38.月潮の祭り
あれから私は、自由に外へ出ることが許された。
そうは言っても一人は無理だ。お兄さまが必ず同伴する。
王都でも侍女やら引き連れていたから、それは公爵令嬢として仕方がない。許容範囲だ。
サパテアードの街はもちろん、出島にも行った。
ワグナーのお店の人たちは覚えていてくれて、サービスまでしてくれる。
どうやら、前回の一件が噂話になっていたようで、おおむね好意的で時々冷やかされた。
それを見て、お兄さまは明らかに嫌な顔をして、タクト先生は苦笑した。
今夜は、サパテアード最後の夜だ。
そして、月潮祭りの日。
夏の終わりの満月の大潮の夜に、サパテアードで祝われるお祭りだ。この日は、出来るだけ灯りを少なくして、月の力に感謝するのだ。
すでに、天にはひと際大きな月が上っている。
解禁されたお兄さまとお揃いのサンダルを履く。
お兄さまの麻のスーツに合わせて、私も麻のワンピースにした。
兄さまは当然のように手を差し出したけれど、私は首を振って断った。
「どうしたの?」
「……だってもう、子供っぽいでしょう?」
こんなやり取りは、もう数度目だ。町へ行く前のテンプレにすらなりつつある。
「お兄ちゃんは寂しい」
お兄さまは、ウルっと乞うように私を見るから、私はウっと言葉を詰まらせる。
相変わらず、ブラコンなんである。
「さぁ、行きましょうか」
タクト先生はいつものやり取りに笑いながらそういうと、眼鏡を外した。
闇の中に、金と銀がギラギラと光を放つ。色違いだから、光の強さが違って不思議に綺麗だ。
そっと、伺うようにお兄さまを見る。
お兄さまは、驚くかもしれない。
お兄さまは、平然とした顔でタクト先生を見て言った。
「今夜はどうしたんですか?」
「眼鏡がない方が、夜目は明るいんです。今夜は街が暗いので」
ワグナーの特色なのだろう。
お兄さまはそれ以上何も尋ねなかった。
私も何も尋ねなかった。
でも、今夜はどうしたのだろう。
図書室で話した時は、その目を隠すのを『グローリアのため』と言っていたのに。
街を歩きはじめると、道行く人がチラチラと私たちを見る。
そんなに目立つのかと、不思議に思う。
サパテアードか? ワグナーから来たのか? すれ違いざまに投げられた言葉に、タクト先生は背中をこわばらせた。
この不躾な視線は、タクト先生の瞳に向けられていたのだ。
私はそれに気が付いて、ムッとした。
ムッとしながらタクト先生を見れば、タクト先生は困ったように微笑んだ。
そのほほ笑みが、儚くてまるで消えてしまいそうで。
私はなんだか怖くなって、先生の服をそっと引っ張った。
「どうしたんです?」
タクト先生は目を見張った。
やっぱりキラキラ光る瞳は綺麗だ。
私は無言で首を振った。
ただちょっと、この人を見失ってしまいそうだと、なんとなく思っただけで。
「怖いですか?」
怖いのだろうか。何が怖いのだろう。
月夜は怖くない。もちろん先生も怖くない。
ああ、でも、確かに、先生が居なくなるのは怖いのだ。
「はぐれたらイヤ」
先生が、ここからはぐれてしまったらイヤだ。
「だったら、手を繋いでいてください」
そう言って先生は、私に手を差し出した。
私はその手を取る。
先生は確認するように、強く握って満足そうに微笑んだ。
「ねぇ、俺は?」
お兄さまが不満ありげにつぶやく。
お兄さま! 拗ねた顔が可愛いです!!
嫉妬? 先生の手を取った私に嫉妬?
「だったら、先生の手、まだ空いてますよ。お兄さま」
冷やかすように声をかければ、あからさまなしかめっ面で、お兄さまは私を睨んだ。
「そうじゃない」
「私もさすがにそれは歩きにくいです」
二人に反対されて、私は笑ってしまった。
大きな月がサパテアードの喧騒を照らす。
夜市の呼び声と、香ばしい香りが風に乗る。
闇の間を猫が走る。
おぬこさまは元気だろうか。
「あれ! 食べてもいいかしら? お兄さまは? お食べになる?」
「一口くれればそれでいいよ」
お兄さまは呆れたように答えるけれど、了承の合図だ。
先生の手を引っ張って、屋台へ走る。
「走らなくても大丈夫ですよ」
戸惑いながら、それでも余裕で先生はついてくる。
「一つください」
お店の人に声をかければ、驚いたような顔で先生を見て、そして私をまじまじと見た。
「はいよ。お嬢さんはグローリア?」
「ええ」
「……お連れさんも?」
白い視線。いぶかしがる声に、先生がピクリと硬くなる。
私は、その腕に縋りついて、店主を見てにっこり笑った。
「ええ! 素敵でしょ?」
ドヤ顔で自慢する。
「ちょっと……」
先生が困った顔で私を窘める。
「あら、不満?」
私はイタズラっぽく答えて見せる。
なんてったって、夢色カノンの攻略キャラだ。
どの子も自慢のイケメンなんである。
それを店主が見て、豪快に笑った。
「ああ、お似合いだよ、お嬢さん!」
お兄さまが、やってきて私と先生を引き離す。
「アリア、はしたない!」
「お兄ちゃん、妹の恋路を邪魔しちゃいけねぇ! 月潮の夜は交わりの夜だ」
店主が大声で笑うから、周りに笑いが沸き起こった。
「ま、交わり! ハレンチな!!」
お兄さまが顔を真っ赤にする。
「こ、恋とかじゃないです!!」
