルゴが静かに頷いた。
「私は傷付けられてないわ! タクト先生がすべてご存知です!」
ジークは冷え冷えとした目でタクト先生を睨みつけた。
「僕は貴方を信用していない」
タクト先生は、それを受けて静かに笑った。
「そうですか。それで結構ですよ。……カノンさん、すいません。彼に癒しの魔法を使っていただけますか? 一刻の猶予もないのです」
「私も、クーラント先輩がアリア様を傷つけたなら、……助けるなんてできません」
カノンちゃんは悲痛な顔で私を見た。
「カノンちゃん、彼を助けて! お願い。彼が死んでしまったら、私がやったことが無駄になるわ!」
「アリア様?」
「お願いよ、私のために彼に力を貸して」
カノンちゃんはもう一度タクト先生を見た。
タクト先生は静かに頷く。
「キチンとお話しします」
カノンちゃんは先生の言葉にうなずいて、クーラントの横へ跪いた。
私はそれを見てほっとする。
チっと、頭の上で舌打ちが響いたと思ったら、ジークはクーラントたちを背にズンズンと歩き出した。
スピードが速くて怖い。
オズオズとジークの胸のシャツを握る。
ジークは立ち止まって私を見た。
怒らせたんだろうか。
胸なんか握って、気持ち悪いと思われた。
震える。
怖い。
指先が震えて、唇が震えて、ジークの顔が見られない。
「……アリア……」
ジークの優しい声。それすらも今は怖い。与えられる言葉が怖い。
「胸じゃなくて、首に腕を回して?」
思いもよらない言葉に、嬉しくて涙がこぼれた。
「……でも……私、汚れています」
「抱きにくいから。お願いだ」
言葉に促されるままに、おずおずと両手を伸ばす。
受け入れるようにジークは微笑むから、胸が苦しくなって息もできない。
ジークは背中に回した手に力を込めて、自分の胸に私を引き寄せた。
私は縋りつくようにして、ジークの胸に顔を埋める。
ジークの心臓の音が煩い。
この人は生きている。
怖かった。
人が死んでしまうんじゃないかと。
初めて使う魔法で、他人を助けるなんて自信がなかった。
もし失っていたら、そう思うとゾッとする。
どうしても助けたかった。
自分の前で人が死ぬのは嫌だったのだ。
でも、終わったのだ。
温かい。ホッとする。怖かったのが嘘みたいに引いていく。
ボロボロと子供みたいに泣き続ける私を、ジークは黙ったまま保健室へ連れて行った。







