12.いけ好かない女
ある人のある目線の話1
いけ好かない女だ。
アリア・ドゥーエ・ヴォルテをはじめて見た時のオレの印象だ。
それは今も変わらない。
初めてアリアという女を見たのは、彼女が学園に入学する直前の舞踏会だった。
一糸乱れぬ髪は朝の光を集めたプラチナ。
長い睫毛に縁どられた切れ長な瞳は明け方の紫。
肌荒れなど知らないような象牙色の肌。
唇は、つややかに春の日差しを浴びて輝くサクランボのように赤く輝いていた。
頭の先からつま先まで磨き上げられて、寸分の隙も無い。
豊満な胸元は内側から発光しているように輝いている。豪華な宝石がこれ見よがしに飾り立てられ、砂時計のようにくびれたウエストにはこの国の王太子の腕が絡まりついている。
それすら当たり前のように受け入れて、羨望と情熱の膨れ上がった視線を、さも当然のように受け流すたおやかな微笑み。
踊れば優雅、語れば理知的、グラスを持つその指先でさえも光を帯びているような。
まるで、ガラスケースの中の人形みたいだな。
俺は鼻で笑った。
完璧すぎる。
いけ好かない女。
硝子一枚分、他人と距離がある女。
本心が見えない、嫌なヤツ。
そう思った。
一瞬だけ目が合った。
それは本当に一瞬だけだ。
もしかしたら、俺の勘違いだったかもしれない。
挨拶をするような間でもなかった。
あの女の耳元で王太子が何か囁く。
その瞬間あの女は。
完璧な作り笑顔を落っことし、蒲公英が花開くように素朴に笑った。
まるで恋する乙女のように。親の決めた婚約者に向かって。
それを見て俺は思ってしまったのだ。
この女、もしかしたら、泣くんじゃないかと。
あの完全無比な面の皮をひん剥いて、泣かしてみたい。
いたぶってみたい、そう思った。
・・・
二度目に見たのは、学園内の図書館。空中庭園だった。
オレの身体は、イヌハッカにまみれていた。
アリアという女は、オレを見て息を飲み、少しだけ様子を伺うと離れたベンチで本を読みだした。カミツレの花が揺れている。
どうやら、そこで本を読むのがあの女の習慣のようだった。
そこで何度かあの女を見た。
オレを横目に見つつ何を言うでもなかった。
ただ、よく目が合った。
好意を持たれていると感じる程度には、見つめられていた。
ある日、オレはカミツレのベンチに寝そべってみることにした。
そうしたら、あの女はどうするだろうと思ったからだ。
あの女はオレを見て微笑んで、それでも近寄ろうとはせずにセイヨウカノコソウの咲くベンチへと場所を変えた。
あの女が来ると、この空中庭園の空気が変わる。
今日もそうだ。
セイヨウカノコソウの甘い香りが漂って来て、その香りに誘われるように、俺はあの女のいるベンチへ向かった。
女はオレに気が付かないようだ。
一生懸命メモを取りながら絵本なぞを読んでいる。
オレは不思議になって、それを覗き込んだ。
驚いた。
この国の言葉ではなかった。
この国では、『ケダモノの喚き声』と評される敵国の言葉、ワグナー語の絵本だった。
真摯な目でメモを取り、辞書を引く。
その様子は、ガラスケースの人形だなんてとても思えなかった。
ふと目が合う。
あの女は驚いて、蕩けるように微笑んだ。
無垢な少女のような笑顔に、オレは不意を打たれた。
今まで何度も見て来たけれど、あんな顔、初めて見た。
整えられた指先を、オレの前に晒すから、反射でその指先を嗅げば、古い紙の匂いがした。まるで令嬢らしくない。
そっと額にアリアの手が乗った。
ゆっくりと撫でられる感触が心地よい。
アリアは俺の瞳を見て、叫んだ。
「ああ、おぬこさまっ! 両目に月と太陽を宿してらっしゃるのね!」
その言葉に打たれた。
不吉だと言われるヘテロクロミアを、こんなふうに言うなんて。
心が震えた。この言葉を聞かせたい人が居る。
強張って見つめるオレにアリアは謝ってくるから、そうじゃないと伝えたいのに、オレの喉は言葉を紡がないから。
触れようとして、逡巡する。
女は男の前では獣をかわいがるふりをするが、男がいなければ忌む者が多い。
塵一つ付いていない制服に、わが身が触れたら嫌われるだろう。
そう思って触れようとした手を引っ込めれば、アリアは膝の本をどけオレを誘った。
あの女が。
気取った公爵令嬢が。
オレを誘ったのだ。
「どうぞ、おぬこさま」
オレはそこへ飛び乗って丸くなった。
温かくて柔らかい。
体温と呼吸が響いてくる。
アリアは愛おし気にオレを撫でながら、ゆっくりと本を読んだ。
甘美な時間は無粋な男の登場で破られた。
アリアの兄が迎えに来たのだ。
オレはすっかり興が削がれ、空中庭園から出て行った。
どうせまたこの女は来るのだ。
あんなにオレを好いているのだ。
困らせて、いたぶってやろう。
ああ、面白い。
こんなに面白いことは初めてだ。
オレの心は今までにないほどに高まった。







