47.カノンの賛歌 下
大きすぎるベッド。私の家とは比べ物にならなくて、どこへ寝たらいいものか、それすらも分からない。
私は持て余して、ため息をついた。
ドアが小さくノックされる。
そっと開ければ、髪を下ろしたアリア様が、イタズラでも思いついたかのような笑顔でそこにいた。
「入れてくださる?」
「もちろんです」
アリア様は微笑んで、大きなベッドに腰かけた。
「ラベンダーのサッシェを持ってきたの。なれない場所だと寝つきが悪いかと思って」
小さな白い袋に入れられた匂い袋には、紫色のリボンがかかっていた。アリア様は、それを枕元に、そっと置いた。
「ありがとうございます」
アリア様は何か言いたげに、チラっと私を見た。
その様子が、いつもの堂々とした姿からは想像がつかなくて、私は特別なんじゃないかと思ってしまう。
「アリア様?」
「えっとね、今日は色々あってビックリしたでしょう? 眠れないんじゃないかと思って。もしそうだったら、お話してもいいかしら? 疲れて眠いようでしたら、気になさらないで言って?」
伺うように首をかしげる。
優しい人。
私を気遣ってくれるのだ。
実際攫われそうになったのはアリア様の方で、私は全然怖い思いなんかしなかった。それなのに、一番怖い思いをした人が、こんな風にしてくれる。あの現場ですらそうで、私はこの人を心配させる自分を不甲斐ないと思った。
「ありがとうございます。仰る通り、眠れなかったので」
「大きすぎるベッドって寂しいものね」
アリア様はそう笑うと、布団の中に潜り込む。
「お兄さまには内緒よ? 怒られてしまうから」
私を誘うように布団を上げるから、ドギマギしながらも横へ滑り込む。
「お友達とこんなふうにお話してみたかったの」
アリア様は幼子のように笑う。
私もその笑顔にホッとしてほほ笑み返す。
私たちはいろんな話をした。
アリア様が今日の話に水を向ける。
「カノンちゃんを好きだったそうだけど」
犯人のことだ。
「私は存じ上げない方で、驚いています」
面識もなかったのだ。
「そうなの……。カノンちゃんみたいに可愛い方は何かと大変ですわね」
心配するように呟くけれど、よっぽどアリア様の方が心配だ。
「私、恋愛したことないのよ」
アリア様はポツリと言った。
何をこの人は言っているのだろう。
誰が見たって、殿下とアリア様は相思相愛だ。
「家の決めた婚約だから。貴族ではよくある話で、別に悲観なんてしてないのだけれど、だから少し憧れるの。恋愛ってどうなのかなって。ねぇ、カノンちゃんは好きな方はいるの?」
興味津々といった顔でアリア様が尋ねる。
「……特には」
「ラルゴは?」
「優しい方だと思いますけど」
「そう」
なぜか残念そうなアリア様。
「タクト先生とも仲良しよね?」
「でも、先生ですし」
「そう、そうよね。でも卒業したらとか?」
「卒業までまだ二年もあります」
可笑しくて笑ってしまう。
タクト先生は優しくて親身になってくれるけれど、親戚のお兄さんみたいな感じだ。
「お兄さまは? 私のお兄さまは優しくて格好良くて素敵なの!」
それはそれは自慢そうに、笑顔を向けてくる。
確かにルバート様は素敵だけれど。
「ルバート様が優しいのはアリア様だけだと思いますよ?」
親切ではあるけれど、それは誰に対しても同じ。特別な優しさとは違う。
「うそ!」
「本当です」
「……嬉しいような、でも、ショックだわ……」
アリア様はションボリとする。
「私、お兄さまが心配なのよ。お兄さまが結婚なさる方は私のお姉さまになる訳でしょう? 素敵な方と添って欲しいと思っているのに、その為には私も協力するのに、私には教えてくださらないのよ」
「アリア様のおねえさま、ですか?」
それはちょっと羨ましいと思う。
アリア様が妹なんてどんなに幸せだろう。
こんな風に長話したりできるのだ。
「私も折を見て聞いてみますね」
「ええ! お願い!」
アリア様は嬉しそうにほほ笑む。
「ね、じゃあ、あの、……ジーク、は?」
アリア様は、少し躊躇いがちに尋ねる。
嫌な噂を気にしているのだろう。
それなのに、私を厭わないなんて。
「アリア様の婚約者です」
「でも、かっこいいわ!」
さも当然のように言い切るから、おかしかった。
確かに、きっと学園内で一番カッコイイだろう。もしかしたら国で一番かもしれない。
でも、殿下一人の立ち姿より、アリア様と並びあう姿の方が、どう考えても尊い。
「憧れはしますけれど、それだけです」
「だってジークなのよ! 誰だって好きになると思うわ!」
力説する目が真剣で思わず笑ってしまう。
「憧れと恋愛は違うものでしょう?」
どう見たって、殿下はアリア様にベタ惚れだ。
私なんかに嫉妬するくらい首ったけなのに、アリア様は気が付いていないのだろうか。
「そう。でもね、もし好きな気持ちに気が付いたら、遠慮しないで教えてね?」
「アリア様」
「家の決めた結婚に殿下を縛るつもりはないのよ」
アリア様は遠くを見るような眼で微笑んだ。
「殿下にはもっと自由でいて欲しい。自分が選んだ好きな人と幸せになって欲しいの」
はかなげに微笑むから、苦しくなった。
本当に好きなのだ。
「羨ましいです」
呟けば、不思議そうな顔で私を見る。
「私も恋愛したくなってきちゃいました」
そんな風に愛されたい。
「え? 私が恋愛?」
「そうですよ、殿下に恋をしてらっしゃるじゃないですか!」
「や、でも、だって、片思い……ですもの」
アリア様は、可憐に顔を赤くした。
キュンと胸が痛くなる。
殿下の好きな人はアリア様、なのにそれを私が口にするのは、なんだか憚られた。
もしかしたら、嫉妬なのかもしれない。
ルバート様も殿下のことも、私は笑うことができないな。
「でも、好きでしょう?」
「好きよ! だってあんなに格好いい人、世界中のどこにもいないわ! だから、みんな好きになるでしょう?」
憤慨する姿が可愛い。
「可愛いアリア様」
本当にこの人って、どうしてこう。
「カノンちゃんは、もう! そうやって!」
「アリア様が世界で一番かわいいです。殿下もきっとそう御思いです」
きっぱりと言い切れば、アリア様は真っ赤な顔を枕に押し付けて隠れてしまった。
「アリア様?」
呼びかけてみれば、枕に頭をつけたまま、こちらを向いて睨んでくる。
「私の好きな人、教えたんですからね! カノンちゃんも好きな人ができたら、私に一番に教えるのよ!」
怒ったように言ったって、全然怖くなんかない。
「ええ、もちろん!」
そう答えれば、アリア様は満足げに笑った。
静かな寝息を立てるアリア様。
幸せそうに眠ってしまった。
流れている白金の髪をなでる。
学校では見せない、アリア様の姿。
私だけが知っている。
アリア様と同じ女の子でよかった。
一番、側にいられるから。
ずっと側にいられるから。
嫌だったことも、恐かったことも、幸せな思い出に塗りかえてくれる人。
恋とは違う感情だけど、この人の側にいたい。
幸せを願いたい。
貰ったラベンダーのサッシェを胸に抱きながら、そう思った。







