37.タクトVSおにいちゃん
【だったら、私たちが生きているうちに戦乱なんか起きないようにすればいいんだわ。そうすれば迷信だってわかるもの】
あの子の声が耳にまだ残っている。
【『国のため』とか『未来のため』なんてわからないですけれど、『私のため』だったら私にもわかるんです!】
そうも言った。おかしくて思い出すたびに笑ってしまう。
たしかにそうだ。
大義名分を掲げても、自分を納得させるのは難しい。
『国のため』 国なんか捨ててしまえるのに?
『未来のため』 自分は生きていないかもしれないのに?
でも確かに、自分のためだったら。
私は、タクト・コラパルテ。
サパテアード辺境伯の三番目の子供、だという。
母はサパテアードの有名商家の娘で、ワグナー人だ。
物心ついた時から、私はコラパルテ領事夫妻の子供として、出島で育った。生まれてすぐ、子どものいない母の兄コラパルテ家に養子として出されたのだ。
六歳になったころには、祖父母のいるワグナー国の全寮制の学校へ入れられた。だから、私のルーツのほとんどはワグナーと言ってもいい。
ワグナーにいたころ、私は自分の瞳を何とも思っていなかった。
ヘテロクロミアは、珍しくはあったけれど、それだけで忌むべきものではなかった。
「グローリアには『サパテアードにヘテロクロミアが生まれた年は戦乱が起る』なんてくだらない迷信があるらしいぜ」なんてヘテロクロミア同士で笑い飛ばせるくらいだった。
学校を卒業し、ワグナーの士官として出島に戻ることになったとき。
コラパルテ家は、高価な魔法の眼鏡を用意した。
サパテアードではこれをかけるようにと渡された。
それは、私を守るため、だったのだけれど、小さな衝撃が走った。
『グローリアは私を受け入れない』そう直感した。
そしてその夜。
私はサパテアード辺境伯の三番目の子供だと、辺境伯自身に告げられたのだ。
それは後ろ盾になる約束だった。
私を拒否した力、そんなもの使うことなどない、そう思ったけれど。
出島で働いていると、色々な話が入ってくる。
もちろん嫌な話もだ。
『サパテアード辺境伯は戦乱の象徴ヘテロクロミアの子供を産んだらしい。不吉だとその場で殺したそうだ』『みたことか、高貴なグローリアにワグナーの血を入れるから』
『殺したからと言って、戦乱がなくなるわけではあるまい』『いや、いなければ大丈夫だろう』
その話を聞いて、私は真実を確かめられなかった。
だって、真実だったらどうしたらいいのだ。
殺そうとして殺せなかった子供。
最悪、代わりに殺された子がいるのかもしれない。
きっと、迷信を信じないワグナーの母が、その兄に私を託したのだったなら。
知りたくはなかった。
知らなければ、ただのワグナーのヘテロクロミア、タクト・コラパルテでいられたのに。
ビリヤードルームに足音が響いた。
呼び出した相手が登場したらしい。
「こんばんは。何のお話でしょう? タクト先生。ビリヤードでもします?」
にこやかに笑っては見せるけれど、本当の笑顔など、あの子の前でしか見せない男。
「お呼び立てしてすいません。ルバート君。今夜はお願いがあって」
ビリヤードに向いて横並びになっているソファーへルバートを誘導する。私はその隣にある一人掛の椅子に腰かけた。
ルバートは優雅に腰を下ろし、足を組んだ。
生徒として話すつもりはない、そういう意思表示だ。
カンがいい。
「そろそろ、アリア嬢を許してあげてはどうでしょう?」
「どういう意味ですか」
解っているくせに知らぬふりを決め込む兄。
「外出禁止を解いてあげませんか?」
ルバートは私を見て、少し考えるような顔をした。
「なぜ、私が妹の外出禁止を命じているか、わかりますか?」
「安全のため、また、懲罰を兼ねてではないのですか?」
「違います。まぁ、少しは同じかな?」
「どういうことです?」
