25.サパテアードの領地にて
サパテアードの領地は、高速の汽車で二日ほどかかる。
途中の街で一度宿泊し、サパテアードへ向かった。
タクト先生と、お兄さま、お兄さまの従者、私とペルレの五人で向かう。
サパテアードは辺境の地だ。周囲は大きな山と森と海に囲まれた天然の要塞。森を挟んで海峡があり、それを越えれば敵国ワグナー国である。
海峡とは別の方角に港があり、そこには小島があって『出島』と呼ばれている。
そこが唯一ワグナー国と交易をしている場所になる。ワグナー国の品物は、この『出島』を経由してグローリア王国へもたらされるのだ。
サパテアード辺境伯の城では、好意的に私たちを迎えてくれた。
兄と私の部屋は近く安心できた。
サパテアード辺境伯とタクト先生は叔父甥の仲というけれど、少しあっさりしているように見えた。
なんというか、ビジネスライク?
私たちがいる間はタクト先生も同じ城にいることになっているそうだ。
早速荷物をペルレに任せ、私は城の中を歩いた。
辺境伯というだけあって、城塞を思わす居城は私にとっては珍しい。
小高い丘の天辺に、崖までぎりぎりに建てられた城だ。
崖下には海。
眼下には町が広がっている。
高い塔の一番上では、ワグナー国まで見えるらしい。
機能を失った一部を取り壊して、そこへ天文台を建てたというから、空が近いのだ。
騎士も侍従も王都の者よりたくましい感じがする。
何もかもが違うようすに、心が浮き立つ。
下町を歩く予定だからと、気軽なワンピース姿なのも学園のことを忘れさせた。
コルセットのない綿素材。避暑にはもってこいだ。
帽子の中に長い髪を詰め込んで、機動力は十分。
早く町へ行ってみたい。
新しいことを知りたい。
何が流行っているのだろう。
形ばかりになった低い城壁に腰掛け、ブラブラと足を揺らす。
すると、城壁の外から来た人に声をかけられた。
「こんにちは、お嬢さん」
「ごきげんよう」
私も答える。
茶色い髪にサイドには黒いメッシュが入っている。吊り目の瞳は大きくて、オレンジよりの瞳がキラキラと光っている。
「はじめまして」
彼がそういうから私は微笑んだ。
なぜ、この人がここにいるのかはわからないけれど、私には見覚えがある。
多分同じ学園の三年生だったはずだ。
「ご挨拶はしたことありませんけれど、私は存じておりますのよ。わたくしは、アリア・ドゥーエ・ヴォルテと申します。あなたはクーラント・サルスエラ様、でなくて?」
そう言えば、心底驚いた顔になる。
まるで、猫みたい。
ふふ、と思わず笑いがもれた。
「驚いた。どうしてご存じなんです?」
「春先のパーティでお見掛けしましたの。その時一緒にいた方が、あの人はダメ、って言ったのよ。おかしいでしょう?」
そう言えば、彼はにっこりと笑って、ピョンと城壁に腰掛けた。外側からはかなりの高さがあるのに、身軽で驚く。
「おかしくないですよ。その人は正しい」
「そんなふうに見えないわ」
自分自身で『自分はダメ』なんて言う人、ダメなわけないじゃないか。
「忠告はしましたよ、アリア嬢」
「ええ、以後は自己責任ということね」
そう言えばクーラントは笑った。
学園にいる人なのだ。
身分の保証はされているはずなのに、面白い人だと思った。
「では、私のことはクーラントとお呼びください。実はあなたの兄上とも仲良くさせてもらっているんです」
「お兄さまと?」
「聞いていません? オレの悪口」
「聞いておりませんわ。でもなんで悪口なんて?」
「ほら、オレはあなた達の国のマナーとか知らないからね。口の利き方も悪い」
「違う国の方なのね。文化の違いは責められることではないと思いますわ。逆に私の方こそが、あなたに倣って、気さくに話した方がマナーにかなっているのかもしれないですもの」
