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4.ジークフリートの自覚

保健室のシーン ジークフリート視点です。

 隣を見れば、婚約者のアリアが立っていた。従者のラルゴもそばにいる。彼は従者とはいっても、貴族の子息で同じクラスの同級生でもある。三人でいるのはいつものこと。

 ずっと小さいときから三人で子猫のように丸まって遊んできた。

 だから、婚約者だの、従者だの、王太子だの、表向きの肩書は違っても幼馴染であることには微塵の疑いもなかった。


 今は、ダンスの特別授業中だ。僕らのようにダンスが得意な者は、慣れない者のサポートをする。これも、いつものことだった。

 目の前に現れたピンク色の髪の少女に、アリアが不思議そうな顔をした。知らないのだろう。なぜか確認するようにラルゴを見た。


 ピンクの髪の少女は、カノンと名乗った。


 僕はハッとした。

 この学園の入学時に、執事から名前を聞かされていた少女だ。

 仲良くしろとハッキリとは言われなかったが、多分、学友くらいの友情を父上は期待してるのだろう。だからこそ、執事を通してではあったが名前だけ告げられたのだ。

 カノンには癒やしの魔力と動物と話せる力があるらしい。確かに、王国としては大切な人材だ。


 僕は隣にいるアリアをチラリと見た。

 彼女はカノンを見てなぜか固まった。

 不思議に思ったが、目の前の少女の手を取る。


 その瞬間、アリアはクラリとよろめいた。

 咄嗟にラルゴがアリアを受け止める。アリアは目をつぶってラルゴの胸に抱かれていた。


 それを見て、僕はカッとなった。なににカッとしたのかはわからない。

 慌ててカノンの手を離し、衝動的にラルゴの胸からアリアを奪いあげ、物語の姫にするように抱き上げた。何も考えてなかった。ただ、反射のようにそうした。


 本当に、理由なんかわからなかった。





・・・




 僕と、アリアとラルゴは、物心ついたときから一緒だった。

 ラルゴは僕の乳兄弟だ。王太子の乳母は、貴族の中から年の近い子をもった婦人が選ばれるのはこの国の慣習だ。

 たまたま、ラルゴの母が選ばれたから、それこそラルゴとは兄弟のように育った。

 アリアは公爵家の令嬢で年も近い。三人で遊ぶことも多かった。騎士ごっこの延長で、『我らがお姫様』なんて呼んで遊んでいたのだ。

 気がつけば、婚約者だと言われていて、僕も当然彼女と結婚するのだと思っていた。なんの疑いもなくだ。


 十二の年に婚約式をして、初めてまだ婚約してなかったことを知ったくらい、すっかり彼女と結婚するのだと思いこんでいた。

 アリアとは親戚のようなもので、子供の頃からずっと一緒だった。だから、愛着や親しみは存分にある。だけど、物語で見るような、狂おしいほどの恋慕とは無縁の相手だった。


 嫌いではない、好ましい、だが、愛おしいかと問われるとよく分からない。

 それが正直なところだった。

 アリアは当然のごとく何でもできて、凛々しく強い女性だ。多分、王妃としては申し分ない。だから、不満はなかったし、彼女以上の女性も思い浮かばない。


 ただ、お互いにこれで良いのか、という単純な疑問はあったけれど。




・・・




 抱き上げたアリアの軽さに驚いた。


 小さな頃は体格差もなく、ぶつかりあったり、重なり合ったりすれば、重く感じていた。そのイメージで今まで来たから意外だった。

 婚約式をしてからは、お互い子供のように遊ぶことはなくなってしまった。アリアが淑女然として振る舞うようになったからだ。

 急に大人びてしまった彼女に、バカにされないように大人のふりをした。取り澄ました彼女の髪を引っ張って逃げたら追いかけてくれるだろうかと妄想し、きっと呆れられるとわかるから、そんなことは出来なかった。



 だけど、今。

 腕の中にいる少女のなんて小さいことだろう。

 いつから彼女はこんなに小さくなってしまったのか。 

 さっきまで、悠然と微笑む彼女は僕と変わりないくらいに見えていたのに。



 なんだかうまく考えがまとまらない。


 微動だにしない瞼に影が落ちている。人前で倒れるほど、無理をしてたのだろうか。微塵も感じさせなかった。

 立ち上がる香りは彼女のものだ。でも、この軽い体は、病気なのだろうか。だったら、いつから?

 どうして僕に隠してた?


 ラルゴははじめから気付いていたのだろうか。

 いつから気が付いていたんだろう。

 そういえば、小さい頃からいつだって、アリアが困ったときに手を差し伸べるのはラルゴだった。そんなの当たり前だったのに。

 今は僕が先に受け止めたかった。ラルゴに触れられたくなかった。 


 でも、なぜだ?


