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第四話 煮込んで、溶かして、せんぶぜんぶ一緒くたにしてあげる。④






 アルベルトの奇跡的な帰還は街中の人間を歓喜させ、そして深く安堵させた。

 家族とクレア一家の喜びようは更にひとしおで、その様子を見ていると、改めてあそこでアルベルトの横を素通りしなかったノアには頭が下がった。一つの命は、こんなにも沢山の人の心に実は浸透している。


 という訳でアルベルト帰還のお知らせは街中を活気付け、どこか浮き足だった空気がそこらに蔓延している。アルベルト自身の顔の広さも影響しているだろう。レナはよくアルベルトを女性に目がないというような言い方をするけれど、基本的には女性に限らず老若男女問わずに交遊関係の広い人間なのである。


 そんな厳しい冬を目前に控えながらもどこか温かい空気に満たされた街を、レナは進む。

 目的ははっきりしていた。


 いつもの加治屋の前も、今日はそのまま素通りする。

 足を止めた店の扉の前で、暫しそのまま佇む。心は決まっていたけれど、やはり緊張しない訳にはいかなかった。

 一度ぎゅっと目を閉じて、深呼吸をしてから取っ手に手をかける。レナの緊張などよそに、扉は何の抵抗もなくすっと店内へと招き入れた。


「こんにちは」


「ーーーーこんにちは」

 真正面、店の一番奥から柔らかい声。

「お久しぶりです」

「……ご無沙汰してしまってすみません。本当はもっと早く伺うべきだったのに」

 ルイスはいつもと変わらぬ笑みでレナを迎えてくれた。

「仕方ないですよ。ここ暫くは皆落ち着かなかった。アルベルトさんが、あんなことになって」


 今日、レナは一つ、はっきりさせなくてはならない。


「もう少しで葬式を出すところだったと」

「えぇ、実際打ち合わせも始めていたと。葬式を済ます前で、良かったです」

 とは言え、そうしようとした家族の心情もよく分かる。残されたものは、何とかして気持ちに区切りをつける必要がある。そのための儀式なのだ。レナがカイルの血液を吸った土くれをかき集めたように。

「でも、レナさんは諦めなかった」

 ルイスの言葉に首を横に振る。

「諦めなかった訳では……正直、熊に襲われたと聞いて、絶対に無理だろうと思っていましたから。でも、例え骨のひと欠片でも、髪の一本でもなければやりきれないと、子どもじみた意地で森をうろついていただけです。私がアルベルトを助けた訳じゃない」

「でも、皆が嘆き悲しんでいるだけの中、足を動かし続けたのはレナさんだけだった」

 彼の声はずっと柔らかかった。その柔らかさのまま、向こうの方から核心へと飛び込んでくる。

「その事実が、この間のオレの告白に対する返事だと思うべきですか」

 今日はそのために来たんですよね、と問われる。

「失いかけて、その大切さの意味に気付きましたか?」

 レナは一度きゅっと口を結ぶ。言葉は用意してきていたから、胸の前で握った拳に意識を集中しながら慎重に声にしていく。

「アルベルトは、確かに大切な一人です。認めます。でもそれは男女の情愛ではないんです。だから、私が今日ここに来たのは、アルベルトを理由にするためじゃない」

 そう、アルベルトはレナの理由にはならない。そうではなくて。


「ごめなさい」

 はっきりと、告げた。

「すごく有難い申し出だったのに、嬉しいことなのに、私は、ルイスさんの気持ちを受け取れません」


 こんな自分を良いと言ってくれて、ハンターである自分を否定しないでいてくれて、それは本当に嬉しいことだった。穏やかなルイスの人柄を好ましいと思った。

 ーーーーこんな人なら、何の問題もないと思った。

 けれど自分に都合の良さそうな条件が揃っているからといって、そんな理由で人を利用するようなことをしてらならない。きっかけは何だって構わないと、ルイスはそう言いそうだと思ったけれど、それでもそこから先気持ちが変化する自信は全くなかった。

 せめてもの礼儀だと、レナはルイスとしっかり目を合わせて言い切る。

「アルベルトじゃないけれど、他に心を向ける先があるんです。だから、あなたとお付き合いはできません」











 そうですか、と少しの沈黙の後にルイスが小さく頷いた。

 こういう時の作法が分からなくて困る。サッとお暇したいところだが、タイミングも分からない。

「フラれちゃったかぁ…………いや、覚悟はしてましたけど」

「え」

「まぁ割にダメ元だったんで」

 浮かべられた苦笑は肩の力が抜けたもので、重苦しい空気ではなかった。

「相手は思っていた人とは違うみたいですけど」

 でも、と彼は続ける。

「何だか浮かない顔ですね」

 それは当然だ。

「ひ、人の好意を無下にする時に、明るい顔なんて」

 していたらおかしい。

「あぁ、いや、そういうことではなく」

 少し言いにくそうに、ルイスは告げた。

「レナさん、気にされているその方と上手くいってないのかな、と。何だか苦しそうで」

「え…………」

 そんなに変な顔をしていただろうか。というか、フッた相手に心配されて気遣われているとは何て体たらくなのだろう。

「心ってままならないものですね。確かにここにあって、自分の持ち物のはずなのに、ちっとも思い通りにならない」

 ルイスの言葉はその通りだった。

「だから、思い通りにならないなら、せめて謀ることだけはないようにと思ってるんです」

 そして、耳に痛い。

 レナは自分も相手も、全部を謀ろうとしている。人生には時に誤魔化しや詭弁が必要だと、そう納得しようとしている。

 そういう考えだって時には賢明な選択となるだろう。それは違いない。

 ルイスの言葉はより良い生き方に違いないが、今のレナには全く現実的ではなかった。

 それが、痛くて苦い。

「だからレナさんも、後悔は少なくて済むようにーーーーなんて失恋したオレが言っても何の後押しにもならないかもしれませんけど」

「……ルイスさんを見習えたらな、と思います」

 何とかそれだけを返す。

 上手く取り繕えないレナに対し、ルイスは実に大人の対応である。ほんの少しだけその口の端はぎこちなかったけれど、冗談めかして言ってくれた。レナが少しでも自分をフッたことを気にしなくて良いように。

「レナさん、気まずく思ってるかもしれないけど、これからもウチの店、来てください。無理にとは言いませんけど遠慮されると却ってオレも引き摺るし、それに店にとっては貴重なお客さんですから」

 あぁ、ルイスに悪いことをしたなと思う。本当に申し訳ないと感じる。

 この人は、きっと良い人なのに。


 なのに、それでもレナはルイスのことを選ばない。






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