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35.サパテアードを知りたい



 クーラントを怒らせたことは分かった。

 理由はわからない。


 ゲームの登場人物以外で友達になれたのは初めてだと思っていたから、かなりのショックだ。


 コミュ障だから、優しくされるとすぐ友達だと勘違いするのやめよう。

 前世から繰り返してたじゃないか。ほんと進歩しない。



 誘いを断ったことが理由なら、それ以外の判断はできないから仕方がなかった。


 それでも、ショックだな。

 

 あんな風に手のひらを返されるとは思っていなかったからだ。

 出島での思い出は、私にとってとても大切で、その思い出ごとなかったようにはできない。

 やり方は良くないけれど、優しくしてくれたのは嘘じゃなかったと信じている。逃げようと言ったのだって、冗談だとは思うけれど、私のためにくれた言葉だとわかるから。


 だからこそ、わからない。

 

 ネコみたい。本当に、そう思えればいいのかもしれない。けれど。

 

 彼は猫じゃない。


 はー、とため息をついた。 


 クーラントと出会って、芽生えた決意。ちゃんと自分で行きたいところへ行く。

 それは、大事なものだから彼が私を嫌っていても、私はそれをなかったことにはしない。


 ここに来たことを後悔したくない。

 いい思い出にする。

 自分の力で。


 私はきちんと話し合わなくてはいけないのだ。

 わかってもらって、自分の足でここを出る。

 誰かに連れ出してもらうんじゃなくて、逃げ出すんじゃなくて、きちんと送り出してもらう努力をしなくてはいけないのだ。


 ここまで自分で理解するのに、昨日一晩かかったのだけれど。

 



 お兄さまに渡すためのサンダルを、世界地図のスカーフで包んだ。

 こんなことになってから、気まずくて渡せなくなっていた。


 タクト先生のジャケットも同じようにスカーフで包む。

 ペルレが綺麗にしてくれたものだ。

 こちらは星座の柄にした。




 まずはタクト先生と話し合うことにした。

 今から図書室でワグナー語の勉強があるからだ。

 

 図書室のドアを潜れば、タクト先生がいつもの定位置にいた。

 タクト先生は、サパテアードに来てから眼鏡をはずさない。

 多分、お兄さまの目があるからだろう。

 そのことも少し申し訳ないと思っている。

 

 気の置けない故郷にいながら、王都の自分を演じなければならないなんて、きっと窮屈だ。


 机の上にはいろいろな本が広がっている。

 本当に乱読派なのだ。なんでも良く知っている。


「お待たせしました」


 声をかければ、タクト先生は顔をあげて本をどかした。


「いえ、調べものをしていただけです」


 そう言って笑う。


「先日お借りしたジャケットです。ペルレが綺麗にしてくれました。ありがとうございました」


 星座柄の包みを先生へ渡した。


「ああ、ペルレさんにはよろしくお伝えください」


 先生は包みを解いた。


「こちらはお返ししますね」


 そう言ってスカーフを返そうとする。


「いいえ、これは私からのお土産です」

「お土産」

「ええ、出島でのお土産です」


 先生の目をしっかりと見て、私は言い切った。

 先生は私を見て、ため息をついた。


 

「少し移動しましょう」


 タクト先生は立ち上がり、図書室の奥の方へ歩いていった。

 私もそれに慌ててついていく。


 入り口から見て、大きな本棚の向こう側。天井の高い場所に小さな窓があり、その光が差し込む所に小さな机と、それを挟んでソファーがあった。

 調べものをするというよりは、じっくり読書をする、もしくは寝てしまえそうなそんな雰囲気だ。

 タクト先生はそこへ私を誘う。

 私は素直に従った。


 もともと図書室には人があまり来ない。

 そのうえ靴音が響かないように、絨毯が貼ってあるからとても静かだ。


 


「出島は楽しかったですか」

「はい!」


 先生の言葉にほっとした。


「どの辺を歩きましたか?」

「アコヤ通りを中心に細かい道を案内してもらいました。切り絵のお店やいろいろなお店があって楽しかったです」

「そうですか」

「先生のおかげで言葉も通じました」

「それは良かったです」


 タクト先生は穏やかに笑った。


「貴女はまた行きたいとお思いですか?」

「はい、ぜひ」

「そうですか、それでは少ししなければならないお話があります」


 タクト先生は静かに私を見つめた。眼鏡の縁が光を反射して光る。


「ワグナーとグローリアでは特色が違います。それは文化の違い、というだけではないのですよ。それを理由にグローリアでは、ワグナーとの積極的な交流を避けています。そしてその理由を聞けば、貴女はワグナーを恐れるかもしれない」


 私は頷いた。


「では。簡潔に言えば、ワグナーは獣と人との混血者が始祖とされています」


 私は息を飲んだ。


 前世のファンタジーの中では獣人がいた。しかしこの世界にはそう言った概念はない。少なくとも、グローリア王国にはない。


「ワグナーはそのため、身体能力が極めて高いことが特徴です。オオカミや大型の肉食獣を祖に持つ一族は、グローリアの兵士の比ではありません。しかし、逆にワグナーは魔法を使えない」