他国の人間だと聞いて、一層警戒が解けていく。
あの学園での様々な事柄は、この人には関係ない。
「あなたではない」
「え?」
「クーラント、と」
「クーラント様」
「クーラント、です。アリア。オレの国ではそうです」
「ああ、そうなのね、クーラント。少し慣れないから変な感じだけれど、そこはお許しくださいね」
「もちろん、そこはお互い様です」
顔を見合わせて笑う。
「クーラントはどうしてここへ?」
「グローリア王国にいるうちにいろいろな街を見ておきたいから。アリアは? 公爵令嬢でしょ?」
「お兄さまと先生と、お勉強として辺境伯様のお世話になっているの」
「うえ、じゃあ、オレに会ったことは言わないで。めんどくさいから、オレは町で自由にしたいし」
「ふふ、わかったわ。その代わり、町であっても公爵令嬢ってばらさないでね」
「じゃ、約束だ」
そう言うと、クーラントは自分の唇に小指を当てリップ音をならし、その指を私の唇に押し当てた。
「それは、あなたの国の風習?」
「そう、内緒の約束はこうするんだ」
「私の国ではこうよ」
私は小指を絡ませた。
クーラントは驚いたかのように目を見開く。
「小指は約束の指なのは一緒なのね」
笑えばクーラントも笑う。
「じゃ、またね」
そう言うとクーラントは城壁から飛び降りて去っていった。
本当に猫みたいな人。
「アリア、町へ行ってみようか」
後ろから声がかかる。
お兄さまとタクト先生が歩いてくる。
軽装の先生ははじめてで、ラフなシャツ姿が地元っ子らしかった。
「ええ」
私は城壁から降りるとお兄さまに駆け寄った。
サパテアードの城下町は階段ばかりだ。
小高い丘に作られた街だから、下へ下へと街が伸びて行っている。
城に近い上部は、公共や商業の施設が多く、下へ行くほど下町になる。
中腹の公園へ行く。市場が立っているらしい。
様々な髪の色。服装も様々だ。エキゾチックな顔立ちの人々はどこから来たのだろうか。
見たことのないフルーツ、屋台の香りも香ばしい。かわいらしい小物など、目移りするものが一杯だ。
「賑わっているんですね。流通経路と課税はどうなっているのか興味があります」
お兄さまがタクト先生に話しかける。
タクト先生は頷いた。
「でも、まずは楽しみましょう。夏休みですから」
先生がそういえば、お兄さまは不思議そうに笑った。
「意外ですね。先生はもう少し硬い方だと思っていました」
先生は気まずそうに笑った。
「地元はいけませんね。仮面が剥がれてしまいます」
お兄さまはその様子を気がそがれたように見つめた。
ふぁ!? ルバートタクト? タクトルバート?
生徒先生の年下攻め下克上も美味しいけれど、大人のスパダリ先生攻めで生意気生徒を調教ってのも美味しいですよ! ね! 奥さん!!
新しい扉が今開かれん!!
……雑食です。幸せです。
突然、大道芸の音が響く。子供が集まっているのは紙芝居だろうか。
フラフラと近寄れば、お兄さまに手を引かれる。
「アリア、一人で行かない」
メっ、と子供のように怒られて笑ってしまった。
「では一緒に行きましょう?」
「ああ」
短く答えるお兄さまに、タクト先生が微笑んだ。
やばい、マジでヤバい。お兄さまと先生ヤバい。
先生と生徒&年の差&性別の壁 禁断が禁断過ぎてヤバい。
どっちに転んでも美味しいヤツや。
前世でこの旨みに気が付きたかった……神よ……。
「さあ、どこから見ましょうか?」
タクト先生が微笑んだ。
「アリアは何が見たい?」
「タクト先生のお勧めの屋台を教えていただきたいわ!」
「それはいい」
お兄さまも喜んで、三人で連れだって歩き始めた。
いろんな意味で、楽しい休暇になりそうだ。







