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31.出島を後に


 横の道をくねくね歩けば、大きな道がみえてくる。もう終わりかと思うと寂しかった。

 クーラントは突然立ち止まった。


「……やべぇ……」


 顔色を変える。


「どうしたの?」


 大通りに向けて指をさす。

 タクト先生が、息を切らしてキョロキョロと歩いている。見たこともない必死な形相だ。


 私もサッと顔が青くなった。

 あれ、絶対私のせいだと思う。


「マジで? 探しに来るとか、サイアク。ちゃんと連絡したのに、オレ信用されてない?」


 クーラントはため息を大きく吐き出した。


「アリア、ここからは一人で行って」

「でも、」

「あれじゃ、オレ、マジで怒られる」

「私だって怒られるわ!」

「アリアは怒られなよ、オレはヤダから」

「酷くない?」

「酷くないよ、オレ最初に言ったもん、自己責任!」


 そう言ってクーラントは身をひるがえして、路地の中に消えた。


「……ひどい……」


 こういうのって連帯責任じゃないの?

 

 言いたいことはいっぱいあったが、本人はすでにいない。

 必死のタクト先生を見ていれば、逃げ出すなんてとてもできない。


 私は気まずい思いでタクト先生に駆け寄った。


「タクト先生、ご心配」


 言葉の途中で、ギュッと抱き留められる。


 走ったのだろうか。汗の匂いがする。

 体が熱い。


「心配しました、本当に、心配したんです」


 切羽詰まった声に、胸が締め付けられた。

 本当に申し訳なかった。こんなつもりじゃなかったのだ。


 抱き締めてくれる先生の背中を、ギュッと抱き締め返す。

 もう安心してほしい。


「ごめんなさい」

「怪我は? なにもありませんでしたか? 嫌なことはなかったですか?」


 立て続けに問われる。


「なにも無いです。大丈夫です。ご心配かけてすいませんでした」

「いえ、なにも無いならいいんです」


 そう言って先生は私を解放した。

 そしてマジマジと顔を覗き込む。


「……本当に……、言えないような……その……」


 不安げな顔で、言葉を選ぶから少しおかしかった。本当に心配してくれていたのだ。


「そんなことないですよ。メイドがクーラント様と一緒だと伝えてくれるはずだったので、まさかこんなにご心配かけるとは思わなかったんです」

「……だからですよ」


 タクト先生は、困ったように言った。


「クーラント君とはお知り合いですか?」

「いいえ。よくは存じ上げません」

「ダメですよ、知らない人についていっては」

「でも、学園の生徒ですし、サパテアード辺境伯のお知り合いだと」

「ダメです。知らない人についていってはいけないんです」


 子供に言い聞かせるように、先生は私を窘めた。


「すみませんでした。でも、とても良くしてくれました。彼を責めないでくださいね」

「それで、彼は?」

「……先生を見て逃げました」

「まったく……」


 タクト先生は大きくため息をついた。


 そして私の左指に目を止めた。


「これは?」

「クーラント様がお守りにくださいました」


 そう答えて、小指を見せる。

 タクト先生は、乱暴に左手を取ると、小指の糸を噛み切った。


「先生!?」

「これはお守りじゃありません。つけていてはいけない。(のろ)いです」

「呪い? 教会でって聞きましたけど」

「そうです。これは恐ろしい呪いです」


 そんなふうに思えなかった。

 町の人たちはこれを見て柔和になった。

 それなのに。


「貴女にはもう少しこちらの文化を教えておくべきでした」

「……勉強不足で申し訳ありません。」

「責めているわけではありません。資料もありませんから、現地に行かなければわからない事でしょう。わかっています。でも、クーラント君をあまり信用しないように」


 先生にも言われて、なんだかおかしくなってしまう。

 

 どういう意味なんだろう。


 無言で先生を見つめ返した。


 先生は、頭を振って大きくため息をついた。


「ああ少し取り乱していたようだ。仮にも生徒に向かって言うべきではないかもしれない」

「いえ、クーラント様もご自身で言ってましたから、不思議に思っただけです」


 あと、ジークも。


「そう、彼が自分でそう言ったんですね。では、そういうことです」

「それは?」

「彼は遊学者だ。いつかどこかへ帰るでしょう。あまり心を寄せると貴女が悲しむことになるかもしれません」


 そういう意味か。

 

 そんな心配はない。


「わかりました」


 私は納得した。


「さあ、そのたくさんの荷物を渡してください。みんなが待っていますから急いで帰りましょう」


 タクト先生は私の荷物を取り上げて、人力車を呼び止め帰路についた。




 領事館につけば、お兄さまが般若の顔で歩いてきた。

 地理に詳しくないお兄さまが探しに出ると二次被害が出たら困るということで、領事館にとどめられていたらしい。

 側に控える従者がゲッソリとした顔をして、領事夫妻が苦笑いしている。


 タクト先生の横から奪うように私を引っ張って抱きしめた。



「アリア……!」

「ごめんなさい、お兄さま」

「ダメだよ、心配した」

「本当にすいませんでした」

「君に何かがあったら、俺は何をするかわからない」


 サラリとお兄さまは恐ろしいことを言った。


 領事館の空気が凍る。

  