「魔法を……」

「グローリアでも庶民は魔法をあまり使えませんね。ワグナーもそうです。庶民の身体的な能力は貴族に比べれば低い。やはり血が薄まる、のでしょう」

「でも、それが理由で、どうして交流を避けるのかわかりません。特色が違うだけでしょう?」

「ええ。そうです。特色が違うだけ、ですが」


 パチン。先生が指を鳴らす。

 天井近くの窓のカーテンが音を立てて閉まった。

 唯一の光が消えて、暗くなる。



 先生は、眼鏡を取った。

 ギラギラと光る金と銀の瞳が、まっすぐと私を見た。

 薄暗い中で、すこしだけ瞳孔が開いて見える気がした。

 綺麗過ぎて怖い。怖くて目が離せない。

 息を飲む。

 瞬間、手首を掴まれる。


「貴女は……私が怖くありませんか?」


 握られた手首が痛い。


「私は、グローリアとワグナーの混血です。母がワグナー出身なのです」


 手首をつかんだタクト先生の力は強い。

 振り払えない、そう思う。

 でもそのことは怖くなかった。

 

 だって、先生の手が震えてる。


「ワグナーを知るということはこういうことなんです。貴女では私を振り払えませんよ。グローリアの男でも振り払えないでしょう。私はあなたを抱いたまま、あの城壁から飛び降りることもできる。夜が明ける前に出島まで逃げ出して、翌日にはワグナーへ攫ってしまうことだって」


 そこで先生は息をついた。

 金と銀の瞳が戸惑うように揺れる。


「できない、わ」


 私は言葉をつなげた。


「それはルバート君が助けてくれると信じてるからですか?」

「そうではなくて。先生はそんなことしない、そう思います」

「どうして」

「手が震えています。先生」


 タクト先生は握る腕の力を弱めた。


「出来るかもしれない、そうは思いますけど、先生はしませんそんなこと」

「教師としての私を信頼しているからですね」

「もちろん、それもあります。でもそれだけでもありません。私、出島でワグナーの男性と話をしました。お店の人ではなく、通りすがりの」


 先生は驚いたような顔で私を見た。


「最初はグローリアの女と知られて馬鹿にされてるなと思いました。多分、侮辱したんだわ。良く分からなかったけれど」

「なんて、危ない!!」

「でも、はっきり嫌だと伝えたら、ちゃんと分かってくれました。その人たちがすべてではないと思うけれど、でも、私の出会った人はそうだった。だから、ワグナーの男の人って、嫌だと言えば嫌なことはしない、そう思いました。だから、その血が入っていると主張するならば、タクト・コラパルテは私が嫌がることはしない、そうなりませんか?」


 タクト先生は一瞬息を止めて、大きくため息をついた。


「嫌だと言ったんですか」

「言いました」

「ワグナー語でなんて言ったんですか?」

「笑わないでください? 私も必死だったんですから。『サワラルナ ジャマスルナ ブッツブス』です。使い方間違っていましたか?」


 答えれば、先生は目をパチクリさせてから、プッと噴き出した。


 握られていた手が離される。


「変でした? 間違ってました?」

「いいえ、大丈夫……で…す。間違いありません。」


 そう言いながら肩が小刻みに震えている。


 笑い堪えてるのバレバレだから!!


「それをクーラント君の前で?」

「ええ! 酷いんですよ! 見てたのに助けてくれなかったんですから!」

「ああ、彼らしいです。でも、そうですね。ああ……」


 タクト先生は笑いを仕舞って、小さく息をつき私の左小指に触れた。


「クーラント君が赤い糸を結び付けたのも、納得です」

「それはいったい何の呪いなんですか? 本を調べてもわかりませんでした」

「すいません。呪いの章には載っていないでしょう。でも、恐ろしい呪いですよ。古くからあるワグナーのオマジナイです」


 先生は私の小指に、自分の小指を絡めて指切りの形を作る。


「『貴女は私の運命の人だ』」


 真っ直ぐな目で射られて、息が止まる。


 ただの説明だ。わかってる。わかってるんだけど!


「『誰にも渡さない』」

 

 クラクラする。

 こんな言葉、実際に聞いたことなんてない。

 


 だから! 耐性ないから!

 ほんと、止めて。お願いやめて!!



 顔が真っ赤になる。変な汗をかいてくる。絡み合った小指が熱い。解いていいのかわからない。

 何を言っていいのかわからなくて、ただただ金魚のように息を吸うばかりだ。

 

「という意味です。ね、酷い(のろ)いでしょう。」


 先生は小娘の慌てた様子を見て笑い、ゆっくり指を解いた。


「それをつけている人は、婚約者に近い恋人がいる証になり、要するにナンパをされなくなるわけです。ワグナーは男も女も情熱的ですからね。痴情の縺れはときに命にかかわりますから」


 説明を受けて納得した。だから、あの時、ワグナーの男たちは急に態度を変えたのだ。私をクーラントの恋人だと認め尊重した、そう言うことだろう。

 

 は? クーラントの恋人?


