表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

47/60

46.カノンの賛歌 上



 天蓋付きの大きなベッド。豪華なカーテンはたっぷりと大きな窓を包んでいる。


 私、カノン・アマービレは、宰相 ヴォルテ公爵家に宿泊することになった。


 先ほどまでは、公爵家のご令嬢アリア様と食後の歓談を楽しんでいたところだ。


 嘘みたい……。


 夢のような一日に、ボウっとする。




・・・



 運命の悪戯か。私は、十二歳の魔力検査で魔力があることが判明し、庶民では珍しく魔法学園に入学することになった。

 癒しの魔力と、動物の言葉がわかる力のおかげで、特別な保護を受けることになったのだ。



 学園の入学式では圧倒された。

 右を見ても左を見ても、下町では見かけないキラキラした人たち。

 正直、気後れもした。



 中でも、新入生代表の、ジークフリート王太子殿下の美しさは群を抜いていて、男女問わず誰もが彼を振り返った。

 そして、その隣に当然のように佇む美女は、婚約者のアリア様。王太子殿下と並んでも霞むことないほどの光を放ち、二人は従者のラルゴ様以外寄せ付けないような雰囲気があった。

 金の王子、白金の姫、影の従者なんて、周りの人たちは羨望を含んだ声で噂をしていた。

 当然私も目を奪われ、その姿に憧れを抱いた。


 頑張っていればいつの日か、あの方々とお話しする機会に恵まれるかもしれない。

 分不相応だと思ってはいたが、頑張るための目標として掲げるには十分だった。



 庶民というだけでなかなか馴染なかった私は、おいていかれないようにと頑張って勉学に励んだ。だんだんとクラスにも馴染み始め、友達もできた。

 タクト先生など、先生方も心配してくださったのだろう。

 沢山の人に助けられ、そのおかげか、学年の途中で特別クラスへと変更できることになった。

 

 しかしそこからが、大変だった。


 特別クラスは、少数精鋭の優秀者だけが集うクラスだ。そして、そこは身分の高い者が多かった。

 ジークフリート王太子殿下も、アリア様も同じクラスだった。

 私がアリア様を抜いて、女子の主席となったことで、悪意の目を向けられるようになってしまったのだ。


 頑張って、頑張って、その仕打ちが、これなんてショックだった。


 すれ違いざまに囁かれる悪口。

 ペアになる授業では、女子に無視される。

 無くなってしまう消しゴム。

 ノートに書かれた悪口。

 辞書に挟まれた怪文書。



 教室には居場所がなくて、助けてくれるジークフリート殿下とラルゴ様の陰に隠れるようにしていれば、ヒソヒソとした声が、私を責める。



『アリア様を差し置いて』

『王太子妃を狙ってる』

『身分をわきまえない恥知らず』

『野良猫は泥棒が上手い』

『可哀そうなアリア様』『アリア様のために』『アリア様が……』


 みんなみんなアリア様。

 私は、アリア様が怖くなった。

 アリア様は何もしない。何も言わない。

 ただ、女王のようにクラスに君臨するだけだ。


 私には何が何だかわからなかった。

 私は何もしていないのに。

 ただただ、頑張っただけなのに。


 


 唯一の慰めは、動物たちと一緒に中庭で食べる昼食だ。

 心配してくれるタクト先生や、クーラント先輩など、悪意のない人たちが話しかけてくれるからだ。


「大丈夫?」


 クーラント先輩は人懐っこい猫のようだ。クルクルと大きな目で覗き込んでくる。


「君、イジメられてるんでしょ?」


 その一言に心臓が凍り付いた。


 知られたくなかった。

 認めたくなかった。

 

 ちょっと嫌われているだけだと。

 ちょっと馴染めないだけだと。

 少し経てば、きっと仲良くなれるって。

 

 これはイジメじゃない。自分はイジメられてない。

 仲良くなるのに時間がかかっているだけだ。

 そういうふうに自分をごまかしてきてたのに。


「主犯、アリア嬢だよ。自分は手を下さなくってさ、酷い女だよね」


 クーラント先輩は憤慨したように言う。

 私は茫然として、サンドイッチを落とした。リスがそれに噛り付く。

 カタカタと体が震える。


「可哀想なカノン。ひとりぼっちで我慢してきたんだね。俺は君の味方だよ」

 

 もう、だめ。

 もう我慢できない。

 こんなの、いや。


 でも、だったらどうしたらいいの?

