2.王子が従者と部屋にやってきた
保健室のドアがノックされ、ビクリと体が震えた。
「どなた?」
「アリア? 目が覚めたか? 入るぞ」
「ジークっ!」
ジークフリート殿下の声だ。私は慌ててカーテンに包まった。
髪を下ろしたところなんて、12歳を過ぎてから家の者にしか見せていないから恥ずかしい。
そんな無様な私を見て、入り口でジークは固まった。
ジークの後ろに控える、従者のラルゴも固まっている。
はずかしぬ。泣きたい。推しに固まられた。いや、二人して固まった姿はメチャカワ! 新規絵ありがとうございます。
じゃないよ! 私!
「……そんなところでどうしたの? アリア」
不思議そうに尋ねる声も最高です。
私はカーテンの隙間から少しだけ顔をのぞかせた。
「髪を解いてしまって……」
「こちらへ来て結んだら?」
「いえ、あの、自分では出来ないのです……」
不器用だと知られたくなかった。
裁縫などはいつだって無理して時間をかけていたのだ。気が付かれないように余裕ぶってはいたけれど、人前で上手に髪を結うことなんてできない。
「だから、このままでお話は伺います」
「下ろしたままでいいじゃない。こっちにおいでよ」
「……みっともない姿を見せられません」
そう答えれば、ジークはカーテンまでツカツカとやってきた。ごねる私に怒ったのだろう。
カーテンを抑える私の手を布の上から掴む。
そして、カーテンをむりやり少しこじ開けた。
こんな姿を見られたくない。
「お止めに……なって……」
恥ずかしくて顔を背ければ、耳元に風が巻き起こった。
「いつだって君はかわいい」
は、孕む、孕まされる!!
ってか、公式大丈夫!?
最高っひっはー!と喜ぶ心と、いやいや原作はそんなこと言いません!とか思っちゃってる一部分。
だって、ゲームではカノンちゃんに「アリアは強いから僕がいなくても大丈夫」とか言っちゃう人なんだよ! この人!
だがしかし、これが原作なんだから、原作と解釈違いとか? マジありえない。
混乱で真っ赤になって言葉を失う私を見て、ジークは笑った。
そして、カーテンの隙間からこぼれた白金の髪を一筋取ると、口づける。
「こんなふうに触れてみたかった」
「や、」
「君はいつもキレイにまとめているから、簡単に触れてはいけないと思ってた」
「そんな……」
「崩してみたいって……思ってた」
耳元で囁かれて、思わずヘナヘナとへたりこんだ。声だけで腰が抜けた。薄い本では何度も読んだが、三十路で彼氏なしの私は耐性無さすぎる。
カーテンをグルグルに巻いて顔ごと隠す。
ホント、いたたまれないから。勘弁してください。
「どうしたの? まだ、具合が悪かった?」
「いえ、本当に大丈夫ですので、どうかこのまま」
ジークは膝を付き座り込み、顔を隠す私の脇に手を入れた。グイと力任せに抱き上げられて、驚いた拍子にカーテンが手から離れた。
髪がハラハラと解ける。私は恥ずかしさのあまり、うつむいて髪の中に顔を隠した。それだけでは足りずに、両手で顔を覆う。
だって、相手は超絶イケメンなんだよ! 恥ずかしいわ! 近距離殺傷能力発動してるから!!
「顔を見せて? お姫様」
イヤイヤと頭を振って無言で答える。
すると、聞き慣れた低く落ち着いた声が響いた。
「殿下、どうされましたか」
そうだ! いたんだった! もう一人の攻略対象。ジークの従者ラルゴだ。ラルゴはジークの乳兄弟で男爵家の息子だ。私達は物心つく前から一緒に遊んでいる幼馴染でもある。
っていうか、今の見られてたー!!
「僕のお姫様が、髪が乱れて困ってるんだ」
「ならば、私が結いましょう」
「お前、そんなことができるのか?」
「妹がおりますので」
確かにラルゴには年の離れた妹がいた。
男のラルゴにすらできるのに、女の私ができないとか、本当に恥ずかしい。
「女性の髪は自分で結うのは難しいものなのです」
ラルゴはそう言ってくれた。多分優しい気遣いだ。
「そうか」
「アリア様、こちらに座ってください」
ラルゴの優しい声になだめられて、私は鏡の前の椅子に腰掛けた。もう、引きずり出されてしまったのだから仕方がない。
鏡越しに見るラルゴもとてもキレイだ。ジークとは対象的な黒くつややかな髪に、夜のように黒い瞳。いつでも優しく微笑んで私達を受け入れて、でも、きちんとたしなめてくれる大切な友人だ。
ラルゴが優しく私の髪を梳いた。優しい手つきに思わずうっとりとする。唇でコームを咥える姿が艶めかしい。目の保養になる。たまらない。
ジロジロ見すぎてしまったのか、鏡越しに目があってしまう。ラルゴは驚いた顔をしてから、フッと小さく微笑んだ。
私は気まずくなって、思わず目をそらした。
そもそも、美容院が苦手だった私だ。イケメンとか無理ですから、無理ですから!
「なんか、いいな」
ブスッとしたジークの声がして、鏡越しに見れば不機嫌そうにこちらを見ていた。
ああ、わかります、私に嫉妬してるんですよね? わかります、自分の従者を取られた気がするんですよね、ありがとうございます、ごちそうさまです。
腐った頭が歓喜して、思わず口角が上がった。
それに気がついたのか、ジークは顔を赤らめてそっぽを向くから可愛らしい。
あれか、好きな子には強く出れないけど、どうでもいい相手は手玉に取れちゃう本命には純情なビッチか、君は!! 滾るわ!!
