36.対決! お兄さま
ディナーの後で、お土産のサンダルをもってお兄さまの部屋に向かう。
タクト先生の話を聞いて、私は私なりに考えた。
理不尽だと思える、過干渉だと思える軟禁も、それなりに理由があったのだ。
グローリアの女には教えられない、ワグナーのこと。
それをお兄さまは知っていた。だからあれほどまでに心配している。
ワグナー人が、グローリア人を力でねじ伏せることができると知っているからの心配なのだ。
だけど、お兄さまは知らない。
ワグナー人もグローリア人と同じ。
人として尊重できる、力があっても無下に使おうとはしない。
それに、人として人を尊重できない人間など、グローリアにもごまんといるのだ。私の学園にすらも。
相互理解が大切なのだ。
グローリアもワグナーもお互いを知った方がいい。
サパテアードみたいに、ここが特別なんじゃなくて。
そうすれば、もっと安定した国交が築けるはずだ。
そうすれば、戦乱は遠くなる。
そのために出来ること。公爵家だからできること。
公爵家だからこそ知っておかなければならない事。
それをお兄さまにわかってもらわなければ。
扉の前で包みを抱きしめて、一呼吸する。
緊張する。
ノックをすれば、すぐに内側からドアが開いた。
お兄さまの従者だ。
案内されるまま、ソファーへと腰かける。
お兄さまは、もう寛ごうとしていたのか、ガウン姿だ。
うっ、従者と二人きりでこの姿とか。
やばい。薄い本作れそう。
「それで、アリアはどうしたの? お兄ちゃんの部屋に来るなんて、あの日以来だね」
あの日とは外出禁止令の出された日である。
お兄さまは、優しい声で尋ねるけれど、背中のオーラははっきりとドス黒かった。
「お渡しそびれていた、お土産を持ってまいりました」
そう言って、テーブルの上に包みを置いた。
お兄さまは一瞥する。
「ふーん? どこのお土産?」
意地悪だ。
「出島です」
「ああ、楽しかったみたいだね」
意地悪だ!!
「開けてみてはいただけないのですか?」
縋るようにお兄さまを見た。
お兄さまは一瞬怯んだようだった。
そうだ、この人公式でもシスコンだ!
最近、イジメられっぱなしだから忘れてたけど、シスコンだったんだ!!
中身三十路だからね。使えるもんは使うからね!
こちとら、推しの画面に入ったら、モブでも総愛され要員にする変態モブおじさんなんだからね!!
「お兄さまのために選んだのです」
あざといとは思ったが、ウルリとしてみる。
大丈夫。アリアちゃんは可愛いから大丈夫。
小さく諦めたようにため息をついた。
「一生懸命選んだのですけれど、開いて見てもいただけないなんて、私……」
そう言って、お兄さまの従者に目を向けた。
従者が顔を引きつらせる。
小さく首を振った。
絶対、オレにはフルなよ! フルなよ! って顔だ。
ってことはね。
当然、フルよね!
お笑いの基本でしょ!
「ねぇ、あなた。もしよかったら」
「アリア!」
お兄さまの声が被った。
苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「その包みを開けて見せなさい」
「でも、お兄さまのご迷惑では?」
「迷惑では……ない」
「そんな、無理に押し付けようとして、私がいけなかったんですわ。お土産なんて自己満足ですものね」
俯く。
お兄さまの食いつきが予想通りで、笑ってしまいそうだ。
「お兄ちゃんが悪かった。少しすねてただけだ、だからアリア、それを俺にくれるんだろう?」
「貰っていただけるの?」
「ああ、だから」
「お話も聞いていただける?」
顔をあげて、お兄さまを期待のこもった目で見る。
う、お兄さまが声を漏らした。
「やっぱり……」
「いい、聞く、話をしてくれ、アリア!」
「よかったお兄さま! お兄さまとお話しできないのはとても苦しかったから」
これは本当に本心だ。
だって、兄もシスコンだけど、私もたいがいブラコンだ。
どんなに厳しくされたって、私のためだとわかるから、お兄さま大好きなんである。
従者が明らかに、ホッとしてため息をついた。
キミの仕事も大変だね。
私はスカーフの端を引っ張って、包みを開いた。
上質な絹はサラサラと、まるで水のように蕩ける。
中からは、王都では珍しいサンダルが現れた。
ストラップは、お兄さまの髪の色をグッとマットにしたような、真っ白に染められた革。
「アリアの髪の色だね」
「お揃いのサンダルで歩きたくて」
そう、アリアの男体化と言われたルバート。ルバートの女体化と呼ばれたアリア。
ぜひ並んで歩くなら、お揃いしてみたいじゃないですか!
