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第四話 煮込んで、溶かして、せんぶぜんぶ一緒くたにしてあげる。②






「帰るわ」

 レナは寝室を後にし、キッチンのノアに声を掛ける。

「あぁ、うん」

 ノアは頷くと、椅子から腰を上げた。

 そしてそのまま連れ立って家を出る。



 アルベルトを見舞うようになってから、慣習化しつつあるこれ。

 ノアは帰り、必ずレナを送って行く。

 人狼が一緒の方が絶対に安全だと言われれば、それは事実なので何とも言えなかった。レナとて森のリスクは承知している。先日この辺りで狼の群れに襲われあわや死にかけたのも事実なので、ノアのこの行為を撥ね除けることはできなかった。

 あの時だって、ノアがいなければ死んでいたと思う。



 帰り道、会話は少ない。ほとんど無言で二人はただ歩を進める。

 あの夜のことを、あれからどちらも話題にはしていない。以前とは違う緊張感漂うこの空気が、あの夜のことをお互いなかったことにはできていないのだと如実に語っていたが、改めて言葉にする勇気をどちらも持ち合わせていなかった。そしてそんな勇気は必要ないのだともレナは思っている。

 今、ノアにまた真正面から向き直られても、レナは下手な否定しかできない。そこに明確な答えなんて、出ない。



 あれ以来、レナはノアの顔がまともに見れない。胸は時折不自然に苦しくなり、アルベルトがこんなことになっていなかったら、置けるだけ距離を置いてしまいたいところだ。



 あぁ、そうだ、アルベルト。早いところ、アルベルトを家に帰さなくては。



「アルベルト、そろそろ容体も落ち着いてきたんじゃない」

 進行方向を見つめたまま、レナはノアに声を掛ける。

「どうだろう」

「若いから、回復も早いでしょう。まぁそれなりに頑丈に出来てるから、多少無理をしても死にやしないわ」

 それに街に返せば、医者にも診せられる。

「相手は怪我人だ。足なんてそう簡単にくっつかないよ」

「でも早めにここから出すことがアルのためだし、そっちのためだとも思うわ。リスクは少しでも減らさなきゃ」

「それはそうだけど」

 ノアが口ごもった。

 だけど、何だと言うのだろう。

 アルベルトを返したら、もうレナはここには訪れないだろう?

 そんな問いかけが勝手に頭の中にこだまする。



 ダメだ、毒されている。

 レナは小さく頭を振る。

 これは人狼、これは人狼、これは人狼、と今更あまり意味のない言葉を何かのお呪いのように口の中で唱える。

 そう、今更あまり意味のない言葉。



 ノアは人狼だ。そう、人狼。でもそういう括りは最早ほとんど意味を成していない。

ノアが人狼であることは無視できない、覆し難い事実ではあるけれど。

ノアのことは"ノア"という個で見なくてはならない。



 そのことに、レナはもう気付いている。











 自分の隣を歩くレナの横顔をノアは時折盗み見る。

 レナはあれ以来、ノアの方を極力見ようとしない。

 意識しているのだ。そう思うのは、自惚れだろうか。



 早まったことをした、とは思わない。どうせいつかは漏れ出していた想いだ。それに多分、あそこで言葉にしていなければ、レナは何度もそうしようとしてきたように、今度こそするりとノアの前から姿を消してしまっただろう。そうなれば、二度と想いを口にすることは叶わない。



