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第三話 お砂糖は、いらない。⑥






 会いたくなんかなかったのに。



 だからレナは慎重深く息を潜めてこの辺りを歩いていたというのに。

 人狼の嗅覚を舐めていた訳じゃないが、二度と会いたくないと言ったその言葉を、この人狼は尊重してくれるのではとどこかで甘く考えていた。

 それどころか、会いたかった、困ったことになった、話を聞いてくれないかとは、これはどういうことか。

 嫌だとかそういうことの前に、本当にそんな暇はないのだ。

 レナだってアルベルトの痕跡が本当にほんの欠片も見つからなくて相当苛々している。

 生きているのか死んでいるのか分からない。はっきりしろと、この場にいないアルベルトに向かって怒鳴りつけてやりたくなっているような状態なのだ。



「レナ」

 人狼はこれでもかというくらいにレナの名前を繰り返し口にする。やめてほしい。

 でも、話を聞けと言った人狼は、意外なことを言い出した。

「レナ、多分君のその酷い顔をオレは救ってやれる」

「…………は?」

「だから、君の悩みの種を解決できそうだと」

「何それ。お得意の謀り? どうして私の悩みの種をあんたが知ってるって言うのよ」

 常日頃一緒にいる訳でも何でもないのである。引き留めたいからって、作り話もいいところ。

 でも、当然のように人狼は自分を引き留めたがっていると考えたその思考に、レナはぎょっとした。



 ――――自惚れが過ぎる。



「男が一人いる」

 静かに落とされた声に、ぴくんと肩が撥ねた。

「レナ、探していたんだろう?」



 何故、それを。



「男の名はアルベルト」



 嘘でしょう。

 その言葉は何とか飲み込んだ。



「…………死体じゃないでしょうね」

 何も見つからないよりはマシだとは思うけれど。

 レナは何もかもを見透かしたような人狼の言葉に警戒しながら、そんなことを言ってみせる。

「左足が、まぁ綺麗に折れてる。でもあれだけ綺麗に折れてたら、上手いことくっつくと思うよ」

「…………どうして、アルベルトがあんたのところにいるの」

「まぁ、成り行きで」

「不用心だわ」



 馬鹿じゃないのか。

 心の底からそう思った。



 アルベルトを保護してもらえたらしいことは、本当なのならこんなに有り難いことはない。いや、この人狼の言うことなのだから、十中八九本当なのだろう。レナは今更そんなことまで疑いはしない。



