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第三話 お砂糖は、いらない。③






 祭の当日。


「ねーちゃん、どこから見て回る?」

 レナは末の弟・ヴィンセントと手を繋いで中央通りに立っていた。上の二人は予想通りそれぞれの友達と回ることにしたらしい。

 通りは先日より一層華やかで、両脇にはずらりと出店が並び人で溢れかえっている。

 そこにいるだけで胸が弾む、祭の特別な空気感。



 レナは視界の端に映った、ルイスの店に二の足を踏んでいる。



 この一週間考えるには考えたが、結局答えは出なかった。

 悪い話ではない。でも、好きとかそういうはっきりした気持ちはまだない。



 というか結局ヴィンセントがいるし……



 所謂こぶ付き状態で現れたら、ルイスだって気を悪くするのではないか。

 いや、両親が職場が出す出店の手伝いに参加している以上、レナとしてはヴィンセントを放っておく訳にはいかなかったのだが。

 いきなりルイスが現れたらヴィンセントもびっくりするだろうし、弟と一緒なこの状況はルイスの真剣な気持ちをお茶で濁しまくっているような気もする。



 それとももっと気軽な気持ちで考えてもいいのだろうか。



「ねーちゃん?」

 うだうだ悩んでいるレナに、焦れたヴィンセントが呼び掛ける。



 そうだ、やっぱり断ろう。



 レナは決意する。

 中途半端な気持ちではいけない気がする。今日はヴィンセントを思いっきり楽しませることだけを考えよう。



 ーーーーいつまでも待たせるのは悪いから、一緒に回れないってことだけきちんと伝えておくべきかも。



 そう思って店の方を見遣ると、まさにそのタイミングで入り口のドアがベルを鳴らしながら開いた。

「あ……」

 視界に入っているとは言え、そこそこ離れていたのにばっちりと互いに目が合ってしまった。

「ねーちゃんってば」

「ごめん、ヴィンス。ちょっとだけ待って。知り合いがいるから、挨拶だけ」

「えー、待てない」

「すぐ終わるって」



「レナさん」

 そうこうやり取りをしている内に、器用に人混みをすり抜けてルイスの方からこちらへ来てしまう。

「こんにちは」

「こ、こんにちは」

 声をかけてきたのがアルベルト以外の若い男性だったせいか、ヴィンセントが目を丸くしているのが視界の端に映った。

「弟さんですか?」

「はい、一番末の弟のヴィンセントです。あの……」

 言葉が続かない。いざ面と向かって断るとなると勇気がいる。

「もしかして、オレ袖にされようとしてます?」

「す、すみません。でもルイスさん、冗談とか軽い気持ちとかで人を誘ったりしないだろうし、それなら……」



 それなりに真剣に答えを返すべきだと思った。



 良い条件だ。

 穏やかで、どこかの誰かみたいにうるさくないし、何よりレナが森に入ることを否定しない。

 だけど、自分に都合が良いという理由を並べて人を選ぶなんて、すごく失礼で傲慢な行為のはずだ。



「んー、もうちょっと軽く考えてもらっても良かったんだけどな」

 ルイスは苦笑した。

「いや、オレの気持ちが軽いからって訳じゃないですよ。真剣ですから。でも、人間相性がある訳だから、試してみよう探ってみようってことも必要じゃないですか。そういうのは、もっと気軽にトライしてみていいもんじゃないかなぁ、と」

