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第三話 お砂糖は、いらない。②




 アルベルトの元に嫁に行くかどうかは別として。



 いや、行かないのだが。



 けれどまぁ、レナも結婚というものをそろそろ意識するべきなのかもしれない。

 レナみたいな愛想がない上にややこしい職に就いている娘は、早い内に相手を見つけておかないと、とうが立ってからでは本当に誰も見つからなくなってしまうだろう。



「それじゃ、こっちは二三時間、こっちは三日後な」

「そこらで時間を潰してから取りに来るわ」

 馴染みの加治屋で武具のメンテナンスを頼んだレナは、ふらりと外に出る。

 日頃の手入れはもちろん自分でしているが、半年に一度の頻度で職人に見てもらうことにしている。武具は自分の命を左右する、疎かにできない大切なものだ。

「……と言っても特に買い物もないのよね」

 だからレナの足は自然と斜向かいの古本屋に向かう。そこは古本屋なのだがカフェも兼ねていて、美味しいコーヒーと一緒に店内の本を読むことができるのだ。

 レナは武具の手入れに来た時はよくここを利用していた。



「こんにちは」

「こんにちは。いらっしゃい、レナさん」

 背の高い本棚が影を落とす薄暗い店内に、柔らかい声が響く。

 入口正面奥のカウンターに座るのは、声と同様柔らかい印象を覚える穏やかな青年。ここの店主の孫で、店主が本格的に腰を痛めてからは代わりに店を切り盛りするようになった。

 昔からちょくちょく顔は出していたようだが、彼・ルイスが実質店主の位置に就いたのは恐らく二年ほど前だ。

「加治屋ですか?」

「えぇ、手入れをお願いしに」

 レナより五つほど年上の彼は、今年二十二のはず。

「いつものカフェオレですか」

「はい、お願いします」

 注文したカフェオレができるまでの間、本棚の間を縫って歩く。

 小説もいいけれど、何か実用書や事典の方がいいかもしれない。サバイバルの基本とかキノコ図鑑とか、自分の生活に役立ちそうなもの。

 そうやって背表紙を辿っていると、ふとある本で目が止まった。



 薬草に関する本だ。



 ーーーーいやいや、違う。違う、違うのよ。



 これは普通に考えて、自分に必要なものだから。



「いや、何を言い訳してるの……」

 脳裏に過った顔を、慌てて打ち消す。

 気にしてなんかいない。あれはもう自分とは関係ないのだ。



「レナさん、お待たせしました」

「あ、はい」

 呼ばれて通りに面したテーブルに向かう。向かってから、ついさっきの本を手に取ってきてしまったことに気が付いた。

「薬草、ですか?」

「……そうですね」

「レナさんに必要そうな本ですね」

 ルイスがそう言ってくれたので、レナは内心安堵する。

 そうだ、これは他人から見ても自分に必要だと思われる本なのだ。それ以上の他意はない。



「そう言えば、通りが少しずつ華やかになってきましたね」

 通りに目を遣り、レナは言った。

 そう、通りの街灯や軒先では色とりどりのペナントが風に揺られている。

 来週には実りの秋の豊穣への感謝と来年の豊作を祈って街全体をあげた祭があるのだ。

 この時期少しずつ装いを華やかにしていく街を眺めるのは、胸を密かにワクワクさせてくれるので非常に楽しい。

「一大イベントですからね。当日はウチも午前だけで店を閉めてしまいます」



その日は弟達を連れて見て回ろうか。

いや、でも三人とも友達と回りたいかもしれない。一番下のヴィンセントなんかはまだ甘えたい年頃らしいから、レナと一緒がいいと言うかもしれないけれど。



 思いを巡らせていると、あの、と控え目に声をかけられた。

「はい?」

「当日はアルベルトさんと回るんですか」

「まさか!」

 びっくりして、思わずレナは大きな声を上げて否定した。他に客がいないのは幸いだった。

「いや、あの、アルベルトとはそういうのではないんです。あくまで幼馴染とか腐れ縁とかそういうので、それはもちろん、人より余計に構われてるのは事実ですけど」

 色んなところで勝手な噂が流れているのは知っていたが、こう顔見知りに正面切って訊かれると何とも言えない気分になる。

「お付き合いされてる訳では……」

「ないです」

 即答すると、なるほどとルイスは二三度小さく頷いた。

「じゃあ余計な遠慮はいらないと、そう思ってもいいんですね」

「はぁ…………?」



 遠慮?



 レナが言葉の意味を掴み切るその前に、ルイスは穏やかな表情のままさらりと言う。



「レナさん、当日良ければ一緒に回りませんか」

「え」

 レナは自分の聴力をちょっと疑った。



 今、もしかして誘われたのだろうか?

 一緒にって、自分と一緒にということ?



