11.ラルゴの独唱
ラルゴ目線の小話です。
私はラルゴ・フェローチェ。
グローリア王国の王太子 ジークフリート・アドゥ・リビトゥム殿下の従者であり、乳兄弟だ。
ご令嬢の会話の中心にアリア様がいて、華やかだと思った。
同じ制服を着ているはずなのに、なぜか彼女だけ輝いて見える。
先日、私が結った髪型が気に入られたのか、近頃は同じような結い方をしているのが、とても嬉しい。
そしてその髪型を褒められるたびに、彼女ははにかんだように微笑むのだ。
初めてその豊かな髪に触れた瞬間。
妹の髪を何度も結ってはいたけれど、指が震えた。その髪に触れるのを、何度も夢見ていたからだ。
サラサラと落ちる白金の絹糸のような髪はつかみどころがなく、たおやかだ。柔らかく香り立つのは、アリア様の匂い。
先程殿下が口づけた気配を消すように、豊かな髪を丁寧にとかした。
分かりやすい嫉妬。
私は求愛さえ叶わない。だから、手を貸す振りをして触れるだけだ。
まさか、こんな形で髪に触れられるとは思わなかった。
自分好みの髪型の彼女を見ることが叶うとは思わなかった。
信頼して私に身を任せる姿は、たまらなく愛おしかった。
守りたい。そう思うただ唯一の女性。
殿下に問われて、首に下げたペンダントを見せる。
中には昨日殿下がアリア様に贈った花と、少し前に私が贈った砂金が詰められていた。
それを見て私の心が躍る。
私もそばに置いてくれる。
彼女が好きなのはジークフリート殿下だと私は知っている。
それでも。
彼女の心の片隅に、私の居場所があるならば、それだけで幸せだ。
私は、物心つく前から両親と王宮内に住んでいた。母が私を身ごもったことで、乳母となるべく召し抱えられたからだ。
そのため、ジークフリート王太子とは兄弟同然に育ってきた。
しかし当然、王子と同じようには扱われない。
同じことをしても、私は咎められ、王子は咎められない。
同じことをしても、王子は褒められ、私は無視をされる。
ジークフリート王太子は殿下と呼ばれ、私はラルゴと呼び捨てられる。
母は私より王子を優先する。
仕事だから。当たり前。
身分の差。当たり前だ。
でも、子供の私には辛かった。
自分だけが要らない子のように思えたのだ。
アリア様だけが唯一、殿下と私を同等に扱った。
殿下はジークと、私はラルゴと呼び捨てて、半分こにするものも同じ、怒るときも同じように怒り、喜ぶときも同じように喜んだ。
だから私は彼女の前にいる時は、母の前にいる時よりも、子どものままでいられた。
私が初めてアリア・ドゥーエ・ヴォルテに出会った時のことは、まったく覚えていない。ヴォルテ公爵家は王室と親戚関係にあり、同じ年の彼女は小さいころから気さくに出入りをしていたからだ。
そして、当然のように婚約者候補と言われ、誰も異を唱えなかった。
ジークフリート王太子も。
アリア様自身も。
私たちは小さいころから仲よく遊んでいた。
三人で悪戯をし、三人で怒られた。
騎士ごっこをすれば、お姫様は当然アリア様で、私たちはナイトだった。
お姫様ごっこの時は、殿下が当然プリンスで、私はナイトとなる。
何時からか、私はそれを『ズルい』と思うようになってしまった。
王子になりたかったわけではない。
すぐそばで、王子に対する帝王教育を見ていれば、それがいかに大変なことか身にしみてわかるからだ。
あんな思いをして王子になりたいとは思わなかった。
でも、アリア様に愛情のこもった目で『王子様』と呼ばれるのが、殿下一人であることがズルいと思えたのだ。
ナイトは二人でもいいのに、だ。
しかし、言葉にはできなかった。
乳兄弟として、ゆくゆくは従者、殿下の騎士となるべくして教育されていたからだ。
アリア様は幼い時から、殿下のことが大好きだった。
だから、厳しい王太子妃教育に小さいころから励んできていた。
それはひとえに、殿下のためだと思うのだが、殿下はその辺のことに気が付いていない。当然だと思っているのだ。
自分のためにアリア様が努力していることを、それほどの愛を受けていることを当たり前としていた。
それが私にはもどかしくもあった。
私だったら、もっと喜ぶのに。
私だったら、もっと――。
ダンスの練習で疲れていても、遊ぶときにはおくびにも出さない。
追いかけっこで転んでしまっても、殿下は逃げることにばかり夢中でアリア様に振り返らない。
だから私は駆け寄って、彼女の手を取った。
その時だけは。
殿下より先に、彼女の異変に気が付いた時だけは、堂々と私が手を出すことが許されたからだ。
だから、あの時も迷わずに彼女を抱き締めた。
抱き上げて運ぼうとすれば、珍しく殿下に彼女を奪われた。
驚いた。
そして、子供の季節が終わるのだと思った。
