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第五話 そうして二人は、向かい合わせに席に着く。④


久々の投稿となってしまって、すみません。

完結まで、あとちょっと……!






 長い話を終えたレナは、温かいお茶を出してもらい、その後部屋に通された。



"二三日、ゆっくりしていって。ね?"



 通された部屋は、その昔ノアが使っていた部屋とのことだった。

 綺麗に整えられてはいたが、主がいない今、やはりどこか室内はよそよそしい。綺麗に整えられ過ぎているから、そこに生活感がなくて、不在の気配が強まっているのだ。


 レナはベッドで丸まって、今日一日を反芻する。

 ここで、ノアの家族に巡り会った奇跡は、自分にとってどんな意味を持つだろう。

 彼の両親に会って、弟に会って、レナの胸は更に痛んだ。


 ノアがここまで温かいものを持っていたこと。

 独り立ちという避けられない通過儀礼により、ここから離れなければならなかったこと。

 多分ノアには寂しさや理想や憧れがあって、彼が森の中でレナに出会ったのは、そしてぶつかりがらも尚レナに好意を抱いたことは本当に奇跡と呼べるものだったのだ。


 レナは分かっている。

 ノアは森の中でたまたま見かけた人間の娘を単純に好きになったのではない。娘がレナという名前で、人狼を憎んでいて、家族が大切で、頑固で可愛いげがなくて、拒絶を示しながらも不思議と続く関係をうっかり切り捨てられない、そういう娘だと知って、心を寄せたのだ。


 他の誰でも良かった訳じゃない。

 ノアは本当にレナが欲しかった。


 レナが思っていたよりもずっとずっと重く。


 今日、この家に辿り着いて、レナはそのことが本当によく分かった。

 だって、彼女はとても幸せそうだった。

 この家はとても安心で安全な、一等とっておきの場所なのだ。

 彼女は、その全身でもって惜しみなく夫と息子達を愛し。

 彼女がそれほどの愛情を持てるのは、人狼が誰より彼女を慈しみ守り抜いているからで。




 あぁ、ノア、ノアはこんなに温かい場所にいたのね。

 こんな幸福な家庭を、無理だと思いつつも欲しがっていたのね。

 そして無理だと思いつつも、そこに私の姿を思い描いた。

 私、やっぱり全然分かっていなかった。

 あれだけ冬中悩んだクセに、ノアのことを、分かろうとしていなかった。











 今日、食事を終えたレナを見てから、彼女は息子に言った。

"ねぇ、フェルディ。この前採ってきてくれたあの木の実、何だったかしら赤くて小さいの。あれをまたお願いできない?"

"今から?"

"あれ、とっても美味しかったわよねぇ。せっかくだから、レナにもぜひ食べてみてもらいたいわ。そう思わない?"

"思うけど……"

 緑の瞳がちょっと躊躇いがちに揺れた。

"あそこ、かなり切り立った場所なんだよ。ボク一人だとちょっと……"

 まだ幼いとは言え、並外れた身体能力を持つ人狼が躊躇うような場所。そんな危ない、労力の必要とされる場所に、レナをもてなすためだけに向かうなんてとんでもないことだ。

 "あの、"

 私のことならお構いなくと言いかけて、でも上から言葉を被せられる。

"なら父様と一緒に行ってきてちょうだい? ヴォルフと一緒なら何も危ないことはないでしょう?"

"リディア"

 部屋の隅で黙っていた人狼が渋い声を出した。


 両者の意図は読めた。

 彼女はレナがこれから話し辛いことを口にしなければならないと分かっている。だから少しでも負担がないようにと、人払いをしようとしてくれているのだ。

 人狼はその意図を理解した上で、彼女をレナと二人きりにすることを嫌がっている。

 彼はレナをまだ全く信用していない。彼が相手ならレナなど一捻りだろうが、彼女が相手ならレナの実力を持ってすれば簡単にどうとでもできる。正体のはっきりしない相手と自分の大切な人を二人きりにしたくないのは当然のことだ。


"ウチにはジェイドがいるわ。ねぇ?"

 彼女の方も夫の心中はお見通しなのだろう。だが、たおやかな見た目に反して彼女はかなり芯が強いようだった。決めたことは押し通すタイプらしい。何気にこの家で一番強いのは、彼女なのではないかと思わせられる。


 ねぇ、と呼びかけられた狼は彼女の足元に侍ると、任せろと言わんばかりにわふんと鳴いた。

"あの"

 その様子を見て、レナは口を挟んだ。

"不安なら、私のこと椅子に括りつけるなり何なりしてください。口で言ってもそう簡単には信用できないと思うので、物理で手出しできないようにしてもらって構いません"

 正直、これから話す内容はレナには重い。できればまずは彼女にだけ聞いてもらいたいというのが本音だ。人狼に妥協してもらうにはそんな方法しか思いつかなくて口にすると、向かいの席で彼女が信じられないという顔をした。

"ちょっと、ヴォルフ、女の子にまさかそんな酷いことしないわよね……?"


 一拍の後。


 大きな大きな溜め息。


"ーーーーフェルディ、行くぞ"

"え、あ、うん"

 人狼の方が、折れた。

"足場が悪いのだから、安全に気を付けて道中ゆっくりね"

 にっこり。

 見事な笑顔にやはり彼女最強説がレナの中で濃厚になった。

"ジェイド、しっかり家を守れ"

 人狼はそう言い付けて、彼女の髪をさらりと指に絡めて梳いてから、レナの方をチラとだけ見て出て行った。

 念押しはしていたけど、その瞳はそれほど怖くはなかった。




"あのね、レナ"

 二人きりになって、彼女が口を開く。

"私の話を、聞いてくれる?"