ホクホクとすれば、不満そうな声が上がった。
「ヤケにご機嫌デスネ」
「ええ、尊いと思って」
主従は尊い。
光の主、影の従なんて呼ばれていたカプなのだ。
「浮気は許さないよ」
誰が誰に浮気をするのだろう。するとしたら、ジークだろう。浮気を疑うのは浮気願望が有るから、なんて俗説聞いたことあったな、確か。
ブーメランになるぞ、ジーク。
そう思ったら、ちょっとだけ悲しくなって、悟られないように微笑んでみた。
「失礼ですよ。殿下」
「ラルゴ……そうだな、冗談にしてもすまなかった」
ラルゴにたしなめられて、ジークが謝る。
「いえ……。ところで二人でこちらまで来るなんて……」
問えば、ジークは呆れたように肩をすくめた。
「アリア様が倒れたので心配なさってるんですよ」
ラルゴも何を言ってるんだ、というように答える。
「え、あ、ありがとう……」
「殿下の慌てようと言ったら」
「ラルゴ!」
ラルゴの言葉をジークが強く遮った。
ラルゴはイタズラっぽい目をして、ワザとらしく咳払いをした。
私は鏡越しにジークを見つめる。知られたくなかったのか、目がキョドってる。こんな顔するんだ、公式でも!!
「いつもは凛々しい君が倒れたんだから慌てたって無理はないだろう」
いや、そんな怒らなくても。確かに、いつでも『冷静沈着な殿下』にしては珍しいが、子供の頃のジークは感情豊かだったと思う。
「抱き上げてみれば……」
「は、抱き上げた?」
「当たり前だろう、誰が運ぶんだ」
それは、そうかもしれないけど、重いのバレた……。最悪だ。せめてラルゴに運んで欲しかった。
「意識のない人間は重い」
ハッキリ言うなよ、ジーク。
「そう聞いていたのに、君があまりにも軽くて」
は? いやいや重いですよ! アリアさん豊満ボディだもん!
「腰も細くて、今にも折れてしまいそうで……」
そう言ってジークは自分の両手をわさわさと動かして見つめる。
止めろ、感触思い出さないで!
「君ちゃんと食事はとってるのか!」
最終的にジークがキレた。
理不尽だ。
「ちゃんと食べてますよ?」
うちのご飯美味しいし。
「本当か?」
「本当です。特に痩せてもいません」
「ならばいいが、心配だ……、僕のいないところで万が一なんてことがあったら」
そうだ、ジークフリート王太子は心配性だった。ゲームでは主人公にだけに向けられていたと思っていたけれど、婚約者にも気を配れる人だったんだ。懐が広いのだろう。惚れるわ、いや惚れてるけど。
「終わりましたよ」
ラルゴの声が響いた。鏡越しにラルゴを見ればにっこりと微笑む。はー、癒し。
合わせ鏡で後ろの様子を見せてくれる。
「アリア様、いかがでしょうか」
きっちりとしたいつもの結い方とは違って、ふんわりと編まれている髪。なんだか、少し優しく見えてこれもかわいいなと思った。
自分大好きとか言うな!
「ありがとう、ラルゴ。とても素敵だわ。私ではないみたい」
「もったいないお言葉ありがとうございます」
私は立ち上がって、ジークに向かい合った。
そして深々と頭を下げた。
「心配をかけてすみませんでした。でも、心配していただけて嬉しかった」
だって、あのダンスの後なのだ。もう興味を失われていてもおかしくない。
「ありがとう、ジーク」
そう言って顔をあげれば、ジークは瞬きをして私を見た。
ジークは私を抱きしめた。
「すまないなんて謝らないで。君はもっと心配かけて良いんだから」
私はジークのシャツをギュッとつかんだ。嬉しい! けど、ハグとか慣れてないから! 慣れてないからぁ!!
「それにね……」
ジークは耳元に唇を寄せた。悪戯っぽい声だ。
「僕も謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
ギュッと胸が詰まる。もう、もう彼女の話になるのだろうか。
「ラルゴには黙っててね」
まだ秘密ということか。
確かに傷は浅いうちの方がいいけれど、婚約者に気になる女の話しちゃうとか、天真爛漫か?
「……抱いてるときにね、君の髪、ワザと崩したんだよ」
うぎゃぁぁぁぁ!! 死ぬから! 殺されるから。 ああ、もういい成仏します。CV誰だよ!? ジークフリートさまご本人だよ!!
スイマセン、錯乱してます。スイマセン!! すいませぇん。もう無理です。
天真爛漫とか言ってスイマセンでした、悪魔でした!
足もとがふら付いて、思わずつかんだシャツに力をかけてしまった。
すると、腰にジークの手が回る。
「まだよろめいてる」
物理じゃない! あなたによろめいているんです! もう無理、離れて。
必死で胸の間に手を入れて押し返す。
「だ、だ、大丈夫……です」
「本当に?」
だから無邪気にのぞき込まないで! 大好きなんだからね? 生まれる前から大好きなんだからね?
コンコンコン。
ドアがノックされて、ジークが私から離れた。
ラルゴが無表情で眺めていて、それがとてもいたたまれない。こんな姿見せられて、動じないとか、ラルゴ知らない間にいい従者になったね。
「アリア?」
声が響いてハッとする。
ラルゴが慌ててドアを開けた。
ジークも慌てて距離を取る。
「ルバート様」
ラルゴが頭を深々と下げた。
そこへ現れたのは、私の兄 ルバート・ドゥーエ・ヴォルテ。宰相の息子であり、攻略対象者のご登場である。