「レナさんを、誘ってるんです」

 顔に疑問が全部浮かんでいたのだろう。ルイスが笑みを零しながらはっきり告げる。

「!」

 頭が真っ白になった。男の人に誘われることなんて(アルベルト以外)、滅多にない。



 ーーーーもしかして、これはそういう意味のお誘いだろうか。



 多分、そうなのだろう。だってわざわざ最初にアルベルトとの関係を確認された。

 いや、それともアルベルトが手を出しているのが事実だったら、ちょっとからかうにしても、商家の息子を敵に回すのは高くつくとかそういうの…………ではないだろう。

 人柄を考えるに、ルイスは人をからかったりするような人ではない。



「えぇと、あの」

 断るのも受けるのも、どう口にすればいいのか分からない。

 ルイスは、きっといい人だ。レナが十五でが森に出入りするようになってから、加治屋に寄る時はほぼここにも寄るので、この二年でそれなりの回数顔を合わせている。

 特別深く関わったことはないが、こうして店で言葉を交わしている間に不快に感じたりしたことは一度もなかった。押し付けがましいところもないし、けれど引き過ぎることもない。実に人との距離感を取るのが上手な人だった。



「いきなり過ぎましたかね」

「いや、その」

 何か言わなくては。

 レナは咄嗟に言葉を紡ぐ。

「その、私なんかまだ子どもみたいなものじゃないんですか。誘う相手が私でいいのかな、なんて」

 そうだ、適齢期に差し掛かっているとは言え、レナには色気とかそんなものはどこにもないし、五つも年が離れているとそういう対象になるだろうか。

 妹みたい、と言うならまだしも。



「レナさんだから、誘ってます。子どもなんてそんな。レナさんこそ、オレなんかおじさん扱いになるんじゃ」

「まさか! 二十代をおじさん呼ばわりなんかしないです!」

 心から全力で否定したら、ルイスはちょっとはにかんだ。その表情が、彼が本気なのだとレナに悟らせる。それと同時に、疑問にも思った。



「…………あの、でもやっぱり変わってますね。私を誘うなんて」

「そうですか?」

 きょとりとされる。

「だって私ですよ? 女性のハンターって、そもそもほとんどいないし、歓迎される職業じゃないって分かってます。早く辞めろってよく言われる」

 美貌やら何やらの元々の本人のスペックは脇に退けるとして、レナのネックポイントはどう考えてもそこにあった。ハンターなんてしてる女性は野蛮だと、そう思われることも少なくはない。

 でも、レナはそんな世間の目がちょっと否定的なくらいでは、心を曲げられなかった。

 森で起こる不幸を知っているから、傍で暮らしていく限り素知らぬフリでは生きていけない。



「皆、心配なんですね。それはよく分かります」

 レナは、森に入る。それを許容できない人間とはどうこうなれない。

 でも、ルイスは言った。

「でもレナさんはハンターを辞めない。それならそれで、いいじゃないですか」

 あっさりと認めてみせた。

「え……」

「そりゃもちろん心配ですよ。辞めて欲しいって思うことはあるはずだ。でもそれはきっと、レナさんの心を殺す願いです」

「ーーーーーーーー」

「大切な人の心を殺すことを引き換えに、何かを求めるようなことはしたくない」




 心を、殺す。




 その言葉が、思いの外刺さった。



 そうだ。そうなのだ。無理矢理に森に入るなと言うその声は、確かにレナの心をすり減らす。

 分かっている。迷惑や心配ばかりかける自分は、十分に傲慢だ。自分で自分が嫌になることもしょっちゅうある。

 それでもやめられないのは、思っていたよりもずっとずっとレナの心が硬くなっているから。

 レナの心を解きほぐすには、きっと恐ろしく時間がかかるのだ。無理矢理に森から引き離されればレナの心は整理の付け方を見失って、余計に拗れていくだろう。



 なんて面倒くさい人間なのだ、自分は。


 今まで異性として思ってもみなかったルイスだが、今の言葉を聞いて、レナの心は確かに好ましい方向に動いた。



 なのに。



 私は今、何を考えた?




 "それは、レナの心の一部だろ"




 手の平に落とされた無数の石。やはりいくつか石は足りなくて、でも弟達が一つずつ新しいものをくれたおかげで、今もブレスレットはレナの手首にある。透明や水色、淡い青。少し違う色が目に留まる。




 あれもまた、レナの心を的確に捉えた。

 嫌いだと刺を刺してみせる、非好意的な態度のレナの心を、掬いあげてみせた。

 レナのこだわりをしょうもないと切り捨てなかった。



 目の前にある穏やかなルイスの顔。



 そう、あれも信じられないくらい穏やかな顔をするのだ。柔らかくて、甘っちょろくて、それでいて独りで生きるある種の強さを持っている。



 きっと、しなやかな生き物。



「レナさん」

 呼び掛けられてハッとする。それからゾッとする。



 どうして。



 あれは、人狼だ。人間とは相容れない。

 関われば、不幸が待っている。

 あれの両親の話は、本当に稀有なことなのだ。生ける伝説みたいなもので、そうそう現実にあることではない。

 なのにどれだけ抗っても何かの拍子にレナの思考はあれに引き摺られる。



 嫌になる。もっと目の前のことを考えるべきなのに。



「レナさん、別に無理に誘おうって訳じゃないんです。あの、当日店にいますから、気が向いたら顔を出してください」

「…………はい」

「この一週間、ちょっとだけオレのことを考えてみてくれたら嬉しいです」

 そう、この人のことを考えてみたらいい。それがきっといい。




「えっと、あの、これお会計お願いします」

 なのに結局その日レナは、あの特殊な人狼の影に引き摺られて、薬草に関する例の本を買ってしまったのだった。






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