 そこでレナは教えてもらったのだ。


 彼女がどういう経緯で、人狼と出会ったのか。

 出会ってからの人狼が、どんなだったのか。

 どれだけ心を砕き、二人の生活を守ろうとしてくれたの。

 そして、人間との確執。

 縄張りを捨て、新しい地へ移ったこと。

 その道中にあった、彼の命を脅かした出来事。

 もう二度と、彼と一緒に生きてはいけないのだと絶望したこと。

 奇跡的な再会と、争いと、それでも人狼が彼女に示した別離の道。


"何度も彼の生活を脅かして、とてもとても怖かった。自分がどれほど彼にとって不幸の種なのか、そのことを突き付けられるようで"

 彼女はまた、自分の生い立ちについても隠さず話してくれた。

 自分がいかに、人間社会に馴染めなかったかを。

"人間と人狼が一緒になることは、無理のあることじゃないかって何度も思ったわ。だけどやっぱり、私にはどうしてもヴォルフが必要だったの。ヴォルフが私を拒まないでいてくれるなら、その隣で幸せになりたかったの"

 今、こうしてただ穏やかに微笑んでみせるけれど、彼女のこれまでには様々な苦難があったのだ。人狼と一緒になってからも、ここまで子供を育て上げるのには悩みも多かったことだろう。

 人狼は彼女のために可能な限り豊かな心配りある生活を用意しているようだけど、森の奥深くに他に頼れる人間もなく女性が暮らしていくには、やはり不足はあるだろうから。


"ねぇ、レナ。人生は困難だらけねぇ"

 話終えて、彼女が苦笑した。

"普通に生きていても悩みは尽きないものだけど、私もあなたもまた随分と奇特な縁を持ってしまった"

 そう言って、それから何故か謝った。

"ごめんなさい、レナ"

 謝られることなど、何もないのに。

"でも、あの子と出逢ってくれて有り難う。ノアはきっと、何があってもあなたに会ったことを後悔したりはしないわ。あの子、きっとあなたに出逢えてとても満たされたと思うわ"

 こちらが、謝らなくてはいけないはずなのに。

"あなたには、辛い思いをさせたかもしれないけれど……"

 確かに、ノアに出会ってしまってからレナの心は、人生は揺らぎに揺らいでいる。悩み苦しんだ。でもそれはノアにも等しく言えることで。

"ノアは後悔していないと、そう言うかもしれません。でも、きっとすごく苦しんでる。いえ、これまでも、私は決してノアにとって安らげるような存在じゃなかったんです"

 レナは堰を切ったように話し出した。


 これまでの経緯を。

 自分の弟が人狼に殺されたことも、自分がいかに人狼を憎んできたかも、どれだけノアに対して辛く当たったかも。

 それでもノアがレナに心を砕いたことを、そしてそんな優しいノアが自ら姿を消してしまったことを。


 彼女が先に自分の話をしてくれたのは、レナがより話しやすくなるようにとの配慮だ。実際レナは彼女の話にきっかけを与えてもらって、随分助かった。


 母親に聞かせるには、随分酷い内容だと思った。

 こうして追い回してみてはいるけれど、結局レナはあなたの息子を受け入れることはできませんと、そう伝えているのだから。

"レナ、辛い話を聞かせてくれて有り難う"

 でも話が終わった後、彼女はそう言った。

 レナを責めるようなことは何一つ言わなかった。表情にだってそんなものは一片も浮かんでいなかった。

"レナ、いいのよ。そんな顔をしないで"

 レナはきっと酷い顔をしているのだろう。涙を必死に堪えているから、きっとものすごく不細工な顔に違いない。


 彼女が不意に吐息を零した。

"……ノアをね、人間的な温もりのある家庭で育てたのは私なの。人狼としては重荷になるだろう思い出を、私が沢山あの子の中に蓄積させてしまったの。あなたは、私のしたことに巻き込まれただけだわ"



 だから、あなたは何にも悪くないのよ、と。



 彼女はそう言って、ちょっとだけ泣きそうな顔をした。











 何も、責められなかった。

 何故か有り難うと言われた。そして逆にごめんなさいと謝られた。

 おかしなことだらけだ。レナは、そんな風に言ってもらえる資格なんてない。

 帰って来た人狼は、本当に真面目に息子と一緒に木の実を採ってきてくれていた。レナの方を見たが、何も言わなかった。彼女にも何も尋ねなかった。

 その後レナは夕飯を頂いて、食後に採ってきた木の実で作ったジャムをふんだんに使ったデザートを食べさせせてもらった。

 甘酸っぱくて、すごく美味しくて、胸に染みて。

 そしてこのノアが暮らしていた部屋に通された。


「……………………」 

 丸まっていたベッドから、むくりと身を起こす。薄明かりの漏れるドアの方へそろりと寄って行く。

 隙間からそっと向こうを覗くと、彼女と人狼がソファーで隣り合って座っていた。

 話し声はするが、内容は聞き取れない。別に、盗み聞きがしたい訳ではないが。


 何事かぼそりと呟いて堪えるように瞳を閉じた彼女の頭を、人狼がさらりと撫でた。そしてそっとそっと抱き寄せる。

 身を預けた彼女がまた何か言って、そうしたら人狼は優しくその頭に口付けを落とした。




 その光景を見て、本当に胸が詰まった。

 ーーーーそれは、レナには手に入れようがないものだから。






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