 学費は全部国が出している。使ったお金は返せない。

 辞めるなんてできない。


 入学する前は、とってもとっても楽しみだった。

 きっと明るい未来が待っているんだと思ってた。

 持て余していた力の使い方を覚えて、他人のために役に立てると思ってた。


 それなのに、頑張れば頑張るほど、私は否定される。


「我慢なんかしなくていいよ、先生に相談しなよ。殿下もきっと相談に乗ってくれるよ。わかってる人は分かってる、大丈夫だよ、カノン」



 その後のことはあまり良く覚えていなかった。

 ただ、クーラント先輩の言うとおり、タクト先生に相談をした。それだけで精いっぱいだった。


 なんとか授業を終えて帰ろうとすれば、靴がない。


 庶民の私は、学校の許可を得て指定靴以外の革靴で登下校をしていたのだ。

 学校指定の布張りのパンプスは汚れやすく傷つきやすい。下町の整備されていない道などを歩いていたら、あっという間に傷んでしまう。この学園の人たちは、ほとんどが車で登下校しているから、私のように歩く必要のある者だけは、靴を履き替えることが許されていた。

 

 何度も馬鹿にされた、何度も哀れみの目で見られた、徒歩通学。

 

 でも、こんなのないじゃないか。

 革靴だって安くない。

 庶民の私にはとても大切な靴なのだ。学校指定のものではないから、もちろん自分で用意した。

 両親が生活費を削って用立ててくれた、それを。


 貴族のご令嬢にしてみれば、冗談で済むかもしれない。

 でも、私にしてみれば冗談では済まされないのだ。


 酷い。


 泣き出しそうな気持ちで、学園内を探し回る。

 ゴミ箱だっていい。

 どこだっていい。少しくらい汚れていても、濡れていたって良い。

 見つかってさえくれればそれでいい。



 耳慣れた声に振り返る。


 白金の髪の冷たい女王様。

 同じく美しく優秀な兄を引き連れ、優雅なほほ笑みで、これ見よがしに私に挨拶をする。




 酷い。

 

 なぜだか、彼女は私に近寄ってきて、仔細を尋ねた。


 自分でやらせているくせに。

 なんて怖い人なのだろう。


 そう思った、それなのに。


 彼女は私のために、靴を脱いだのだ。


 

 公爵令嬢らしからぬ姿で、そのくせ公爵令嬢らしい尊大な物言いで、私に救いの手を差し伸べたアリア様。

 宰相家の愛娘として、蝶よ花よと傅かれ、磨きこまれたその柔らかな足を、ためらいもなく地べたにつける。履いているかわからないほど薄い絹の靴下は、きっと破れてしまうだろうに。



「この学園の制服で帰るのです。堂々としてお帰りなさい。町の方々から憧れられるよう、背筋を伸ばして行きなさい」


 その言葉通り、アリア様は凛とした姿で、振り返りもしなかった。


 私はアリア様の靴を胸に押し抱いて、その背中に黙って頭を下げた。



 家に帰った私には、ルバート様の名前で革靴が届けられていた。

 アリア様に答えた22センチのバレエシューズ。きっとアリア様が用意してくれたのだ。

 ピンクのリボンが付いたそれは、嘘みたいに私の足になじんだ。



 涙がこぼれた。


 私はバカだ。

 人の噂を信じ込んで、自分で何も確かめずに。

 あんなに気高く優しい人を、誤解して。


 謝らなくちゃいけない。

 謝らなくちゃ、そして、きっと怪我してしまったあの足を、許されるなら癒してあげたい。

 何でも持っているアリア様に、私にできるのはそれくらいだ。



 私は思い立って、すぐに公爵家へ向かった。

 贈られた靴を履いて。



 迎え入れられた公爵家は、想像するより大きくて戸惑ってしまった。

 部屋に案内されれば、いつもの冷たい顔をしたアリア様がいて、恐くなる。

 

 でも、恐く見えても助けてくれたのは、アリア様だった。

 ケガをさせてしまったのは、私なのだ。



 私が疑っていたことを詫びれば、アリア様は見て見ぬふりをしていたことを詫びた。


 信じられないと思った。

 見て見ぬふりなんて、みんなしている。

 仕方がないことだ。

 それを、こんなふうに正直に謝るなんて、私にはできない。

 

 なんて美しくて高潔な人なんだろう。


 私なんかに頭を下げるアリア様に驚いて、この人の罪悪感を拭ってしまいたい、そう思った。


 私は許しを請うて、癒しの魔法を使う。


 足を取れば、桜貝のように頬を赤らめ戸惑って、とてもそれが可愛くて。

 可愛いなんて思わず漏らせば、あなたのほうが可愛いなんて怒って見せるから。


 本当にどうしようと思った。

 さっきまで、あんなに怖かったのに。

 それなのに、この人の側にいたいだなんて。


 分不相応だって、分かってるのに。


 今のひと時は、もう来ない。

 きっと明日になって、学校で顔を合わせたら、馴れ馴れしく話すべきじゃない。


 私なんか、みんなから嫌われてせっかく魔力があったとしても、使う相手もいないのだ。

 そんな、ダメな人間が、側にいるなんて許されない。


 解ってるけど。

 

 アリア様は私の手を取った。

 白く柔らかな、苦労を知らない綺麗な手。


「心を動かす魔法をあなたが持っていないのだとしたら。だったらなおさら、あなたは本当にすごいわ。私、あなたの側にいたい、そう思ったのよ?」


 たった一言で、私を救ってしまう。


 この綺麗な手を守りたいと思った。

 汚したくないと思った。



 私は家に帰ると、アリア様の布張りのパンプスを宝物のように戸棚にかざった。


  


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