 森で身動きできない大怪我を折ったのなら、それは結局死とイコールで結ばれる。遅いか早いかだけの違いしか、そこにはない。

 だから、人狼のしたことはとても人道的なことだ。



 でも、人狼に人道など必要ない。

 というか、それはリスクだらけの選択だ。自分の身を危険に追い込むことだ。

 人間一人二人では、もちろんとてもじゃないが人狼には敵わない。

 けれど数にものを言わせれば、人狼を仕留めることは可能だ。

 少なくとも人間にこの棲み家がバレれば、平穏な生活は一時確実に壊される。



 そういうことを、この度を知らない人狼はちゃんと考えられているのだろうか。



「自分が大切にするべきものを、履き違えてるんじゃないの」

 違う。それよりもまず最初に、礼を言うべきなのだ。

 アルベルトを失わずに済んだことは本当に有り難いことだ。

 沢山の人が、彼が生きていたことを喜んで、心の底から安堵するだろう。だから、相手が人狼だろうと殺人鬼だろうと、取り敢えずそのことに関しては確実に感謝すべきである。

 なのに、レナは人狼の不用心さの方に腹が立った。自分の安全について考えが及んでいないようなところに、我慢がならなかった。

 この善行が人狼の首を絞めて死に追いやったら、いくらレナでも寝覚めが悪い。



「ふっ……」

 酷い言葉を投げかけたつもりなのに、人狼は何故か嬉しそうに微笑んだ。

「な、何がおかしいの」

「いや、君の言う通りだと思って」

 でも仕方がなかったんだ、と人狼はそう言った。

「あの男から、レナの匂いがした。匂いがしたから、放っておけなかったんだ」

「な、に、匂いですって……!?」

 それは仮にも年頃の乙女に向かって、あまりにデリカシーのない発言であった。











「アルベルト!」

「レナ!?」

 人狼の言った通り、アルベルトはきちんと生きていた。

「何でここに?」

「何でここに、じゃないわよ、この大マヌケ!」

 ベッドの上で身動きの取れないアルベルトに、レナは怒鳴った。安堵は裏返しになって、怒りになっていた。

 というか、この男の飄々とした顔を見ていたら、無性に腹が立ってきた。

「子ども助けに行って、自分が行方不明になってどうすんのよ。周りにどんだけ迷惑と心配かけたと思ってんの!」

「あぁ、クレアは無事だったか」

「えぇ、無事にあんたが熊に襲われたってことを教えてくれましたとも」

「仕方ないだろ。俺がクレアを見つけた時、もうあの子が襲われかかってたんだから。むしろ俺の英雄的判断を褒めてほしいくらいなんだが?」

「馬鹿! どうせなら上手いこと熊を躱して、ちゃんと二人で逃げてきなさいよ。クレアに余計なトラウマ植えつけてるわよ。それにクレアの家は商家の息子を犠牲にしたって、恐ろしく肩身の狭い思いしてるんだから」

「無茶言うなぁ」

 気丈に笑って見せるアルベルトの顔には、それでも隠し切れない安堵が滲んでいた。



 そりゃ、死にかけたのだ。というか、人狼が通りがからなかったら、確実に死んでいた。

 それは並々ならぬ恐怖だっただろう。トラウマ云々は、アルベルト自身にも言えることである。



「それにしても、レナが俺を見つけてくれるなんてなぁ。感動もひとしおだ」

「たまたまよ、結果論よ」

 本当は姿を消して一週間を疾うに過ぎたアルベルトを、ほぼ全ての人が諦めていたのだが、そういうことは黙っておく。

 必要以上にアルベルトの中で自分の株を上げる必要はない。

「そうつれないこと言うなって。さすが、俺の嫁だけはある。旦那を自ら探しに来てくれるなんて、愛の深さが半端ないね」

「ふざけたこと抜かさないで。それだけ嘘を並べ立てる余裕があるなら、心配なんて必要なさそうね」

「いやいや、心配してくれ。というか、感動の再会のハグをぐあっ!」

 容赦なくレナはアルベルトをはたいた。

「お、お前、一応怪我人だぞ……」

「何よ、足が折れてるだけでしょ」

「相変わらずのブリザードで」



 それより、とアルベルトが急に声のトーンを落とした。



「何」

「お前、ここの住人のこと知ってるのか」

「何でよ、私、別に森の中にお友達を作る趣味はないけど」

 反射とも言える速さで、レナは否定の言葉を口にしていた。

 人狼の話だと、フードを被って必要最低限の最低限しか関わっていないので身バレはしていないらしいが、油断はできない。



 自分の恩人の正体を知れば、アルベルトも態度を一変させるだろう。

 それが正しいというか、普通だと思う。レナだって、本来なら人狼に善意があるなんて、一ミリだって信じたりしない。



 でも非常に複雑なことに、この場合人狼の善意は本物だ。

 ならばこのままただの恩人として、アルベルトをここからどうにか家に帰して、家に帰した後は忘れることが恩返しだと念押しすることが大切だ。

 余計な混乱と揉め事はいらない。



「いや、これ」

 アルベルトが差し出したのは、前回レナがこの家に残したハンカチだった。

「これが、この家にあった」

 お守り代わりになるという人狼の髪を返しておきたくて、でも直接はやりにくくて、黙って置いていくことにしたのはいいが、そのまま髪だけ置いておくのもあからさまで配慮がない気がして、ハンカチに包むことにした。適当なものがそれしかなかったのだ。

「拾い物だってここの家主は言ってたけど」

「そう言えば、落としてたかも。拾ってくれたって言うんなら、そうなんでしょ」



 疑いの声が続く。

「お前、本当は知り合いなんじゃないのか」

 レナは思い切り眉を顰めて言い返した。

「やめてよ。森の中にこんな風に隠れ潜んでるってことは、後ろ暗いところのある訳ありの人間に決まってるでしょ。進んで関わり合いになんかならないわよ」



 そうだ。

 レナは進んであの人狼と関わり合いになった訳ではない。

 今回だって、アルベルトがヘマさえしてくれなければ、関わり合いにならずに済んだのだ。

 わざとでは、ない。



 どうしてか無理矢理に、レナはあの人狼と鉢合わせてしまうのだ。






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