第二話 おかわりを、もう一杯。③
まだ陽も昇りきらない内から、レナは装備を固め森へ入った。
目を皿にして、あの時辿ったと思われる道を丁寧にさらっていく。
他の何を失くせても、あれだけは代わりの利かないものなのだ。
「お願いだから、見つかって……!」
でも、そんな大切な物を失くしておいて、昨日まで気付かなかった自分が信じられないし、許せない。
確かにここのところ、あまりにイレギュラーなことばかりの日々だった。人狼の元にいた間も帰って来てからもレナの気はなかなか落ち着かなかった。考えないといけないことだらけのようで、その実頭の中はとっ散らかって何も整理がつかない。
そんな中、平素なら気の付くことにも気付けなかった。そうなのかもしれない。
「でも言い訳したってブレスレットは戻ってこない……」
木々を掻き分け、岩の影を覗く。川に落としていたら、流されてしまっているかもしれない。そう思ったら、目には涙が浮かんだ。
必死に森を進む内に、いつしか日も傾き始めていた。
当然、ブレスレットは見つからない。
「どうしよう……」
取り敢えず今夜の野宿の場所を確保しなくてはならない。
本来森での野宿など勧められたものではないが、獣避けの特殊な調合の薬を持って来ていた。
火にくべ、煙を立てることで身を守れる。
準備をしようと荷物に手をかけたその時、
「!」
レナは自分の行動が少し、けれど致命的に遅かったことに気が付いた。
ーーーー囲まれている。
「狼…………」
夕闇の中、木々の合間に光る無数の瞳。微かに耳に届く低い唸り声。
腹を空かせた群れに見つかってしまったらしい。
今からでは、火を焚く時間もない。
高い木に登ればとも思ったが、向こうが飛びかかる方が早そうだ。それに狼だってある程度なら木に登れる。
「ーーーーっ」
心配させないで、と言われたばかりなのに。
レナは腰を低く落として、すらりと短剣を引き抜く。
随分厳しい展開だった。
オンッーーーー!!
そんな一声と共に狼達が飛びかかってくる。一匹二匹とレナは時に刃で、時にボーガンで迎え撃つ。けれど多数を相手には、所詮防戦にしかならない。
「あっ」
右手から襲いかかってきた狼の足を肢を切り付け、そして正面に向き直ったレナは、間抜けた声を上げた。
向かいから、飛びかかる影。
ぐわりと開かれた、大きな口。
そこに鋭く光る、立派な犬歯。
これは、死ぬ。
そう思った。
ーーーーーーーーけれど。
「ぐっ!」
レナは突き飛ばされ、尻餅をついただけだった。
突き飛ばしたのは、狼ではない。
五本の指を持った、肌色の手。
眼前に広がるその背は。
「あんた…………!」
件の人狼だった。
レナを庇うように、いや、実際庇って、人狼はそこに立っていた。
だって、その腕に、鋭い牙が立っている。
それは、レナが受けるはずだったもの。
ボタボタッと何か液体が落ちる音がする。
薄暗い視界では、それはただただ黒い色をしている。
ーーーー血だ。
人狼はそのまま腕を振り、狼を投げ飛ばした。
牙が抜けると同時にまた血液が振り撒かれる。
それと同時に殺気が満ちた。
グルルルルと低く唸る狼達が、けれどジリジリと後退して行くようにも見える。
「ーーーー去れ」
力関係は歴然としていた。
たった一言。それに圧されて、狼達がその場から一匹また一匹と去っていく。
レナはただただ呆然とそれを見送るしかなかった。
完全に狼達が姿を消してから、くるりと人狼がこちらを向く。
「オレの忠告を聞いてくれるとは思ってなかったけど、それにしてもあからさまに危ない目に遭ってくれるものだね、レナ」
困ったヤツだと苦笑を浮かべるその顔に、さっきまでの殺気はもうどこにもなかった。




