10.火曜日の思惑
麗しいチャイムの音が響き渡る。
学園内に設置されたチャペルの鐘の音だ。授業の始まりの合図でもある。
先生とカノンちゃんが教室に入ってきた。
私の席はすでに前から二番目に移動されていた。
同情と好奇の目が刺さる。
特別クラスのホームルームが始まり、カノンちゃんが紹介された。
最前列の中央は、男女の一位が座る席だ。ジークの隣にカノンちゃんの席が用意されていた。
私はそれを後から見守る形になる。
クラス内は当然のことながらザワついた。
そもそも特別クラスに来るものは、そこそこの貴族が多く小さい頃から社交の席で顔見知りが多いのだ。『王太子の隣にはアリア』というのが、その世界では当然だったから、そのことが乱されることに不快感を覚えるものもいる。
昼食の時間になれば、当然話題はカノンちゃんのことになった。
そもそも女子が少ないクラスなので、みんなでサロンで用意される食事を取るのが自然と当たり前になっていた。私はジークやお兄さまととることもあったけれど、今日は是非にと誘われてこの席にいる。
しかし、弁当を持参しているというカノンちゃんはこの席に呼ばれていなかった。
ああ、憂鬱だ。こういう状況、絶対悪口大会になる。
「いったいどういうことなのでしょう。特例だなんて認めてよろしいのでしょうか」
中の一人が憤慨したように言う。
私は出来るだけ口を挟まないようにした。
公爵令嬢であり王太子の婚約者である私が何かものを言えば、それが正義になりかねない。いじめの主犯格になるつもりはサラサラないのだ。
「本当に先生方もおかしいですわよ。たまたま今回のテストが良かっただけかもしれませんのに」
「そうです、いつもなら学年が変わる際のテストがクラス分けの基本でしょう」
きっと、無視できないほどの成績だった。ということなのだろう。
「アリア様はどう思われます?」
問われてハっとする。
同情にまぶされた、引きずり降ろそうとする視線。
今まで気が付かなかった悪意がそこにある。
私に、私の口から、カノンちゃんへの害意を引きずり出そうとしている狡猾な友人たち。
「私はあまりよく存じ上げないので、なんとも……。きっと私よりたくさんお勉強されたのでしょうね」
「まぁ、アリア様……」
「次は私ももっと頑張らなくてはいけないわね」
努力が無駄だとは思わない。だけど、どうしても、天才にはかなわない。
だって、天才はその上に努力もしているのだから。ジークを見ていればわかる。天賦の才能に奢らずにさらに磨きを掛けた者だけが、正しく天才に成れる。
そのことはきちんと評価され、賞賛されるべきだと思う。
「それに先生もわからないことはジークフリート様に聞くようにだなんて……」
ズキリ、胸が痛む。ジークはクラス委員であり生徒会役員だ。そして、カノンちゃんの隣の席と来れば、当然不慣れな彼女の面倒を見ることになるだろう。
確かにそれを見せつけられるのは苦しいだろう。でも。
「ジーク様なら適任だと思いましてよ」
私はそう笑った。
「アリア様はお優しいのですね」
少し棘があるように感じられたが、にこやかに微笑み返した。
「そんなことありませんわ」
「それはそうでしょう?」
明らかに笑いを含んで弧を描く唇。
「今まではアリア様が隣でしたからご心配もなかったでしょうけれども、これからはあれほど優秀なお方が殿下の横に常におられるんですもの」
ゆっくりと見渡して、同情するように微笑みかけてくる目、目、目。
「……御心が乱されて当然ですわ。恋する乙女として、ねぇ、皆さま?」
「ええ、そうですわ」
「そのようなご心労は、当たり前のことでしてよ」
「恥ずかしがる事ではありませんのよ」
「わたくしたちにご相談なさって?」
「おかわいそうなアリア様」
「わたくしたちはアリア様の味方ですのよ」
反吐が出る。
ああ、これが本性だ。
今までは、仲の良い友人だと思っていた。いろいろと協力してくれて、話だって楽しくて。
でも、今見ればわかる。
心配だと口で言いながら、好奇心が丸出しの瞳。
人の不幸を喜んで、自分が上にいるつもりになっている。
確かに不安だ。それは本当だ。嫉妬だってしてる。しょうがない。だって、私はヒロインでも聖女でもない。
でも、昨日もらったジークの花を疑うのは失礼だ。
これから先、どうなるかはわからない。
それは誰だって一緒だ。ジークだけが責められるものじゃない。
だからといって、今の、この時の真実の気持ちを無下にするほど馬鹿じゃない。
社交の場に悪意があるのは当然だ。
公爵家として、羨まれ恨まれているのも知っているし、嫌味の数々は初めてじゃない。
だけど、あの物言いは、『あなたも同じでしょう?』と言っているのだ。
私たちと一緒に新参者を排斥しましょう、そう言っているのだ。
