39.アリアのいない夏休み
「はぁぁぁぁ」
王宮の中庭で、ため息を吐き出す。
「はぁぁぁぁぁ、つまらない……」
「殿下……」
ラルゴの呆れかえった声が返ってくる。
お前だって同じ癖に。
恨みがましい顔で睨みつければ、ラルゴは肩をすくめた。
テーブルの上には、アリアから届いた手紙がある。
何度読み返したことだろう。
バカンス先のサパテアードの報告と、綺麗な切り絵のカード。
自分だけが貰ったと思って、浮かれてラルゴに自慢したら、ラルゴにも届いていたという……なにこの屈辱感。
僕らは幼馴染の三人だけど、僕とアリアは婚約者のはずなのに。
それに、なぜ、サパテアードだったのだろう。
不安になる。
母上の故郷。しかし、サパテアードは僕ですら行ったことはない。
なぜこのタイミングで、リゾート地でもない軍の敷かれたその街へ、彼女は行ったのか。
「ああ……」
嫌だ。早く会いたい。
こんなにアリアの顔を見ないのは初めてで、どうしていいのかわからなくなる。何時だって、望めば会えるのが当たり前で、当たり前だったから、望んだことすら僕にはなくて。
こんな気持ちになったことは、生まれて初めてなのだ。
だって、いつだってアリアは僕の側にいたんだから。
「ならば、今夜は夜会に行かれますか?」
「行くわけないだろ! アリアがいないのに!」
むっつりとして応えれば、ラルゴが小さく笑った。
「まだお怒りですか?」
「お 怒 り だ」
「仕方がないでしょう? 学園の言うことです」
「わかってる! アリアのことを『傾城の美女』なんて呼んでいる輩がいるからな。僕が下手に学園の意向に反発すれば、アリアのせいにされてしまう」
「そこまでお考えだったのですか?」
ラルゴは驚いた顔をした。
「わざわざ、進言してくる自称『忠臣』がいるからな」
僕は鼻を鳴らす。
「僕一人の悪評なら、別にいい。馬鹿だとか愚鈍だとか、好きに言えばいいさ」
「でも、殿下。王太子でなくなったら、アリア様との婚約は破棄されるかもしれませんよ」
ラルゴがシレっと胸をえぐる。
「……。わかっている」
アリアは、王太子ジークフリート・アドゥ・リビトゥムと婚約をしているのだ。
僕自身と婚約しているわけではない。
だから僕は、王太子としての責務を果たさなければ、彼女と結婚することもできないかもしれない。
王太子だから、彼女の側にいられる。
彼女の側にいるためには、王太子であらねばならない。
そのことが、彼女を傷つけるかもしれなくても。
昔はそんなこと考えもしなかった。当然のように婚約し、当然のように結婚すると信じて疑わなかった。
でも最近は、アリアの気持ちがわからない。分からなくなってしまった。
昔はよく、好きだと言ってくれた。
それなのに最近は言ってくれない。
もう、僕を好きではなくなってしまったのか。
好きだと言ってくれたのは、いつが最後だったんだろう。
怒るかと思ったカノン嬢のドレス選びもエスコートも、アリアは笑って受け入れてしまう。
もちろん、僕が言い出したことだけど『イヤだ』と言ってくれたら。そう言って欲しいのに。
そうしたら、機嫌を取るように甘やかして、慰めて。
そんなふうにしたいのに。
屈辱的な舞踏会でも、彼女は凛として優雅にほほ笑んで、カノン嬢に気を配る余裕すらあって、完璧な淑女だった。
未来の王太子妃としては、申し分ない態度だと思う。そんなところに尊敬する。けれど、恋人としては優等生すぎると思ってしまうのは我儘だろうか。
未来の王太子妃、として僕の側にいるのか。
僕の恋人ではないんじゃないか。
ラルゴと踊る彼女に初めて嫉妬した。
何度だって見て来たのに、それでも嫌だった。
いろんな男と、仕事でもなく楽し気に踊って、そんなの見慣れないから、ムカついて。
目を離せば、タクト先生と二人っきりで。
恋人みたいに並びあって、星の話なんて。
そんなのを見てしまえば、思うのだ。
彼女の心はもうここにはないんじゃないかと。
それでも繋ぎ止めておきたいと。
そのために出来ること。瑕疵のない王太子でいることだ。
「はぁぁぁぁぁぁ」
声に出してもう一度ため息をつけば、ラルゴはあからさまに肩をすくめた。
「僕は何時、アリアのエスコートができる?」
ラルゴは黙ったままだ。
「いつ帰ってくるんだ」
「お聞きになっていないので?」
「まさか、ラルゴは知ってるのか!?」
「はい」
「な! だ! どうして!」
「手紙で聞きました。殿下はお返事を書かれなかったのですか?」
「書いたに決まってるだろ!! ……でも、聞かなかった……」
僕は頭を抱えた。
なんて大切なことを聞かなかったんだ! 馬鹿か僕は!
それにしたって、アリア。ラルゴには帰郷の日を教えて、僕には教えないって酷くないかい?
