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第一話 にがくて、あまくて、クセになる。③






 案の定、夕べ食卓に用意した皿は中身そのままに残されていた。

 ちっとも手をつけた様子はない。



 人狼が用意したものなど口にしたくないのだろう。

 それとも何か変なものでも入っていると思われたのだろうか。



 シンプルながら、これでなかなか美味しいのに。

 そう思いながら、一旦皿を下げる。温め直して自分の朝食にしてしまうことにする。



「食べないと、足の具合云々の前に飢え死にすると思うけど」

 声をかけると、彼女は据わった目付きでこちらを睨んだ。せっかく綺麗な顔立ちをしているのに勿体ないことである。

「お気遣いどうも」

 嫌味を言う余裕はあるらしいが、その顔には疲労が見て取れた。



「それにあまり寝てないだろう」

「人狼が傍にいてぐっすり眠れる人間がいたら、そいつの神経を疑うわ」

「殺気の有無くらい、レナ、君は分かると思ってたけど」

「馴れ馴れしく名前を呼ばないで」

「じゃあエル?」

「そういう問題じゃない。……殺気はもちろん分かるわよ。今のあんたにそれはない。でもそれが私が気を抜く理由になると? 殺気なんてものはね、いつでも出し入れ可能なのよ。要するに気分一つ。三秒後にあんたが噛み付いてきても、私はそれは有り得ないことだとは思わないわ」



 仰る通り。

 友好的な笑みを浮かべて擦り寄り、その笑顔のまま爪を振るえと言われれば、もちろんできる。



 彼女の警戒は正しい。

 けれどそう気を張り詰めていれば、消耗もまた激しい。

 これでは数日ももたないだろう。



 鋭い視線、深い怒り。ーーーーそして、怒りの底に僅かに見え隠れする怯え。



 ノアが思うに、彼女は過去にきっと人狼と出遭っている。出遭いながら、生き延びたのだ。



 もちろん、世間一般の人狼と出くわして、嫌な思いをしなかった訳はないだろう。

 彼女の向けてくる激しい感情は、経験がある者が向けてくるそれだ。人と人の間をするりと滑っていく伝え聞いた話ではなく、子どもに言い聞かせるための脚色された教訓話ではなく、実際に邂逅した者だけが抱ける、生の感情。



 一体、どんな人狼に出遭ったのか。

 その人狼は彼女の心にどんな爪痕を残したのか。



 興味はあったが、それを訊くのはあまりにデリカシーがない。



 彼女にとって、人狼は根源的に忌まわしい唾棄すべき存在。

 それだけがはっきりと分かる。



 確かに、と思う。

 人狼はそれほど愉快な生き物ではない。

 けれど全ての個体が無闇矢鱈に人間を襲うかというと、実のところそうでもない。

 もちろん、味をしめて好んで人間を襲う個体もいる。けれどそれと同時に、森の奥へ引きこもり人間とは一切関わり合いにならない者もいるにはいるのだ。



 そういうことを知ってくれたら、とノアは思った。

 人狼でありながら、けれどその異質さを自認しているからこそ、ノアは単に"人狼"とひと括りにされることに抵抗がある。



 ノア、といつでも家族はその名前を呼んだ。

 そう、ノアはノアという個として、他者に認識されたい。



 ーーーー人狼の身で、おこがましい望みだろうか。



 自嘲がほんのり口の端に浮かんだ。

 そうだ、おこがましい。自分はきっと、多くを望むべきではない。

 望んでも、手に入らないだろうから。



「…………朝の見廻りに行ってくる」

 椅子の背に掛けてあったローブを手に取りながら、ノアは言った。

「そう遠くないところに獣の気配がする。人狼ではないけれど、その足で滅多なことを考えない方がいい。命は惜しいだろ?」

「…………それは、もちろん」

 眉間の皺はそのままで、彼女は小さく同意する。



 扉を開けると薄く靄がかかっていた。このところ冷えてきた空気は、秋の訪れをはっきりと告げている。



 彼女を連れ帰ったことに後悔はなかったが、どうにも上手く処理できない戸惑いが、ノアの胸中には渦巻いていた。






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