 いやいやいやいやナイナイナイナイ。

 ただのお守りのためにくれた、そう言っていた。虫よけのために便宜上付けただけだ。

 

 そうでなければ、あんな。

  

 あんな風に、手のひらを反したり。


「どうかしましたか?」

「い、いえ、ちょっとビックリしただけです」

「クーラント君に口説かれなかったですか?」

「全然そんなふうには見えませんでした。お守りと言っていましたし、トラブル避けのために使ったのだと思います」

「そんなことはないと思いますよ。彼はいい加減ではありますが、そういう人ではないと思います」

「だって……もう二度とオレには話しかけるなって」


 声に出したら、悲しみが胸に押し寄せた。

 

 泣かないように、そう思って唇をかみしめる。

 

「……だからですよ。彼を信用してはいけません、そう言ったはずです」

「そうだったかもしれませんが、でも、私は楽しかったんです」

「彼のことは忘れてしまいなさい」

「でも」

「もっと楽しいことをすればいいんです。私が力になります。出島にも一緒に行きましょう」


 先生は優しくそう言って、パチンと指を鳴らした。

 上の窓から光が降ってくる。

 差し込む光は、まるで天使の梯子だ。


 先生は眼鏡をかけた。不思議に思う。ここは二人きりなのに。


 キョトンとした目で、先生を見ていたら先生が複雑そうな顔をした。


「気になりますか?」

「お兄さまはここにはいないからそんなに気にされなくても……」

「違いますよ。ルバート君のためにかけているわけではありません。このグローリアのためにかけているんです」


 そう言って、先生は眼鏡のフレームを触った。


「サパテアードは、そもそもワグナーとグローリアの混血が多い地です。土地が近いのです。国が出来る前から交流があり、混じり合っていた土地柄です。サパテアード辺境伯家がワグナーの血を入れたのは、私たちの世代が初めてではありますが、特に隠されてはいません。まぁ、だから、そのことにはあまり偏見はありません。でも、この瞳だけは違うのです」

「瞳?」


「『サパテアードにヘテロクロミアが生まれた年は戦乱が起る』」


「そんな、迷信」

「ええ、迷信です。ワグナーにはそんな迷信ありませんしね。普通にたくさんのヘテロクロミアがいます。でも、グローリア国民には根深く残っている迷信です」


 タクト先生はそういうと俯いて口元だけで笑った。

 きっと嫌な目にあってきたのだろう。そう想像させるだけの内容だ。


「だったら、私たちが生きているうちに戦乱なんか起きないようにすればいいんだわ。そうすれば迷信だって分かるもの」


 ただの思い付き。そうだけれど。

 ジークならやってくれると思った。

 賢くて優しいジークならできる。ラルゴもいる。お兄さまだって。

 動物の言葉がわかるカノンちゃんなら、きっと獣人を祖にもつワグナーの理解も深いかもしれない。何かの助けになるはずだ。

 

 私だって、政略結婚の駒として二つの国を結び付ける日が来るかもしれないのだ。



「難しいことですよ」


 確かに難しいかもしれない。グローリアのワグナーに対する理解は、差別的で遅れている。国交を正常化する、そのことがまず初めの一歩になる。

 でも出来ない事でもないと思う。

 実際、出島は上手く機能しているのだから。

 ちゃんと理解しあえれば、傷つかないで手を組む方法はあるはずだ。


 

 私が生まれてから戦争はない。

 だから、戦争は遠い昔のおとぎ話のようにしか感じられない。


 でも、ここサパテアードは違う。戦争までとは言わなくても、小競り合いはあったのだろう。

 昔の城壁は機能を失ってはいたが、海沿いには砲台も配備されていた。

 騎士は鍛えられているし、海には戦艦が駐留している。

 サパテアード辺境伯の守るべき場所が、城から街へ、国へと変貌しているのだ。


 もし、戦が始まってしまったら。

 お兄さまも、ジークもきっと戦に関わるだろう。

 ラルゴはもしかしたら前線へ送られてしまうかもしれない。

 

 それは嫌だ。そんな形で、私の周りの人達が失われるのだけは嫌だ。



「難しいかもしれないけれど、そうすればただの迷信だって証明できます」

「迷信だと証明するために戦争を無くすんですか?」


 タクト先生はそう言って笑った。


「貴女が言うと国際問題さえ些末なことのようです」


 クスクスと笑われて、私は少しむくれてしまう。


 だって、難しいことはまだわからない。


「『国のため』とか『未来のため』なんてわからないですけれど、『私のため』だったら私にもわかるんです!」


 ハピエン厨なんだから。

 私は私の心の安定のために、キャラの一人も殺したくない。

 わがままで結構だ!



「私は貴女のそういうところが好きですよ」


 馬鹿にされているのかと思って、先生を見つめ返せば、優しいほほ笑みが返ってくる。


「私は貴女が好きです」


 物わかりの悪い子に諭すように、ゆっくりと言い含めるようにタクト先生は言った。


「ありがとうございます」


 純粋に褒められているのだとわかって、少し照れ臭かった。




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