 訳がわからない。理論的に考えられない。冷静に、俯瞰的に考えろ、そう教えられてきたはずなのに。


 薄い背中。ダラリと下がった、長くて細い腕。のけぞる白い首筋に、思ったより豊満になっていた胸。思わず目を奪われてハッとする。

 気まずい気持ちで足早に保健室へ急ぐ。何かわからないけれど、胸がドキドキと高鳴って、なにかに追い立てられているようだ。


 保健室へついてホッとした。

 カーテンを引きベッドへアリアを横たえる。

 白い皺ひとつないシーツの上に横たわる彼女は、まるで眠り姫のようで、僕は思わず口付けをしたら目覚めるだろうかなんて馬鹿な妄想をした。

 アリアに対してそんな妄想をしたのが初めてで、僕は戸惑った。


 人形みたいに無表情で、作りものみたいに乱れない髪。

 この髪をシーツの上に無残に散らしたい、なんて、そんな。


 そんなこと考えたことなかった。誓ってもいい。ただ僕は無邪気に、アリアに追いかけてきてほしくて悪戯をしたかったんだ、あの頃は。

 追いかけてきて欲しくて?


 今だったら、バレない。わからない。今だったら。


 ドッドッドっと胸の音が太鼓みたいに内側から打ち付けてきて痛い。

 僕は震える手を背中から引き抜いて、そのすきにそっと小指でアリアの髪を乱した。

 ほっと息をつく。


 アリアは目を覚まさない。

 ラルゴにも咎められなかった。



 養護教諭が近寄ってきて、アリアを確認する。

 貧血だろう、そう言った。少し安静にしていれば大丈夫だと言うと、僕たち二人に授業へ戻るように言った。


「戻りません」


 反射のように答えれば、養護教諭は困ったように眉を下げた。ラルゴが僕の肩を叩く。

 ここは言うことを聞け、と言う意味だ。


 わかってる。波風立てるべきじゃない。僕は王太子なんだから。


 僕は大きく息を吐きだした。王太子とはなんと不自由な者なんだろう。


「すみませんでした。少し動揺していたようです。ここは先生におまかせするのが一番ですね」

「え、ええ。ジークフリート殿下、心配であれば、授業が終わったらまた様子を見に来てください」

「そうします」


 そう答えて、授業へ戻った。




 ダンスの授業は中断していたようだ。心配ない旨を伝えると、会場から安堵のため息が漏れ、授業は再開された。アリアの人望だろう。


 先ほどと同じように、カノンの手を取る。温かくて柔らかい手だった。さっきの冷え切ったアリアとは全く違う。

 慣れないステップ、緊張した動き方、全てが僕には新鮮だった。

 だって、アリアは小さい頃から僕と踊っていたけれど、ぎこちないと感じたことがなかったからだ。アリアとだったらいつだって初めからスムーズだったと今気が付いた。


 それは、きっと僕らが同じくらいぎこちなかったからかもしれない、そう思い至りおかしくなった。

 カノンは必死な顔で踊っている。その姿は微笑ましい。

 こんな時代がアリアにもあったはずなのに、僕には気が付かなかったな、きっと僕も必死だったのだろう。

 なんて惜しいことをしたんだろう。




 授業が終わり、ラルゴと一緒に保健室へ行った。

 なんとなく、ラルゴは置いていきたかったけれど、従者なのだから仕方がない。

 ノックをして来訪を告げれば、慌てた声が返って来た。

 アリアにしたら珍しい。


 僕がドアを開けると、さらに珍しい光景が広がっていた。

 あの、完全無比の淑女がカーテンに包まって隠れているのである!