「ご心配おかけして、本当にごめんなさい。独りではないから大丈夫だと思ってしまって……。言い訳ですけれど……」

「クーラントはダメだ」


きっぱりとした声に驚く。


「お兄さまのお知り合いでは?」

「よく知っているから言う。クーラントはダメだ。わかったね?」


 言い含めるように言われて、それでも私は素直には頷けなかった。


 だって、今日はとても楽しかった。

 クーラントと一緒でなければ体験できなかったことだ。

 心配かけたのはいけなかった、そうだけど、こんなに素敵な日をくれたクーラントを否定するなんてできない。

 本当に嫌なことすべて忘れて、やりたいことができたのだ。


 潮風と白小道、飾り気のない異国の言葉と文化に、自分の言葉で触れられた。



 クーラントの言葉がよぎる。


『いつまでそうやってルバートを縛り付けるつもり?』


 そうだ。このままずっと守ってもらうわけにはいかない。急には無理でも、少しずつ自分で立たなくてはいけない。


「お兄さまの心配はとても嬉しいです。でも、クーラント様は良い方ですわ」

「アリア!」

「今日は楽しかったんです。皆さんにご迷惑をいっぱいかけてしまって……令嬢としてとても軽率だったと思います。とても反省しています。でも、私は楽しかったんです」

「アリア」


「ルバート様、もうよろしいのでは?」


 領事から声がかかる。


「領事殿」


 不機嫌さマックスな声、隠そうよお兄さま。


「先ほどもご説明した通り、ここは見た目ほど治安は悪くないですし、クーラント様は私たちの知人です。身元はきちんとしていますし、ここに詳しく顔も広い。ガイドとしては最高の人材です。私共の息子が騒いだせいで、余計な心配をおかけしました」


 領事がにこやかに頭を下げると、タクト先生は気まずそうな顔をした。タクト先生は領事夫妻の息子なのである。


「ええ、私が騒ぎ過ぎました。すいません」


 タクト先生が頭を下げた。

 お兄さまは不本意な様子で、私を腕の中から解放した。


「わかりました。今日はご迷惑をおかけしました」

「いいえ、懲りずに出島へ遊びに来てください。ルバート様にも案内したい場所がありますからね」


 領事はそう言って笑った。


 私たちは、領事館を後にした。

 夕暮れに染まる海の中を、小さな小舟でユラユラ帰る。

 お兄さまもタクト先生も無言だ。

 タクト先生の眼鏡が夕焼けを反射して輝いている。眼鏡の奥は見えなかった。


 私は海に落ちようとしている夕日を見ていた。

 お兄さまはずっと私と手を繋いでいる。

 だから無言でも、不安はなかった。


「アリア……。俺はね令嬢の君を心配したんじゃ無いよ」


 ポツリとそう言った。


「分かってますわ。お兄さま」


 それはもちろんわかっている。

 でも、私が公爵令嬢だから、領事館も先生も無視できず大きな騒ぎになってしまったのだ。


「お兄さまが好きよ。側にいると当たり前のように甘えてしまって、このままではいけないと、そう思ってもいるの。お兄さまの足枷にはなりたくないわ」


 ここへ来て思った。

 お兄さまと辺境伯の話す内容が私には分からない。

 明らかな勉強不足だ。お兄さまは政治的な話からワグナーの言葉まで、よく知っている。

 世界が見えている。

 私は、自分のいる学園という狭い世界ですら必死で、何も見えていなかったと分かった。


 出島の向こうの海域には、大きな戦艦が見えた。

 海賊が出るのだという。

 絵本で見た海賊しか知らない私は、まだいるのだということに驚いた。

 それくらい無知だ。


 ボートが揺れる。

 海の中の木の葉みたいなボート。

 転覆してもおかしくない。

 でも、道など関係なく自由に動ける。


 お兄さまはそういう世界に行ける人。


「足枷と思ったことはない」

「ええ、わかっています」

「アリアは今日一日でずいぶん大人になったみたいだ」


 お兄さまは小さく呟いた。


 愁いの混じった紫の瞳に、夕焼けの赤が混じる。プラチナの髪は潮風みたいに夕闇になびく。

 綺麗で儚げで、消えてしまいそう。


 怖くなって、少しだけお兄さまへ近づいた。


 それに気が付いたお兄さまは私の頭を抱き寄せた。


「あんまり急いで大人にならないで……。アリア」





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