「妹の外出禁止を解くには、先生の話が聞きたい」
「私のですか?」
「ええ。タクト・コラパルテ、もしくはサパテアード辺境伯はなぜアリアをここへ呼んだのか。お答えください」
ゆったりとソファーに身を預け、ルバートは何でもないように問うた。
しかし、その内容はそんなに軽々しく聞いていいものではない。
探りあう、ものだ。
しかし。
「お答いだだけないようであれば、私はこれで帰ります。あなたと話す必要はない」
私はこの兄妹とそんなことをするつもりはなかった。
「まず初めに断りを入れておきます。私と辺境伯の考えは同じではない」
ルバートは意外に思ったのか、ビリヤード台に向けていた視線をこちらへよこした。
「まずはっきり言えることから。私が彼女を誘った理由はとても簡単です。彼女にここを見せたかった。そして、少し王都から離れさせたかったんです」
「それは個人的な意味で?」
「とても個人的な意味で」
「依怙贔屓、と認めるわけだ。教師として問題ですね」
「ええ、全くです」
自分自身、こんなふうになるとは思わなかった。
グローリアのものに心を動かされるはずがない、そう思っていた。
「そして、辺境伯の考えですが。すべてを私に話しているとは考えにくいのではっきりとはお答えできない。ただ、想像するのみですが、彼は『宰相家』にサパテアードを見せたかったのではないかと」
「アリアではない、と」
私は首を振った。アリア嬢も目的の一つだろう。
「少し政治的な話をします」
ルバートが無言で頷いた。
「私の個人的見解ですが、サパテアードはグローリアにワグナーと公式に国交を開かせたいのではないかと思っています。明らかな敵対関係で、出島を維持していくのはかなりのストレスがある。王都には届かない小競り合いもあります。海賊行為も。出来れば友好国になってしまいたいのではないでしょうか。今のサパテアード辺境伯夫人はワグナーの血を継ぐ者です。混血の多いこの地でも、辺境伯家の血だけはグローリアのものでした。しかし、次の代から変わる」
「そんなに前から計画を?」
「だと思います。出島でのワグナー地も拡大し、サパテアードへの上陸に関する取り決めも徐々に穏やかになっている」
「だが、ワグナーがそれをどう思う」
「ワグナーはグローリアの魔法の力が欲しいと前から思っていますから、友好的な手段でなくても良いと思っているでしょうね。私のような半端な魔力でも、あの国へ行けば重宝されるんですよ」
そこで息をつく。
少し心の準備が必要だ。
「……アリア嬢から聞いたでしょう? 私はハーフです」
ルバートは驚くでもなく頷いた。
もう少し嫌悪の色があってもいいのに、あって欲しいとすら思う。
そもそも彼は友好的ではなかったと気が付いて、おかしかった。
「サパテアードからなし崩しに国越えを許すわけにはいかない。ワグナーに舐められるのも困る。サパテアードは王家とつながりが強い。今の王妃はここの出です」
「ああ、そうでしたね。サパテアードが寝返るとなったら大変なことでしょう」
「王都は、ですね」
「そう、王都は」
ルバートは頭が良い。サパテアードは困らないのだ。王が変わるだけだ。
私たちの世代は、ワグナーの血が混じっている。この先、王家に嫁ぐものは出ないだろう。
今の代で方向を転換出来なければ、サパテアードは王都を切るのが楽になる。
今だって、王妃を見切って寝返ってしまえばいいだけだ。
だが、そんなことできない。今の王妃は、辺境伯の年の離れた末の妹だ。
「そこで、辺境伯は考えたのだと思いますよ。あなた方兄妹を使って、グローリアの力を見せつけようと。宰相家の二人が優秀なことは、辺境伯もご存知でしたからね。私がここへの滞在を申し出た時、それは気持ち悪いほどの協力をしてくれたのはその所為でしょう」
「私たち兄弟が、グローリアの力?」