私が慌てて否定すれば、かわいいじゃないのだとか、照れちゃってだとか、ワイのワイの野次馬が囃し立てる。
私は真っ赤になって否定して、先生も真っ赤になって否定する。
気が付けば視線は、白い痛いものではなくなって、ホンワリと生暖かくなってくるから不思議だ。
「まぁまぁまぁ、そんなにムキになりなさんな! ほれ、いつもより多めに盛っておいたよ、お嬢さん」
店主はそう言って、葉っぱで出来た皿の上に、多めに肉を盛り付けて渡した。
「ありがとう!」
皿の上には三人分の箸があった。
「毎度あり!」
威勢のいい声に、野次馬から声がかかる。
「こっちにも!」「あいよ!」「俺も!」
押し出されるように、屋台から離れて、お兄さまと顔を見合わせる。
昼とは違う勢いに、思わず噴き出した。
ああ、なんだかいい夜だな。
竹で出来た箸を配って、道のわきでつまみ食い。
私の唇についたソースを、お兄さまが指で拭って舐めて見せるから可笑しかった。
はしたないよ、お兄さまもね、父上には内緒だな、そんなふうに笑いあえば、先生が釣られるように微笑んだ。
お土産の揚げドーナツにはきな粉をいっぱいかけてもらう。
ビーフンみたいな白い麺には、海の幸がゴロゴロ入っている。
焼き栗まであるから、懐かしくて買ってみる。
夜市を歩いてそのまま行けば、真っ暗な海に出た。
白い砂浜に、押し寄せる黒い波。
だんだん人が集まってくる。
「こっちです」
タクト先生に手を引かれ、砲台の土台に上がる。
見回りの兵士が驚いた顔で私たちを見つめた。
「ここは立ち入り禁止です」
兵士の硬い声に、先生は頷いて眼鏡をかけ直してから、兵士をもう一度見た。
「私は、タクト・コラパルテです。サパテアード侯爵のお客様をご案内しています」
「っ! タクト様……でしたか。失礼しました」
兵士は敬礼して下がる。
先生は苦笑いして、眼鏡をもう一度外すと、私たちを砲台の元へ案内した。
海に迫り出した砲台の土台は、すぐ下が海になっている。
「ここが一番よく見えます」
先生はそう言って、土台に腰かけるように促した。
お兄さまが腰を掛け、隣にハンカチを敷いてくれた。
「アリアはここへ」
「ありがとう」
私がハンカチの上に腰を下ろせば、私の隣にタクト先生が腰を掛けた。
「わざわざ、そちらへ座らなくても」
お兄さまが不満気だ。
「女性を端には出来ないでしょう?」
タクト先生は、サラリと答える。
「さて、そろそろ良い時間です」
空の天辺の月を見て、先生が言った。
「何の時間ですか?」
お兄さまが尋ねる。
「月潮の祭りのメインイベントです。海をよく見ていてください」
先生の指さす方へ目を向ける。
ほんのりと海が白くなる。
その白さがどんどん広がって、波にもまれて揺らめいていく。
大きな白い光が、波の中を広がっていく。
「な、」
お兄さまは言葉を失った。
私も、ただただ見惚れるばかりだ。
真っ暗に落ち込んでいきそうな海だったはずなのに、まるで月が落っこちたかのように突然白い光が潤み出て、どんどん、どんどん広がっていく。
「きれい……」
光る波が胸に迫ってくる感覚。この世のものとは思えない美しさに、押しつぶされそうだ。
どうしたらいいかわからなくて、先生を見れば煌めく瞳と目が合った。
「ええ、綺麗です」
優しい声にほっとする。
「これは……」
「サンゴの産卵です」
「サンゴか」
お兄さまが納得したかのように呟いた。
「ええ、この海域にしか生息しないサンゴなのですが、年に一度月潮の日にだけ、一斉に産卵するのです。その卵が発光して海を流れるこの日を、サパテアードでは豊穣の祭りの日にしているんですよ」
「だから」
「ええ、だから今夜は恋の叶う日と言われているんです。告白する人も多いし、結婚式を挙げる人も多いのです」
それで、あんなに冷やかされたのだ。
知らなかったとはいえ、間が悪かったとしか言いようがない。
「まだまだ知らない事ばかりだわ」
「ええ、知らない事ばかりです。だから、楽しいとは思いませんか?」
「そうですね」
先生の小指が、私の小指に触れる。
群れ星の塔の夜を思い出す。
指の先から温かさが伝わって、ここにいるんだと実感する。
「今年の夏は私にとって、特別なものになりました。来てくれてありがとうございました」
先生がそう言った。
お兄さまはそっぽを向いている。
照れているのだろう。
仕方がないなぁ、なんて思いつつ、私は苦笑いした。
「私の方こそ、ありがとうございました。勉強になりましたし、それ以上に楽しかったです」
楽しかった。そして、いろんなことが見えて来た。
「忘れられない夏休みになりました」
そう笑えば、先生は柔らかく微笑んだ。
「それは良かったです。私も忘れません」
翌日の昼。ゆっくりとした私たちは、サパテアードを後にした。
来た時と同じように、高速の汽車で王都へと帰る。
暗い森を抜けると、広大な農地が広がる。
村が町になり、家が増え人が増え、王都が見えてくる。
夏休みが終わる。
そして、二学期が始まる。
ジークと一緒にいられる時間は、あとどれくらいあるのだろうか。
どうなるかはわからないけれど、最後は自分で決められるように、そうありたいと強く願った。







