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第二話 おかわりを、もう一杯。②






「ねーちゃん!」

「ねーちゃん、ねーちゃん!」

 家に帰ると扉を開けるなり腰に衝撃を覚える。

 衒いなく抱きついてくるのは、一番末の弟。



「お帰り、ねーさん」

「うん、ただいま」

 勤勉で賢いクリス、やんちゃで人懐こいレオ、まだまだ甘えたなヴィンセント。上から順に十五歳、十歳、八歳となる。レナの可愛い弟達。



「買い物、ボクが行くって行ったのに」

「いいのよ、別に。足だって本当にもう大丈夫なんだから」

 レナはテーブルの上に買い込んできた食料を置く。



 レナが家に帰って来てから、数日が経とうとしていた。

 姿を消した間のことは、足を痛めて近くの洞窟で回復を待っていたということにした。

 とてもじゃないけれど、人狼の世話になっていたなんて言えない。



 人狼、はこの家においてあまりに重いワードだ。

 下二人の弟は幼かったためほとんど記憶にないようだが、両親とレナ、クリスにとってあの出来事はあまりに鮮烈で残酷だった。



 心臓は、今もその傷口から赤い赤い血を垂れ流し続けている。

 痛みはきっと永遠に続くのだ。



 辛いけど、この胸が今もまだちゃんと痛み続けることに、レナは時折ホッとする。

 忘れずにいることは、弟への弔いだと、そう思う。



「いい気分転換になった。…………まあ、余計なのには会ったけどね」

「アルベルト?」

 アルベルトのことは、家族はもちろんご近所含めて知るところだ。けれど彼が本気がどうかは誰も見極められていない。

 それほどにアルベルトは相手には不自由していないのだ。



「しつこいったらありゃしないんだから」

「嫁に来いってヤツ?」

「そうそれ」

「馬鹿だなぁ、ねーちゃんがあんなチャラっとしたヤツになびく訳ないよな。こうもっと懐の深いヤツじゃねーと!」

 訳知り顔で言うのはレオ。

「ねーちゃん、お嫁にいっちゃう?」

 ヴィンセントは不安そうに訊いてきた。

「いかないわよ」

「いった方がいいんじゃないの。アルベルトが相手なら反対だけど、ねーさん一応適齢期でしょ」

 クリスはなかなかに痛いところを突く。



 確かに早い子だと十六くらいには結婚するし、二十一、二になると周りの視線が居たたまれなくなってくるという。



「私はまだいいの」

 けれどレナにとって結婚はまだどこか遠いところにあった。自分の話としては考えられない。

「父さんと母さんだってまだまだ育ち盛りの息子がいて大変そうだし。ヴィンスなんてまだ八つだもの」



 父は役場に、母は街中の食堂に働きに出ている。レナは忙しい両親に代わり、家にいる時は家事や弟の面倒をみている。

 それを煩わしいことだとは思わないので、レナはまだしばらくはこの生活を続けたいのだ。



「それにほら、私でいいって言う人いないんじゃない? 条件あるし」



 森へ入ることを許容できる人。



 それがレナが結婚相手に望む絶対の条件。

 でもそんな危険を承知するような人間は、そういないと思われる。

 だって結婚は、相手と一緒に生きていくという選択だ。

 それを逆に行くような行動を、レナは条件にしているのである。



「正直ボクらだって、ねーさんが森へ行くことに賛成してる訳じゃないよ。すごく心配だし、できることならやめてほしい」

「…………うん」

 クリスの、家族の言葉は胸に刺さる。同意するようにヴィンセントがまた腰に縋り付いてにぎゅっと顔を埋めた。

 家族だって本当は賛成していないことを、レナも分かってはいる。

「だけど仕方ないって分かってる。ねーさんの気持ちが分かってるから、ボクらはやめろとは言えない」

 けれど、それでもレナは森へと分け入る。他にできることかがないから。

「今回も結局帰って来てはくれたけど…………でも心配させないで」

「……うん、ごめんね」

 悪いとは思いつつも、レナは謝ることしかできなかった。









 その夜、レナは布団の中で悶々としていた。



 アルベルトのことはまぁどうでも良い。

 ただ家族に心配をかけているのは、やっぱり心苦しい。



 自分は、いつまでこのままでいるつもりなのだろう。

 いられるのだろう。



 どこかで結婚して、家庭を築いて、穏やかな生活を営むことが、最善なのだろうか。

 そうすれば、家族も自分も、みんな安心できるのだろうか。



 今回の不在でも随分心配をかけた。

 人狼と遭遇し、同じ空間で過ごしたあの出来事はレナの胸の内にだけ仕舞われている。

 本当のことを言っていないこと、とてもじゃないけど言えないこと、それも心理的に負担になっていた。



 あれは、あまりに特異な人狼だった。

 あんなことはもう忘れてしまいたい。そう思う。



 不安定な気持ちを宥めようと、半ば無意識に右の手首を押さえる。



 押さえて、気が付いた。

 あるべきはずのものがないことに。



「え、ーーーーあれ?」



 ドクン、と胸の鼓動が大きくうねる。

 布団から出した腕には、何もなかった。



「嘘っ!」

 それではいけないのに。

「嘘嘘嘘っ! 嘘でしょう!?」



 そこには青い石の連なったブレスレットがあるはずだった。いつもいつも肌身離さず身に付けていたはずなのに。

 勢いよく布団を捲るが、もちろんない。



「やだ、どうしよ……」

 血の気を失って、レナはベッドから飛び降りる。

 ベッドの下、チェストの後ろ、机の下、とにかく隅から隅まで確認するが、どこにも見当たらない。

 あんなに大切なものを失くすなんてありえない。

「へ、部屋じゃないとか?」

 足を縺れさせながらレナは部屋の外へ転がり出る。

 階段、キッチン、ダイニング、必死になって廻るが、やはり見つからない。



「ねーちゃん? 何やってんの?」

「ねーさん? ヴィンスが起きちゃうよ」

 よっぽど物音を立てていたのだろう。目を擦りながらクリスやレオが顔を出す。

「ご、ごめん」

 どこに。どこにやったのだろう。



 身体が震えるのを何とか抑え込みながら、レナは記憶を辿る。

 家にないのなら、外か。



 今日、外出した時?

 いや、待て、二三日前に水回りの掃除をしたが、その時手首を気にした覚えがない。



 まさか、と思う。



「…………この間」



 森の中で、落とした?



「ちょ、ねーさん、顔真っ青だけど!」

「ねーちゃん、どうしたんだよ」

 森の中に落としていたとして、見つけられるだろうか。

 レナは冷たくなった手を握り込む。血の気の引いた指先が爪と一緒に手の平に食い込んだ。

「……クリス、レオ。帰って来たばかりで悪いけど、明日朝一番からまた出るわ」

 強張った声でレナは弟達に告げる。

「え、何でそんなまたすぐに」

 もちろん難色示されたが、他に余地はなかった。

「二三日戻らないと思うから、いい子でいてね」






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