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14.眼鏡の向こう側

タクト先生目線のお話



 私はタクト・コラパルテ。シンフォニー学園の歴史学の教師だ。

 

 歴史学の準備室を整理しながら彼女を待つ。

 今日はどんな物語を持ってくるのだろう。

 彼女は星座の話が好きなようだから、神話を薦めてみるのもいいかもしれない。軍記物は登場人物が多いから、彼女にはまだ早いだろう。

 そう考えながら、資料をあさる。

 何か面白いものを見せてやりたい。


 言葉だけでなく、風俗や雑学を知ることを彼女はとても喜ぶのだ。

 きっと彼の国全体を理解したいに違いない。



 彼女―― アリア・ドゥーエ・ヴォルテを知ったのは、入学式でのことだ。

 美しく聡明な生徒は、すでに職員室で話題になっていた。ジークフリート王太子殿下の婚約者であることも、関心の一つであったと思う。


 優秀で真面目、それが教師全体の評価であった。

 私は特段興味も覚えなかった。

 そんな生徒はたくさんいるからだ。


 そんな私が彼女に興味を持った理由。

 それは、彼女が落としたであろうワグナー語のメモだった。


 私の管理している図書館の空中庭園で、そのメモを見つけた時、目を疑った。

 知っている文字。

 しかし、ありえない文章。


 この国では昔から、子女にはワグナー国のことを学ばせない。

 それなのに、この国の淑女の中の淑女と言われる彼女の筆跡で、ワグナー語が綴られていたからだ。

 しかも、私の空中庭園で。


 いや、立ち入り禁止と言うわけではない。

 私が管理していることも公にはしていない。

 だから、色々な人たちがここを訪れていることは知っているし、それを咎めるつもりもなかった。

 ただ、最近、草木がいやに瑞々しいと思っていた矢先のことだったから、私は少し訝しんだ。


 本当に、アリア・ドゥーエ・ヴォルテなのか。

 果たして何かの意図があるものなのか。


 考えて、私は会ってみることにした。

 空中庭園へ来ている者に。




 そして、あの日、扉が開かれたのだ。


 バンと音を立てて開かれたドアに私は驚いた。

 淑女らしからぬ振る舞いに、まさかそこにアリア・ドゥーエ・ヴォルテがいるとは思わなかったからだ。

 アリアは私を認めると、気まずそうに微笑んで、取り繕った優雅な歩みで私から見えないベンチへと身を隠した。


 彼女の座ったベンチの方から、セイヨウカノコソウの甘い香りが漂ってくる。

 

 私は静かに彼女を観察した。


 この空中庭園の主ともいえるブルーグレーの猫が慣れたように彼女へ近寄る。

 彼女は戸惑った顔をして、猫をあしらいきれずにいた。

 

 微笑ましい。


 そう思い、声をかけるチャンスだと思った。

 声をかけてみれば、逃げようとする。

 学園内で堂々とふるまう彼女とは違い、心が揺れた。

 引き留めたい。

 

 猫の毛を指摘すれば、彼女は爽やかに笑って、風の魔法でその毛を飛ばした。

 

 そしてそこで私は合点がいった。

 ここの緑が生き生きした理由に思い至ったのだ。


 セイヨウカノコソウの甘い香りが漂ってきたのは、きっと彼女の手に寄るのだ。


 ここは高いところにあり、強い風の影響を受けないよう、少し壁が高く作られていた。

 そのせいで風通しが若干悪いところがあったのだ。

 彼女が来て風を通すことで、草木が緑を増したのだろう。


 私は確信した。


 あの文字を書いたのは、間違いなくアリアなのだと。



 それを指摘すれば、アリアは怯えるような顔をした。

 それはそうだろう。

 淑女にすれば『はしたない』ことなのだから。

 きっと家のものに知られたら、叱られてしまうことだ。


 でも、この文面。この言葉を知って私は天文学に興味を持った、その言葉を彼女が記した。


 ≪星影は古より来る光≫


 だから興味を持ってしまった。

 聞けば、興味津々で食いついてきて、この子自身が知りたいのだと分かった。


 知識欲は止められない。

 実感としてわかっている。


 だから、個別指導は私からすれば深い意味なんかなく、自然の流れだったのだ。





・・・





「この部屋綺麗になったよね」


 歴史学の部屋で、冷やかすような声が響いた。


 この学年の三年生、クーラント・サルスエラだ。

 彼と私は昔馴染み、ということにしておこう。


「アリア嬢が来るようになってから?」

「……以前、彼女の前で資料を倒したことがあったので。それから彼女がたまに見かねて勝手に片づけているだけです」

「ふーん? 優しいんだ? 彼女」


 伺うような声色を私は無視をした。


「あんまりいい噂聞かないけどね」

「そうですか?」


 知っている。職員室でもその話題が上がっており、教師は半信半疑でありながら注視しようということになったところだ。


「知らない? あの有名なカノン嬢を虐めてる主犯だってもっぱらの噂だよ」

「そうですか。よく見ているんですね」

「……いい子ちゃんかと思ってたけど、恋が絡むと女は怖いねぇ」


 彼女はそんな人ではない。そう思うけれど、私には説得する言葉がなかった。たぶんそれに、この噂は誰かが意図的に流している、そう思う。

 例えば、彼とか。


「クーラント君はカノンさんが目的なのでは?」

「そうだよ? タクト……センセイも、そうでしょ?」

「そうですね」

「でも、アリア嬢も気に入っちゃった?」


 私はその問いに答えない。


 気に入った、のだろうか。


「君こそ、大分アリアさんを見ているようですが、またあの悪趣味な目を使ったのですか?」

「オレにとってはいい目だよ」

「アレは使いすぎると、とりこまれますよ」

「何度も聞いたよ」

「戻れなくなる」


 甘美なものは使い方を誤ると害をなすのだ。


「知ってるって、煩いな」


 クーラントは怒ったように私を睨みつけた。


「こんなの出してきちゃってさ、センセイの宝物でしょ?」


 クーラントが、星座板を指で回す。

 この星座板を見ながら、星座の物語を解説するのが最近の流れだから置いてあるだけだ。


「資料ですよ、ただの」

「ただの資料、ね。『彼の国』にだって、五つもないだろ」


 クーラントは意味ありげに笑った。


 サイドにメッシュの入ったこげ茶色の髪をかき分けて、その奥の猫の目のようなカッパーの瞳を輝かせる。


「オレも仲良くしようかな。アリア嬢と」

「冗談はやめてください」


 思わず睨みつければ、クーラントはニヤニヤと笑った。


「もうそろそろ、彼女が来る時間かな? オレは退散するとしよう」


 そう言って彼はヒラリと教室から出て行った。

 私は大きくため息をつく。


 嫌な予感しかしない。


 彼は加虐的なハンターだ。もしかしたら。


 そう思って、フルリと頭を振る。

 彼だってバカじゃない。目的を違えることはないだろう。

 彼の目的は、何と言ってもカノン嬢なのだ。

 ついでに私を冷やかして遊んでるだけだ。



 コンコンとノックが響いた。


「失礼します」


 春風のような声と共に、アリアが入ってくる。

 私は彼女がドアを閉めたのを確認すると、この国では珍しい魔法の眼鏡をはずした。

 

 彼女の言う『太陽と月』の瞳があらわになる。

 私がずっと隠してきたもの。

 嫌ってきた、私自身。

 それを古の光と同じものだと彼女は言う。



 だからなのだろうか。

 彼女のことは、この偽りの眼鏡越しで見たくない。


 

 眼鏡をはずした私を見て、彼女は静かに笑った。






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