十歳になっていただろうか。
アリア様が、暗い顔で歌集を抱きしめていた。
まだ殿下は勉強中で、私たちは二人で殿下の帰りを待っていた。
「どうしたの?」
そのころはまだ、私は敬語を使っていなかったのだ。
「どうしても、みじかうたが覚えられないの」
アリア様は泣き出しそうな顔だ。
「ジークはもう覚えたんですって」
みじかうたの歌集は貴族であればだれでも諳んじられるものだ。日常会話から、ラブレター、ジョークまでみじかうたの引用が使われたりする。
出典を思い浮かべられない程度の人間は、低能だと思われる基本の知識なのだ。
「ラルゴはもう覚えた?」
私はもう覚えていたが、そこはあいまいに濁した。
頑張り屋のアリア様が追いつめられたら可哀そうだと思ったのだ。
「だったら、一緒に勉強しない?」
「一緒に?」
「ジークの勉強が終わるまで」
「! うん!!」
そうやって始まった私たちの勉強。
勉強の終わりには、王宮で分けてもらったお菓子を、みじかうたの番号を書いた紙に包んで、アリア様に渡した。
そして、自分の歌集を一緒に渡す。アリアの瞳と同じ、紫色の歌集だ。
「お菓子の包み紙に『みじかうた』の番号を書いてプレゼントするよ。だから、それをこの歌集から探して線を引いてね。そして、紙に書いてある歌を覚えたら、お菓子を食べて良いよ。こうしたら覚えられそうでしょ?」
「ありがとう!」
アリア様は満面の笑みで笑って、私の歌集を抱きしめた。
初めの番号は今でも覚えている。
でも、それは秘密だ。
今思えば、その頃には私はもう彼女に特別な気持ちを持っていたのだと思う。
私は同じ歌集を買い替えて、裏表紙に彼女のイニシャルを書いた。
そして、贈った番号に自分でも線を引き、同じものが彼女の手にあるのだと、ひっそりと思った。
最初は手元にあったおやつを包んだ。
次第に彼女のために菓子を選び、贈るのが楽しみになった。
それでも、自覚はなかったのだ。その想いがなんであるか。
それなのに、解っていたのだ。あの頃から。
言葉にしてはいけないと。
そして、私たちが十二になって、殿下とアリア様は婚約式を挙げられた。
王宮の教会で、身内だけ集まった婚約式。
この国の婚約式とはもともとそういうものだ。
神様の前で、ペンを取り未来を約束する二人。
シルバーフロックコートの殿下は何時にもましてきらきらしく、薄紅のドレスのアリア様は可憐だった。
潤んだ目で殿下を見上げるアリア様の表情に、私は胸を撃たれた。
その時、初めて自覚したのだ。
私はアリア様を特別に思っていたのだと。
その想いに、気が付いて、そのことが恐ろしく、恥ずかしく、誰にも言えず、言ってはならず。
気が付かれてはいけないと、蓋をした。
その日から、私は、私と名乗り、ジークを殿下と、アリアには様をつけて呼ぶようになった。
身の程をわきまえるために、自分自身を戒めるために、線を引いた。
それでも、彼女がみじかうたを覚えてしまってからも、私はことあるごとに歌を贈った。
私の言葉を贈ることはできない。
それは迷惑にしかならないと知っている。
でもこれは、子供の頃から続く幼馴染同士の遊びだから咎められることはない。
だから私は。
殿下のために苦労して、傷ついているアリア様を見れば、手を差し伸べるのは私の特権だと言葉を贈る。
こっそり口に忍ばせる小さなラムネを添えて。
誰にも、気が付かれないように。
アリア様にも気が付かれないように。
貼り出された順位を見て、戸惑ったのは私だけではなかったはずだ。
アリア様の顔を見れば、表面はにこやかに笑っていたけれど、瞳の奥が沈んでいた。
私にもわかる。
努力の域を超えた、才能の差。
きっと、これは殿下には分からない。
殿下は天才だから。
凡人の私たちにしかわからない、どうにもならない断絶。
そんなことで、アリア様に傷ついては欲しくなかった。
傷つくなと言っても無理だとはわかっていたけれど。
私はアリア様の机に、そっと紙包みを置いた。
唇に人差し指を当て、内緒の合図を送る。これだけは殿下にも秘密の遊びだ。
アリア様は子供の頃と同じ瞳の色に戻って、笑った。
この笑顔が見たくて。
傷つけたくないだとか、手を差し伸べたいだとか、そんなのは方便で、ただ私はアリア様に笑っていて欲しい。
彼女の笑顔が壊れなければ、後はどうだっていいのだ。
たとえ、この想いが化石になってしまったとしても。
みじかうたの番号は『L.476』
もう暗唱できる。
野に咲く菫の朝露を 袖に吸わせて持ち帰りたし
菫のようなあなたのその涙を拭うのが私だったらいいのに
言葉にしてはいけない想いをのせて
最初に贈った番号を今日もう一度贈った。