 最初は、ただの好奇心だったのに。

 ただちょっと、誰かと会話をしたかっただけなのに。



 まんまとノアは深みに嵌まってしまった。

 人間の女なら誰でも良かったんだろうとか、そういうことは決してないのだ。

 ノアはレナだから良いと思ったのだ。

 比較対象がないから説得力はないかもしれないけれど、それは胸を張って言える。

 だってレナの態度は初め、お世辞にも可愛いげがあるとは言えなかった。

 一方的な憎しみと嫌悪、つれない態度と言葉。心を寄せるにはあまりに酷い。

 けれどその合間に生真面目さや優しさ、自分への厳しさ、家族への愛情を見た。それを好ましいと思えた。



 自分のことを馬鹿だな、と思う。望みもないのに、と。

 でもノアはもう白状しなければならないところまで来ていたのだ。レナをきっとものすごく困らせて悩ませてしまうけれど、口にせずにはいられなかったのだ。



 ノアは、望んでいる。レナとの未来を望んでいる。

 何故ってーーーーーーーーそれは、ノアがレナに恋をしているから。

 特別な愛情を彼女に覚えてしまっているから。



「レナ、そこ足元」

「え?」

 危ないよ、という前にレナの爪先が窪みに引っかかった。

「え、わ」

「っと!」

 咄嗟に伸ばした腕は十分に間に合い、レナの腰に回る。

「!」

 腕の腹に伝わる柔らかさに心は揺れる。背後から見る彼女の耳は真っ赤に染まっていて、ノアは衝動のまま抱きしめたくなる。

 でもそれをぐっと堪える。

「ふ、不注意だったわ」

 その声は動揺に揺れていて。

「も、もう大丈夫だから」

 レナは振り返ったけれど、そうすると抱き止めたノアの顔と随分至近距離にその顔も迫り、予想と違ったのだろう距離感に更にその顔が赤く染まる。そういう素直な反応が可愛くて堪らない。

「うん、ここら辺あんまり足場が良くないから気を付けて」

 名残惜しさを押し殺しつつ、けれどノアは彼女を解放した。



 本当は、分かっている。

 彼女があの夜のことをなかったことにしたがっているのは、分かっている。

 それはただレナ自身のためというよりは、お互いのためにそうした方が良いと考えてのことなのだ。ノアにだってその考えはよく分かる。



 あの夜以降、レナは一度だけノアと向き合って話をしてくれた。

 それは人狼に弟を餌食にされた時の、彼女の中で最も重苦しい楔となっている出来事についてだった。

 自分の目の前でどういう風に弟が残酷な目に遭ったのか、レナは滔々と話して聞かせた。そこに自分に対する憎しみはないとノアは感じたけれど、でもレナの中で人狼という存在がどれだけ痛みを撒き散らす存在なのかはありありと感じられた。

 レナは、レナの周りの人間は、その人狼を許すべきじゃないと、ノアだって思う。人狼を憎むその気持ちだって、理解できてしまう。もし自分の弟が、家族が何者かに害されたらと想像すれば、彼女の心に深く落ちた影にも理解が及ぶ。

 だから、そんな悲惨な経験をしていて尚、一刀両断に切り捨てず、レナが迷ってくれたことを最大にの成果として受け入れるべきだと思う。あの夜、レナはノアの気持ちを、否定しきれなかった。あれが、レナにできる最大限の素直さなのだ。

 弟を人狼に殺されて、人狼を憎んでいて、よくもあそこまでノア(人狼)相手に心を動かしてくれたと、それだけで満足するべきだ。



 でも、心というものは貪欲に出来ている。



 ノアはレナに許されたい。

 素手でその心に触れることを。

 そして同様に自分の心にも触れてもらいたい。

 毎日繰り返される営みのその隣に、彼女がいる当たり前が欲しい。

 彼女のあの生真面目で意思の強い、でもたまに取り繕えず揺れるあの視線を、ずっとこちらに向けていたい。

 ノアを、肯定してくれる言葉が、欲しい。



 あぁ、でも、それは難しいことだろうな。



 レナの姿を眺めながら思う。

 父と母が羨ましくて羨ましくて、そしてほんの少し妬ましかった。

 あそこでノアは本当に幸せだったはずなのに、その温かな家庭を恨めしく思った。

 いつだか、母が危惧したように。




 ノアはきっと、あれ(幸福な家庭)を手に入れられない。




 だから理性の下で胸が軋む。







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