 眩暈がおこった。


 なに、あれ。かわいい。

 まるで小さかった頃のアリアだ。失敗をして叱られそうだという時は、みんなして物陰に隠れたっけ。三人だけの秘密だって言って、いろんなことをした。

 懐かしい思い出がよみがえって、キュンと心臓が温まる。


 どうしたのか尋ねれば、理由は髪を下ろしているというだけだから、なおさらおかしかった。

 そんなの今更気にするような仲じゃないのに。

 しかも自分で結えないからなんて、あのアリアに出来ないことがあるなんて! それを恥じ入る姿が、本当にいじらしい。


 どうしても、カーテンから出てこようとしないで、涙目で抵抗する彼女に、僕の何かが目覚めた。

 まるで追い詰められたウサギのようで、逆に誘っているかのようだ。

 ラルゴが声もなく彼女を見つめているのがわかった。アイツも、狩りの距離を図ってるのだろう。


 だから。


 これは、僕のだ。

 もう、『我らがお姫様』じゃない。


 見せつけるように、僕はアリアの手を掴んだ。

 カーテン越しにもわかる、怯えて震える手。分かってる、でも、許さない。


 君が僕に追いかけさせた。


 憧れのプラチナの髪を一掬い掬う。そしてそっと口づけた。

 あからさますぎる求愛のポーズは、アリアとラルゴに知らしめるためだ。


 覚悟して。


 思いを込めて告白する。

 自覚はなかったけれど、ずっと、君の髪に触れたいと、そう思い続けて来たのだから。


 アリアは真っ赤な顔をして、グズグズに座り込んでしまった。

 突然の出来事に対処できてないのだろう。

 そういうところも、愛おしい。


 ああ、そうか。これが、愛おしい、だ。


 座り込むアリアを抱き上げる。


 カーテンが解けて、アリアの白金の髪がこぼれ落ちた。光を纏って流れるストレートの髪は、まるでお天気雨の春雨がごとく優しく輝く。


 こんなに長くなってるなんて。

 こんなに美しくなってるだなんて。


 僕は全然知らなかった。

 知ってたら、見せなかった。

 ラルゴになんか見せなかった。


 だってこんなの見てしまったら。

 誰だって恋に落ちる。


「殿下、どうされましたか」


 ラルゴの咎めるような声が響く。


「僕のお姫様が、髪が乱れて困ってるんだ」


 僕たちのじゃない。『僕の』姫なんだ。ことさらに強調する。

 ラルゴは無表情で、髪を結うことを申し出てきて失敗したと悔やんだ。

 僕には髪を結うなんてこと出来ないからだ。

 ラルゴの穏やかな声に、アリアは素直に従う。

 僕にはあんなに抵抗したのに、悔しくて仕方がない。

 見せつけるように、ラルゴがアリアの髪を丁寧に梳く。豊かで美しい白金の糸。清らかな光の束。

 ラルゴとアリアが鏡越しに見つめあう。

 胸がチリリと痛む。

 拗ねて見せれば、アリアは優雅に笑うから堪らない。まるで僕の嫉妬を楽しんでいるみたいだ。


「浮気は許さないよ」


 アリアは僕の婚約者なんだと、王太子妃になる者なのだと、言外に釘を刺すのは二人に対するちょっとした意地悪だ。

 アリアが傷ついたような顔をするから、僕がラルゴに窘められる。クっソ。


 結局、アリアには意図が全く伝わってないらしく、なんでここへ来たのか尋ねられる始末だ。ラルゴにフォローを入れられて、やけっぱちになってくる。

 そうこうしていれば、アリアの髪は結い上がっていた。いつもより柔らかな雰囲気になった彼女も、また可愛らしい。

 ただ、この似合う髪型にしたのがラルゴだということに腹が立つ。

 やっぱり、なんだかんだ言っても、ラルゴはアリアを見ているのだ。特別な目で。

 

 やっぱり、しっかり牽制しておかなくてはいけないな。


 僕はアリアを抱きしめる。

 不慣れな感じで、裾を掴むとかあざと過ぎるよ、お姫様。

 僕は秘密を告白して、アリアと二人だけの秘密を作る。

 きっと、初めてだ。

 何時だって、秘密は三人で共有してきたんだから。

 逃げようとするアリアを腕の中に閉じ込めて、潤む瞳を覗き込む。


 ねぇ、逃げないで? 


 ドアがノックされて我に返った。

 強引過ぎた自覚はある。

 ラルゴを見れば無表情だが、動揺が瞳の奥に見えた。


「アリア?」


 呼びかける声に慌てる。

 アリアの兄であり、最強のナイト ルバート様の登場だ。

 きっと迎えに来たのだろう。

 彼は、妹を溺愛してはばからないからだ。



 ラルゴと僕は顔を見合わせた。

 ルバート様には、子供の頃から何度怒られたかしれない。

 戦々恐々として、ルバート様を見送るとホッと力が抜けた。


「では、ラルゴさん、こっちの紙に記入してくださいね」


 突然響く声。鞭をもってにやにやと笑う養護教諭に、僕らは固まった。

 すっかり目に入れてなかったが、彼女はシッカリ部屋にいたのだ。


「婚約していると伺っていますから、ある程度のことは仕方ないとしても……。婚約は婚約、ですよ、ジークフリート様」


 ピシリ、鞭の音が聞こえたような気がした。

 養護教諭に釘を刺されて、僕は優雅に礼をした。


「もちろんです。先生」


 今度はちゃんと、二人だけの秘密にします。


 心の中でそう答え、僕は人知れず笑った。

 




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