19.ジーク様がお怒りだ
「僕たちはこの先のカフェにいる」
ジークがそういうと、ラルゴが慌てたように振り返った。
「殿下! それは困ります」
「大丈夫だよ、あの斜め前の店だから見えるだろ?」
ジークがそう言い放てば、ラルゴは渋々と言ったように頷いた。外には運転手もおり、そこからも目の届く範囲だ。
ジークは私の手を乱暴に引っ張って外へ出た。
ジークはなんだか不機嫌で、私は怖くなる。
何か失敗したのだろうか。アウトってヤツか?
「ジーク」
「なに?」
「なにか怒ってらっしゃる?」
尋ねれば、驚いたようにジークは瞬きをした。
「そんなことはないけれど、そう見えた?」
「不満があったら仰ってください。私はなかなか気が利かないので……」
いきなり御成敗とか、本気で勘弁です。
「少し疲れただけ。そこで休んで待って居よう」
案内された席は、窓際の奥の席だった。ソファーになっている。ここなら運転手にも見えるだろう。
ジークはコーヒーを頼み、私はオレンジジュースを頼んだ。
ジークは私を窓側のソファーに誘導すると、私の横へどさりと腰かけた。その瞬間にジークの香りがフワリと漂う。
近い近い近い!
「興味がないものをこなすのはなかなかつらい。これも政務だとはわかっているけどね」
動揺していれば、珍しくジークの愚痴が零れた。
「そうですか……」
楽しんでいるのは私だけだったのか。
簡単に何でもこなしてしまうから、平気なのだと思っていた。王子もなかなか大変らしい。
「アリアは楽しそうだね」
「ええ。カノン嬢は可愛らしいですから……。私とは違うタイプのオシャレができて楽しいなと」
「本当に?」
「ええ」
「なら良かった」
言葉の意味を測りかねて、ジークを見つめた。
「君が傷つくかと思ったんだ、こんなやり方をして」
「どういう意味ですか?」
「嫌わないで」
私の目も見ないで、コーヒーを見つめてジークは呟いたものだから、自分に言われた言葉だとは思えなかった。
言葉を考えあぐねていると、ジークの左手が私の右手に重なった。
「でも、嫌だったら振り払ってくれていい」
言っていることが支離滅裂だ。
私が振り払えるわけないのに。
「この舞踏会の話が出た時、君に誤解されたくないって、そう思った。君に心配かけたくないって。アリア以外の誰にもプレゼントなんてする気はない。だから、全て相談してわかってもらおうと思ったんだ」
「そうだったんですね……」
なんだか疑って申し訳なかった。
「でも、君、微塵も嫉妬した様子を見せないから……」
スルリ、ジークの掌が私の手の甲を撫でる。指先までゆっくり撫で上げるから、ゾクゾクする。
「僕は心配すらしてもらえないのかな? なんてね」
緑の目が覗き込んでくる。
卑怯だ。イケメンは卑怯だ。
顔が爆発しそう。無理すぎる。
「ジーク……」
小さく呟けば、指先まで登ったはずのジークの長い指が私の指と指の間に入って下がってくる。
その柔らかく微かな感触に、そこから溶けてしまいそうだ。
「なぁに?」
クスクスと笑うジークの余裕な声。
嫌わないで、なんて言った同一人物だとは思えない。
「止めて?」
「なんで? 婚約者でしょう?」
「でも」
「解消するなんて、冗談でも言わないで」
ジークの指が悪戯に私の指の間を行き来する。
ゾワゾワとした感触があまりに甘美で、まともに思考が働かない。
「っ」
一瞬、頬にコーヒーの香りが触れた。
同時にギュッと手の指と指を絡められる。
……アリアはコンランした。
「ね? 約束」
「……はい……」
うつむくのが精いっぱいで、ようやく答える。
そもそも冗談で言ったりはしないけれど。
ジークは下から覗き込んできて、コーヒーの香りがそっと近づく。
私は慌ててジークの唇を、左手でそっと押し返した。
いやとか、そういう場合ではない。
何が起こってるんだー!!
「婚約者なんだから、恋人より仲良くて当然なんだよ、アリア」
まるで洗脳のように告げられて、そうなのかと思ってしまう。
このままこうやって流されてしまっても。
「ジーク、様」
ラルゴの息の弾んだ声にハッとする。
肩が揺れている。走ってきたのだ。
そう、ここは窓際だ。
恥ずかしい。はずかしい、はずかしい!! ジーク、君は露出狂なのか!!