僕、婚約者なんだよね?
不安になる。不安になる。
「ちなみに私はお会いする約束もしましたよ」
ラルゴは、勝ち誇った笑顔で僕を見た。
「……」
「そう言うわけで、殿下。私はお休みを」
「連れていけ」
「は?」
「お前にだけアリアに会うのはズルい。休みなんかあげない。僕も連れていけ」
「何をおっしゃいます」
ラルゴは笑っている。
その余裕な笑顔が悔しい。
「僕も、……早く、会いたい」
絞り出すように呟けば、ラルゴはこらえきれない、といったように噴き出した。
「だ、そうですよ。我らがお姫様」
僕は慌てて顔をあげる。
そこには小さな荷物を胸に抱えて、顔を真っ赤にしたアリアがいた。
耳まで真っ赤にして、久々に見る菫色の瞳は潤んでいて、今にも零れ落ちそうで。
「アリア!」
立ち上がって駆け寄る。
「おかえりなさいませ、アリア様」
「ジーク、ラルゴ、ただ今帰りました」
答えるのと同時に抱き締めた。
婚約者だから、大丈夫。これくらい許される。
ほっそりとした首筋に顔を寄せ、何度も思い返した香を鼻に含む。
「……じーく?」
戸惑うアリアは、僕を抱き返してこないから、それが本当に悔しくなる。
もっと、僕を見て。
もっと、僕を欲しがって。
ギュッと、抱きしめる腕に力を込めて、耳元にささやいた。
「……ハグしてくれないの?」
アリアの体が慄くように跳ねる。
オズオズと、僕の服をそっとつかむ控えめなアリア。そんなところに煽られる。
胸の間に当たる荷物が邪魔でもどかしい。
「つぶれちゃうわ」
戸惑う声を無視して、耳たぶにそっとキスをすれば、グラリとアリアはよろめいた。
力の抜けた腰を抱き寄せて、そのまま囁く。
「こんな簡単に力が抜けちゃって、どうするの?」
本気で心配になる。
「そんなこと……言わないで」
震える声が加虐心を煽るの、わかってない。
「悪い人に拐われちゃうよ」
僕、みたいな。
何をみても、何を聞いても、アリアの一挙一動に心が乱される。
もっと見て、僕を、僕だけを見て。
「私はジーク以外は嫌なのに」
不機嫌に怒った声。
驚いて顔を覗きこめば、赤い顔で眉を顰めて、唇を噛み締めて。怒ってる。
紫の瞳が潤む。
は?
なにこの子。
怖い。怖い。
不機嫌なのに、怒らしてしまったのに、それすらもかわいくて、どうしょうもない。
ああ、くそ! 早く結婚したい!
教会が来い!!!!
アリアも僕を好きでいてくれる?
王太子じゃなくっても?
こんなに悪い、意地悪で、思うように大切にできていない僕だけど、君を望んでもいいのだろうか。
早く、早く、別れられない何かが欲しい。
未来の約束なんかじゃなくて、あなたのすべてを手に入れたい。
もう、何があっても、誰がなんといったって、取り返しがつかないように。
傷、つけてしまえば。
誰も、欲しがらないんじゃ、ないかとか。
でも、そんなことしても、ラルゴだったらそんな傷ごと受け入れるかも。なんて。
「ジーク……?」
戸惑う瞳で問われて、我に返る。
「変なこと言ってごめんなさい。忘れて?」
悲しそうに笑うのはどうしてなの?
「嬉しかったから、忘れない」
答えれば、驚く愛しい人。
「怒らせて、ゴメン」
僕こそゴメン。
ラルゴみたいに大事にしたい。
ルバート様みたいに、守りたい。
どうして、僕は出来ないんだろう。
傷つけてばっかりで。
「お土産あるのよ」
アリアが笑った。
「直接渡したくて」
抱き締めた胸をそっと押し返して、アリアが離れる、遠くなる。
「お土産なんて」
アリアがいればなにもいらない、そう言おうと思ったけど。
「つまらないものですけど」
アリアが困ったように笑うから、僕は唇をつぐんでテーブルへエスコートする。
「光栄だね。お姫様、こちらへとうぞ」
アリアは嬉しそうに微笑んで、椅子に腰かける。
「ラルゴも! お土産があるの」
広げられたのは、パールのカフスボタンだった。
僕にはブラックパール、ラルゴにはゴールデンパールだ。
「パールが有名だと聞いたから。もし良かったら」
控えめに微笑むアリアが可愛い。
「カフスなら制服でもつけられる」
「ありがとうございます。アリア様」
ラルゴが嬉しそうにほほ笑んで、アリアも嬉しそうに微笑み返す。
いっつもラルゴはズルいのだ。
僕の言いたいことを先に言ってしまうから。
僕は、二番煎じになるのが嫌で、伝えたいことも伝えられない。
テーブルの上には、紅茶とお茶菓子。アリアのお土産。
お姫様の旅の話をお茶請けにして、僕らは今日も幼馴染だ。