馬鹿にしている。
「ご心配ありがとうございます。皆様お優しいのね」
私を取り囲む令嬢たちは、満足げに優しげなほほ笑みを浮かべて来た。
「何でもご相談なさって? お力になりますわ」
そう告げられて、ゆるく首を振る。
私を主犯格にしようとしているのが見え見えだ。
「お気持ち嬉しいわ。でも、私にはジークがおりますから」
微笑んで周りを見れば、優し気に微笑むその瞳の奥が小さく凍って見えた。
「昨日も殿下から花を贈られましたのよ。きっと私が気落ちしているのを心配してくれたのですわ。そのような心遣いをいただいているのに、心配することは失礼かと思いなおしましたの」
ここまで言えば伝わるだろう。
この件で主導するつもりはないということが。
「まぁ、相変わらず仲のよろしいことですのね」
納得いかない声色が返ってきてたが、私は微笑んだ。もうこの話はおしまいだ。
牽制は出来たはず。話をそらさなくてはと思った。
「そんなこと……私が勝手にお慕いしているだけです」
そう言って、私は胸元に隠していたペンダントを取り出した。
昨日の夜作った、ハーバリウムだ。
「けれど、殿下のお気持ちが嬉しくて、このようにしてみましたの」
これで話を逸らせれば良い。
小さな香水瓶の中に、キラキラと光るオイルが揺らめく。その中に沈む紫の花弁が幻想的に輝いている。
「まぁ!」
ご令嬢たちの目が大きく見開かれた。
女の子はこういうものが大好きだ。
もう、意識はハーバリウムに興味津々になっている。
「素敵ですわね」
「どこの職人ですの?」
話がそれて私はホッとした。
「簡単ですのよ。好きな小瓶にドライフラワーとオイルを入れるだけですもの」
「わたくしにもできるかしら? フィアンセからいただいた薔薇がドライフラワーになっていますの」
「出来ましてよ。今度一緒に作りましょう? きっと素敵な薔薇でしょうから、大きな瓶にしたら豪華になると思いますわ」
令嬢たちは、私はこんなふうに、などと話が盛り上がっている。
私はホッとした。
「おや、懐かしい」
背中越しに振り向けば、ジークがこちらを見て微笑んでいた。もちろん後ろにはラルゴも控えている。
「ジーク!」
周りの令嬢はジークのほほ笑みを見て、ポーっと頬を赤らめている。
わかるわかる。私も赤くなってるよね?
「その瓶は、むかーし僕が差し上げた香水瓶でしょう?」
「よく覚えてらっしゃいますね」
「とっても悩んだからね。アリアなら趣味の良いものを沢山持ってると思って。まだ持っててくれたなんて思わなかったよ」
「大切なものですもの」
そう答えれば、ジークはびっくりしたように目を見開いて、深く微笑んだ。
「それで、それはなに? ご令嬢の間で流行っているのかな?」
「昨日、ジークが贈ってくれたお花で作ってみましたの。ハーバリウムと申しまして、ドライフラワーとオイルを一緒に瓶に詰めたものですわ」
「へえ? 僕の花で?」
「とても嬉しかったの。どうしても持って歩きたくて」
嬉しかったことをどうしても伝えたかった。助けられたことを知って欲しい。
ジークは背中越しに手を伸ばして、マジマジと瓶を眺める。組紐が首につながっているから、顔が近くて首筋にジークの柔らかな髪が当たってくすぐったい。
「くすぐったいわ」
そんな不満をジークは無視をして香水瓶を眺めている。
「綺麗だね」
「ええ、とても」
「君の瞳みたいだ、いつまでも見ていたい」
耳元でささやかれて、ボッと顔が熱くなる。
「こうやってアリアのことも瓶に閉じ込めて持ち歩けたらいいのに」
なんて声で、なんてこと言うんだジーク様ぁぁぁぁ!!
なんなの! 乙女ゲームだよ!! だからこんなセリフ出てくるんだよ!
あんた、リアルでこんなこと言われてみ? 死ぬわ! とりま子供、二・三人産んでくる!!
「殿下!」
咎めるように声をあげれば、耳元でリップ音が響いた。
きゃぁ!とご令嬢方の歓声が響く。
「冗談、冗談。アリアとは手を繋いで歩きたいからね」
そういうとジークは手をひらひらとさせて、歩いていった。
ラルゴが遅れて頭を下げる。
そして、ハーバリウムを見て微笑んだ。
何も言わないけれど、きっと気が付いたのだろう。
感謝の気持ちが伝わったらいいな。
私は笑顔で二人を見送った。
食事を終えて、教室へ帰る道すがら、窓の下にカノンちゃんを見かけた。
一人ぼっちでベンチに座っている。
足もとにはリスらしい小さい影。ベンチにはたくさんの鳥が止まっている。
さすがヒロイン。
孤独な姿も、美しい。
気の毒だと思う。声を掛けたいとも思う。
でも、駄目だ。
彼女はここで孤独な時間を過ごすことで、攻略対象者に出会ったりするのだ。
原作厨な私は、『フラグをおってはいけない!』と心に強く刻み付けた。