「『グローリアの貴族は、聡明で美しい』と、しかもあなた方はワグナーを貶めない」
「広告塔ってわけ?」
「ええ。……戦争より、結婚を、と考えるに値するでしょう」
ルバートが険悪な顔で睨みつけて来た。
「アリアは、王太子の婚約者だ」
「もちろん、知っています。そう伝えてありますし、ルバート君は公爵家を継ぐ者です。あなた方をどうこう出来るとは思っていません」
実際はどうにかしたいと思っている輩はいるかもしれないが、できないだろう。
「ただ、手を組める、組みたい、そう思わせるには十分だったようですよ」
「ただで使われるのはムカツクな」
ルバートはイラついた様子で足を組み替えた。
「私もです。だからあなた方兄妹にはここの何かを持って帰って欲しい」
ルバートはそれを聞くと、ソファーから身を起こした。
そして私に向き合う。
紫色の瞳、プラチナの髪、鼻の形から唇までよく似ている。
それなのに違う。
こんなにも違う。
「わかりました。サパテアードが私たちを使おうというならば、私たちも十分にサパテアードを使ってやればいいことだ」
深まる紫の強い意志。
「では、」
「ええ、妹と一緒に出島へ行きます」
私はホッと息をついた。
それを見て、ルバートは立ち上がった。もう帰るということだろう。
「本当に依怙贔屓、なんですね」
試すような笑いに、不意を突かれて戸惑う。
「先生がこんなことを言うなんて、命とりだと思いませんでしたか」
そんなことは承知の上だ。
「もちろん思っていますよ。帰ったら学園に席はないかもしれないと。ただそうなったら私は彼女にすべてを告げると思います」
「アリアは王太子の婚約者だ」
「今は、です。この先は分からない、そうでしょう?」
今の王都の流れは、一枚岩ではない。どうなるかわからない渦の中に彼女はいて、もし、その渦の流れが変わったら。
彼女はワグナーに嫁ぐことを頭に入れているかもしれない。グローリアに王女のいない今、それは両国にとって、代えがたい結婚になる。
それを止めることが出来るのは、限られた人間だ。
その中に、私はいる。
私は、辺境伯の第三子、血縁的には王太子の従兄だ。そして、現在はサパテアード領事の息子。
「私をサパテアード姓に戻すことを、辺境伯は嫌がらないでしょう」
ルバートは私を睨みつけた。
「正直な先生に、俺も一つ、種を明かしましょう。もう、アリアのことは許していたんですよ」
私の説得に応じたわけじゃないと、釘を刺してくるのを忘れない。
嵌められたのは悔しいが、あの子を守るためには、彼の力は絶対に必要だ。話すべきことだったとも思う。
「先生の入れ知恵でしょう? アリアが俺を説得しにきた。宰相家のために『アリアを使え』と」
私は目を見開いた。
驚いた。
本当にあの子は、あんな会話で、もう。
ああ。なんて。
口元を抑える。
ルバートが怪訝そうに私を見た。
私は、息をついて笑って見せた。上手く笑えているだろうか。
「驚きました。私は今の話をしたわけじゃない。ただ、『サパテアードにヘテロクロミアが生まれた年は戦乱が起こる』という話を」
「また古臭い迷信ですね」
ルバートは鼻先で笑った。
私は眼鏡を取ってルバートを見た。
賭けだと思う。でも、彼には見せておかなくてはいけない。
もしかしたら瞳が潤んでいるかもしれなかった。
だって、仕方がないだろう。あの子がこんなに考えていたなんて。
ルバートは私の目を見て、明らかに驚いた。
こんな顔で驚くんだな、他人事のように思って笑える。
「そして彼女は言ったんです。『戦乱なんか起きないようにすればいい。そうすれば迷信だってわかる』って」
ルバートはそれを聞いて吹き出した。
「ああ、アリアらしい。しょうがない。それがアリアの意志だって言うんなら、そうするしかないじゃないか」
ルバートはそう言って笑うと、左手をあげてビリヤードホールから出て行った。







