42.百合じゃないのよ友情なのよ
自分の机で準備をしていると、教室がザワリと音を立てた。
驚いて顔をあげると、私の横にカノンちゃんが立っている。
「おはようございます。アリア様」
「おはようございます……?」
こんな形で、わざわざ挨拶されたのは初めてだったので、私は戸惑った。
「あの、これ」
カノンちゃんは恥じらう様子で、オズオズとハンカチを差し出した。
「昨日の、ハンカチのお返し……です。あまり上手ではないんですけれど、いただいたものと同じ刺繍をしたので受け取っていただければ……」
上手に再現された私のイニシャル。
とても一晩で仕上げたとは思えない。
はぅ! 心臓射抜かれた。可愛い上に器用とか! 心配り上手とか!
なにこれ。私が男ならマジで抱く。いますぐ抱く。
「まぁ、ありがとう。嬉しいわ。とってもお上手ですのね」
微笑んで受け取れば、教室中が騒めいた。
どういうことですの? という女子の錯乱した声が響く。
そこで私はハッとした。
貴族の若者の間で流行っている(?)暗黙の了解というの言うのだろうか。
男子が、自分のイニシャル入りのハンカチを贈ることは、『あなたが好き』という意味になる。それに応える場合、女子は男子のイニシャルを刺繍したハンカチを贈り返すのだ。
多分、カノンちゃんはこんな風習を知らない。ただ単に、私が自分のハンカチを切って渡したから、お詫びに新しいハンカチを用意した、それだけのことだ。
しかし、理由を知らないクラスメイトから見ると、今のやり取りでは、私がカノンちゃんへ告白し、カノンちゃんがそれに応じてカップル成立!な場面なのだ。
いやいやいや、同性同士ではさすがに関係ないでしょ?
「これは、どういうことかな? アリア」
低い声に驚いてみれば、ジークがどす黒い顔で私を見ている。
後ろに控えるラルゴも険悪な顔だ。
怒ってる。
二人とも、カノンちゃんからハンカチ貰った私に嫉妬してる?
かー! 若いね! 男の子だね!
女友達に嫉妬するとか、どれだけ好きだよコイツぅ!
応援するって決めてるけど、茶化してなきゃやってらんない。ツライ。
「昨日、カノン嬢がお困りだったから、ハンカチを差し上げたのですわ。カノン嬢はその代わりのものとして、お持ちになってくれたのよ」
「へぇぇぇ? それだけ?」
ジークが訝し気に私たちを見る。
カノンちゃんは、すこし困ったような顔をして沈んでしまった。
「ええ。それだけですわ。ね、カノンちゃん?」
それでも、名前を呼べばにっこりと笑い返してくれる。
「ええ! アリア様!」
ジークもラルゴも納得しきれていない顔で私を見た。
「僕は貰ってないのに」
婚約者の前で、カノンちゃんから貰えないことを不満そうに言うから、嫌みの一つも言ってみたくなる。
「あげなければ貰えませんのよ?」
悪役令嬢らしくツンと言ってみれば、目の前にハンカチを差し出された。
「アリア、受け取ってくれるよね?」
機嫌悪そうに目を細めて、高圧的にハンカチを押し付ける。
は? あげる相手間違えてない? カノンちゃんのが欲しいんじゃないの?
きゃぁぁぁぁ!っと教室に悲鳴が満ちる。
「お返しは、僕の部屋に持ってきて」
「え?」
「僕の、部屋、だよ」
きゃぁぁぁぁ! 再びの悲鳴がうるさい。
部屋って言ったって、ラルゴいるから!
密室とかじゃないから!
知ってるでしょ?
「あの、」
「何か不満?」
怒ってる。なんだか知らないけど、怒ってる。
「遅くなってもよろしくて?」
「すぐ渡せない理由があるなら」
なんか、めっちゃ怒ってる。
けど、手芸下手なんだよ。隠してるけど、苦手なんだよ。好きな人に渡せるレベルの刺繍とか、すぐにとか無理だから。
「丁寧にしたいの」
伺うように上目遣いで見れば、ジークは目頭を押さえてため息をついた。
呆れられた……。
「分かった。いつまでも待つ」
いや、それはそれでプレッシャーなんですけど。
三度の悲鳴と同時に、丁度チャイムが鳴る。
ラルゴが、呆れたように肩をすくめて、殿下にも困ったものです、なんて耳打ちする。
ラルゴは私が不器用なこと知っているのだ。
私はそれに苦笑いした。
変な展開になってしまった。
こんなのゲームで見たことがない。
こんなことされたら、仕事じゃなくて本当に私を好きなんじゃないかって、勘違いしてしまいたくなる。
原作のジークは、アリアに対して親愛はあっても恋愛感情はなかった。
アリアに対する不満はないが、完璧すぎる彼女に若干の距離も感じている。
それに、親の決めた結婚に、ひいては親の敷いたレールに乗っかっているだけの自分に疑問を持っていた。
そこへ、カノンちゃんが現れる。自分の知らない世界を教えてくれる彼女と、不慣れな世界で頑張る健気な姿に恋に落ちるのだ。
自分が必要とされていると感じ、自分で選ぶ道筋を見つける。そしてそれを自らの手で手に入れることで、ジークは光の魔法を持つ王子として、一層輝くのだ。
うん、いい話。最後、光の王者としての風格をもった、ジークの戴冠のシーンはとてもとてもとても綺麗だった。
私はどう足掻いてもアリアだし、ジークがアリアを選ぶということは、親の敷いたレールの上を歩くということだ。
完璧すぎると言われようとも、今更それをなかったことには出来ないし、今までの努力を否定するのは悲しすぎる。
ジークと同じ貴族として生きて来た自分に、新しい世界を教えることは無理だ。
そう言った意味で、私は何も変えられないのだ。
それなのに、どうしてジークはこんなことをするんだろう。
カノンちゃんの嫉妬を煽りたいなら、やり方としてはいまいちだし、仕事にしてはやりすぎだと思う。
少なくとも婚約者であることを迷惑には思われてないと、信じていいのかな。
今だけでも、好かれてると勘違いしてもいいのかな。
ジークにハンカチを贈れるのはとても嬉しい。
ペルレにゆっくり教わって、丁寧に仕上げよう。
カノンちゃんから受け取ったハンカチと、ジークから受け取ったハンカチを、そっとポケットに忍び込ませる。
不格好に膨らんでしまったスカートのポケットは、それ自体がくすぐったくて、胸がホンワリと温かくなった。