いつもは制服だったり、正装だったりするからなかなか難しいけれど、今ならできる! そう思ったのだ。
「ああ、そうだね。アリアの薔薇が消えたら行こう。約束だ」
お兄さまは絆される気はないようだ。
「そのことですが、お兄さま。もうお許しになって?」
「ダメだ」
即答だよ。聞く気もないよ。
想定内だけど。
私はピンと背中を伸ばした。
だったらもう、妹として交渉はしない。
「現状を機会の無駄だと考えませんか?」
お兄さまは、面白そうに私を見た。
鼻なんか鳴らして、こちらを試している。
「なんの機会だい? 天文学ならここの施設が最高峰だ」
「ワグナーについてです」
「だから、それはアリアが関与する問題ではない」
「どうしてそうお考えです?」
「はしたない」
「感情論でお話しする気はありません」
お兄さまをじっと見据えた。
私の心の中で言葉にならなかった考えが、タクト先生と話すことで形になった。
そのために、出来ること。
自分のしたいことをするために、今しなくちゃいけない事。
まずは、お兄さまに理解してもらうこと。
お兄さまは、従者に下がるように命じた。
従者は部屋の外へ出た。きっとドアの前で待機している。
「サパテアードは国防の要です。そして、国交の要でもあります」
「いまさら何を」
「お兄さまは、出島で何をご覧になりました?」
「町の歴史と現在の状況について学んだ」
「ワグナーの方とお話ししました?」
「領事館でな」
私は頭を振った。
「では、とても紳士的だったでしょう」
「ああ。グローリアに引けを取らないほどだ」
「私は街で話しました」
「アリア!」
「ワグナーの言葉で」
「アリア、それを禁じているのがわからない?」
「分かりません。理由を教えてください」
「それはそう言う決まりだろう。知っているはずだ」
「知っていますわもちろん。だから今までこうやって隠れてきました。だけど、なぜ、女だけ許されないの?」
「それは……」
お兄さまは言いよどむ。
分かっていても口にできない。してはいけない。不文律。
「ワグナーの身体能力がグローリアに勝っているから。母体を保護するため、違いますか?」
「アリア」
「グローリア流の優しさですよね。危ないものから遠ざけたい。私にも理解できます。でも、本当は違うわ」
「君は何も知らないから」
「いいえ。私は町で話しました。もちろん、その人たちがすべてだとは思いません。でも今まで聞かされたように、ワグナーの男はケダモノでも何でもなかった。私をグローリア人だと知っても、攫おうとなんてしませんでした。少しもの言いは乱暴で、正直怖いとも思いました。でも、話は聞いてくれた。嫌だと言えばそれは通じるんです」
「……」
「話せば、通じるんです。それなのに、そのすべを奪われている。それはなぜ?」
お兄さまは嫌そうな顔をした。
でも、私は引かない。
「グローリアが、ワグナーに流れるのが怖い、違いますか」
お兄さまは大きくため息をついた。
「それは言葉にすべきじゃない」
「分かっています。お兄さまだから話したの」
「じゃあ、俺も、アリアにだけ話そう。現状は君の考えた通り、だと思う。否定しない」
「だったら、私は外へ出るべきです」
「……」
「知るべきです。もっと彼の国と交わえるのか、公爵家として私たちは知るべきです」
「……公爵家として、ね」
「お兄さまの心配は分かります。私も完全に安全だと保障は出来ないと知っています。だけど、ここへ籠っているのはもったいないと言いたいのです」
「ここで出来ることもある」
「ええ、その通りです。夜会も一つの方法でしょう。でも、それはお互いの国の上層部だけです。……お兄さまは」
そこで私は一瞬口をつぐんだ。
お兄さまは、お兄さまなら知っているのだろうか。
「なんだい?」
「サパテアード辺境伯のご意向をご存じなのですか?」
「っ」
「私はそこも知りたいのです。ここは国防の要所。サパテアード辺境伯様は、辺境伯として初めてワグナーの方を娶ったのだと」
お兄さまの顔が凍り付いた。
「それは、本当のことか。サパテアードの商家出身ではなかったか?」
「そうです。出身は代々サパテアードの商家です。でも、血筋はワグナーの方」
「タクト、か」
私は静かに頷いた。
「特に隠されていないと」
「ああ、でも気が付かなかった。王都では考えられないことだからな。想像することすら不敬だろ。でも、ここへ来ればわかる、そうか……」
お兄さまは、真剣な顔つきで何か考え始めた。
もう一息。
「もう一人で出かけたりはしません。必ず、お兄さまか先生と一緒に行動します。だから、私にもサパテアードを見せてください」
「アリア」
「せっかくのチャンスなんです。私も、お父様の目になりたい、そう思うのは可笑しいですか?」
最初は自分のためだった。
ただ、王都から逃げられればいいと、楽しければいいとそう思っていた。
でも今は違う。
王都では見られない風景を、宰相ですら入り込めなかった城で、私たちは見ているのだ。
無駄にしてはいけない。
「おにいちゃんの負けだね、アリア」
「お兄さま!」
「でも約束は守ること、必ず、俺と一緒だ。いいね」
「分かりました」
お兄さまが、神妙な顔をして私を見た。
「ねぇ、アリア。お前は王妃になりたいのか?」
唐突な言葉に驚く。
別にそんな立場には興味なんてない。
荷が重いだけだ。
「いいえ? そんなこと」
「最近、よく政治の話が見えているようだから、王妃として働きたいのかと感じたんだが、違うのか?」
そうだろうか?
「ジークが好きなだけなのか?」
ダイレクトに聞かれて、顔が赤くなる。
無神経だよお兄さま! 訊かないでよ。
無言でうつむく。
家族に婚約者が好きですとか言える?
好きとか言えないし、言えないから!
「ふーん……」
不機嫌そうにつぶやく。
「サンダルは、お兄ちゃんが確認するまでは外では履いちゃダメ、だからね」