 ほんの少し、心が揺れた。

 だって、選択肢はきっと多い方が良い。

 遅かれ早かれ、レナもそのうち自分の将来を選ばなくてはならないのだから。



「……ねーちゃん」

 不意に今までぽかんとルイスの顔を見上げていたヴィンセントが口を開いた。

 余計な口を。

「アルベルトよりはいいんじゃない」

「ちょ!」

 ぎょっとして止めにかかるが、ヴィンセントは全く気にせず続けてくれる。

「アルベルト、悪いヤツじゃないけど、ねーちゃんの隣に置くには何もかもがうるさいって兄ちゃんもよく言ってるもん」

「ヴィンス!」

「だってこんなチャンスもがっ!」

 仕方がないので物理的に口を塞ぎにかかる。自分の顔が青くなっているのか赤くなっているのか分からないが、とにかくレナは謝った。

「す、すみません!」

「いや、悪い気は全然しないですけど」

 気にした風もなくルイスは言った。

「あの、でも本当に生理的に無理とかそういうのがなかったら、弟さんと三人で回ってみませんか。だから付き合えとかそういうことは言わないので」



 ーーーー深く考えなくてもいのなら、もういっそうんと頷いてしまおうか。



 レナは時折頭を過ぎる、ルイスとはまた別の穏やかで、でもどこか諦観の漂うあの笑顔を振り払いたくてしょうがなかった。

 ルイスなら、レナの心を無理矢理とは感じない範囲で塗り潰していってくれるのでは、と何だか無責任な期待が過ぎった。



「あの、そうしーーーー」

 レナが何某かの肯定の言葉を口にしかけたその時、

「レナ!」

 人混みの向こうから、呼びかける声がした。

「?」

 そこにいたのはレナの家の三軒隣に住むジョンという、四十半ばの男性だった。

「おっと、悪いな。邪魔しちまったか」

 少し意外そうな目でルイスとレナの取り合わせを見ながら、それでも声を潜め続けて尋ねてくる。

「クレア、見てないか」

「今日は見てないけど」

 クレアはこれまたレナの家の近所に住む七つの少女だ。

「だよなぁ。(こっち)に来てるかもなんて希望的観測もいいところだわな……」

 頭を抱えるジョンを見て、レナは尋ねる。

 どう考えても、あまりよくないことが起こっている雰囲気である。

「何かあったの?」

「クレアがいなくなった。今朝から祭の準備で母親と姉と一緒に森の入り口付近で木の実を収穫していたらしい。途中で姿が見えなくなったらしい。飽きて街の方に出たって可能性も考えてたんだが、多分うっかり奥に入っちまった可能性の方が高い」

 案の定、ジョンの返答は深刻なものだった。

「せっかくの祭の日だ。水を差したりケチがつくような事態にはしたくない。今、一応近所の住人だけで捜索を始めてる。レナももし街の方でクレアを見かけたら、すぐに知らせてくれ」

 そう言って踵を返したジョンを、

「ちょっと待って!」

 レナは思わず呼び止めていた。



「待って。私も捜索に加わる」



「いや、でもお前も約束があるんだろ」

「こんな話聞かされて、祭なんて楽しめないわよ。本当に森に入ってしまったなら、猶予はそれほどないと考えるべきよ。あそこには熊も狼も人狼もいるんだから。それに森のことなら、そこらの人間より私の方が詳しい」

 ルイスには本当に悪いと思うが、人命とは天秤にかけられない。

「クレアって、栗色の髪を耳の上でよく二つ結びにしてる子ですよね。口元のここら辺にホクロがある」

「あ、あぁ」

「やっぱり。それなら祭の会場の方はオレが見ておきますよ」

 レナはルイスを見遣った。ルイスの態度は非常に模範的な大人の態度であったけど、それ以上に何だか清廉な感じがした。

 人間、どうしたらこうも物わかり良く、正しそうな振る舞いができるのだろう。

 聖人、という言葉すら脳裏に過ぎる。自分とは随分かけ離れた場所にいる人間に思えた。



「レナさん、気にしないで行ってきてください」

「……本当に、ごめんなさい」

「怪我にだけは十分に気を付けて」

 ルイスの人の好さに比べて、自分がいかに自分の問題だけに振り回されているのかが身に染みる。



 レナはそう、ずっと自分の問題にだけ人生を費やしている。

 森に入って危険対象を狩ることは、ただのおまけなのだ。人の役にも立っていると、自分や周りを誤魔化すための材料なのだ。



 レナは、弟を喪ったあの日から、自分の心の整理のためだけに森へ分け入っている。

 自分のことだけを考えている。

 人狼を恨んで恨んで恨んで、痛みを抉り返して弟の輪郭を自分の中に刻み続けて。終わりが、解決がないと理解しつつ、過去を睨み続けている。



 ――――自分は、いつまでこんなことを続けるつもりなのだろうか。



 でも自身の中を右往左往し始めた迷いに無理矢理蓋をして、レナは気持ちを切り替えた。

 今は、クレアの無事だけが大切な全てだ。

 他の迷いなんて、いらない。






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