私の動揺などどこ吹く風で、もっと二人っきりになりたいねと、ジークは二人の意志みたいにコーヒーの香りの囁きを残して離れた。
「早かったな、ラルゴ」
「お待たせして申し訳ございません」
「もっとゆっくりでもよかったのに」
「主を待たせるわけにはいきませんので」
「へえ? 殿下、じゃなかったけどね」
そうジークが告げれば、ラルゴは耳まで真っ赤にして、汗をぬぐうように顔を拭った。
んん? んんん? 余裕なくして昔呼びとか、ら、ラルゴが、かわいい……。
これは、主が従者の気を引きたくて見せつけたヤツか?
私当て馬か!?
あて馬、バッチこい!!
アリアのあて馬役は薄い本でキチンと履修済みだから!
言葉を失ったラルゴに、ジークは楽しそうに笑った。
「ラルゴも何か頼みなよ、休んでいこう」
ラルゴは渋々頷いて向かいの一人掛けソファーに座った。
「それでは、アリア様は飲めないのでは?」
ラルゴが恨めしそうに私の繋がれた右手を見る。
慌てて、ジークの手を離そうとすれば、ギュッと握りこまれる。
「アリアは婚約者の自覚が足りないようだから」
ジークはニッコリ笑うけど、目の奥が笑ってない。
「今日はちょっとした罰ゲーム」
そう言って、ジークは私のグラスを取り、ストローが咥えられる高さまで持ち上げる。
「これで飲めるね?」
イヤイヤイヤイヤ。
二人の痴話げんかに巻き込まれるとかね、当て馬として本望ですけどもね?
それ以上に、恥ずかしいわ! 物理的には飲めますよ、ええ、飲めますけど、精神的に無理すぎる。
イケメン二人がガン見してるところで、ストロー咥えるとか無理絶対。なんか失う、なんかわかんないけどなんか失う気がする。
助けを求めてラルゴを見れば、ラルゴはそっと視線をそらした。
ラルゴが見捨てた! いや、ラルゴに見捨てられた!!
っていうか、そうだった。この二人、私をイヂメル時の結託、連携は上手かったそうだった。
クッソ、健在か。
まだ健在のチームワークか!!
私は半泣きになって、目だけでラルゴに助けを求めた。
「ほら、またラルゴを見てる」
ジークが、私の唇にチョンとストローを当てた。
やめて、やめて、繋がった手が汗ばんでくるからやめて。
イケメン、殺傷能力自覚して!!
キュッと唇を噛んで、フン、と横を向く。
二人ともカノンちゃんにはこんなことしないくせに! もっと紳士的な癖に!!
こちとら、原作のジークとラルゴの態度知ってんだからな!! ふざけんな!
もう怒った。イケメンの癖に二対一とか、許さん。
子供っぽいけれど、向こうだって子供っぽいのだ。
「も、いらない」
私は子供の頃のように拗ねて見せた。
ジークの手の力が弱まる。
「アリア様?」
ラルゴが心配したように名前を呼ぶ。
「しらない」
カタンと音を立ててグラスが置かれた。
「ありあ? 泣いてる?」
伺うようなジークの声。
私は横を向いたまま、ジークの問いには答えない。
「おこった? だって、君が」
ジークの言葉には答えない。聞こえないふりをする。
そう、二人にはこれが一番効くのだ。
やりすぎた時のお灸には、無視が一番。
「アリア様、ジーク様も反省しておりますし……」
「ラルゴなんか知らない」
私を見捨てたくせに、と言外で語ってみせる。
「っあアリア様、先ほどは申し訳ありませんでした。あまり、あなたにお答えするとジーク様が」
「僕のせいにするのかラルゴ!」
「いえ、や、でも、」
「どうせ僕のせいなんだろ」
ジークが私の手を放そうとしたから、逆に私が力を込めて握り返す。
「……アリア? 許してくれるの?」
ツンとしたまま答える。
「ごめんなさいは?」
「は」
「ジーク、ごめんなさい、でしょ?」
「でも……」
ジークは不満げだ。
「ごめんなさい、は?」
「……ごめん、アリア」
謝罪を引き出して、満足して私は二人に顔を向けた。
絡んだ指を解いて、オレンジジュースを飲む。
うん、満足。美味しい。やり遂げた後の、ストレスマックスだった後のビタミンCは身に沁みる。
自然とほほ笑みが漏れれば、緊張していた様子の二人も、ほっと息をついた。
「ほかに何か食べ物も頼みますか?」
ラルゴがメニュー表を開いた。
大きくて豪華なパンケーキが売りらしい。
「皆でシェアしましょうか?」
ちょっとだけ食べてみたかったから、悪戯みたいに提案する。
貴族としてはらしくないけれど、子供の頃、お互いの家ではそんなことも許されていた。
今日は幼馴染気分なのだ、少しくらい許されるだろう。
「パンケーキのシェアなんて、何年ぶりだろう」
ジークが笑って、ラルゴがそれに頷いた。







