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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と少年達
9/63

2-6

「あたた…………」


 脱走時に痛めたのか、召喚された時に付いた足の怪我が痛む。


 それは悪夢の始まりとも、日常の終わりとも言うべき出来事だった。自宅で大学へ行く準備をしていた紬喜は、下から突き上げるような揺れ襲われる。


 これは大きな地震かもしれない。


 慌てて、ベッドの上に準備していた花柄のストールを掴もうと右手を伸ばす。この際アクセサリーは諦めよう。鞄は一階のリビングでスマホもそこだ。非常用持ち出し袋、何処だっけ…………そこで更に体が上下に揺さぶられた。


 あと一歩進めたら、ベッドに手が届いただろう。


 しかし足は、言う事を聞かない。


「えっ?!」


 下を見て、血の気が引いた。フローリングの床は真っ赤。無数に生えた細いつたが、蜘蛛の巣の中心に居るかのように巻き付いていたのだ。毒々しい赤。それに生えた小さな葉が、ザワザワと不規則に蠢く。


「なにこれっ!!」


 叫びに応じるかようにソックスごと足を締め上げ、ガウチョパンツの上へと、それは驚くべき早さで成長し始めた。悲鳴を上げる暇はなく、バランスを崩して尻餅を付いたところで、追い討ちをかけるようにガクンと大きな揺れ。


 吐き気に似た浮遊感に、落ちている事を悟る。


 咄嗟に見上げた天井には、トップライトが静かにぶら下がっていた。呆然とする視界は、雨のごとく降りかかる赤い色に閉ざされて真っ暗になり、音も無く、何処までも落ちて。


 そして出会った王城の人々。聖女として過ごす事しか出来なかった日々。


 足に残る蔦の痕は、最後に見た自分の部屋の景色と共に、紬喜の心を絞めつけた。


 何故、私だったのか。


「紬喜様、お怪我でも?」


 三階へ逃げていく少女が落とした声を、アルフレートは当然聞き逃したりはしなかった。現実は日本ではない異世界で、この気味の悪い痕は長いスカートの中だ。でも、痛かった。優しくされると、今まで我慢で出来ていた痛みに弱くなる。


「…………実は」


 力無く笑った紬喜は、隠す理由も無いなと思い直し、足の状態について話す事にした。誰かに聞いてもらった方が、楽になる事もある。あの日をトラウマのままにしたくなかった。最後の、日本の景色なのだ。


「そうでしたか」


 アルフレートは表情を曇らせて言った。聞いていて気分の良い話でも無かったな、と紬喜も思う。


「すみません、こんな事話して。おやすみなさい」

「お待ち下さい」


 アルフレートは、何処かぎこちなく笑って言った。


「部屋でお待ち頂けますか?よく効く薬に心当たりがあります」


 話してみて良かった。


 部屋に戻って靴と靴下を脱ぎながら、紬喜は安堵した。波打つような赤い痕。腫れてはいないのに、ピリッと痛む。この家に来てから、それは酷くなった気がした。王城では、数日間手当を受けたが、それだけだったのだ。


 ――――こんな痕が残っていても、誰も気にはしなかった。


 こんこん、と軽いノックの音に紬喜は我に返る。急いでつま先に布靴スリッパを引っ掛け部屋の扉を開けると、そこには薬箱を持ったクリスが心配ですという顔で立っていた。


「紬喜、怪我をしたって?」

「んー、前からしてたというか…………」


 言いながら自分の足を指差した。室内用の靴から覗く素足。痕が見えるように、寝巻のスカートを少し持ち上げてみせる。


「っ…………!」


 一瞬固まって、言葉に詰まったクリスは、ゆるゆると溜め息をついた。


「君には色々覚えてもらわないと、いけない事が多いみたいだけれど…………先に手当てをしようか」


 彼はベッド端に紬喜を座らせると、ストールを羽織らせてから、その足元に跪く。自分でやると言う声を黙殺した少年の笑みは、何時になく…………穏やかさを欠いていた。


「クリス…………怒ってるの?」


 無言で片方の布靴を脱がせ、立てた片膝の上に置く少年は、見上げる水色の瞳を少し細めて、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「僕らと暮らす上で、覚えて欲しい風習があるんだ」


 気圧された紬喜は口を噤んだ。これは、何か重大な失敗を犯したのかもしれない。家主のクリスとのと衝突は極力避けねばならない。了解の意を込めて頷くと、水色の視線は薬箱へと逸らされた。


「異性に、足を晒してはいけない」


 クリスが足首を掴む。その辺りから上へ蔦の痕が赤く残っていた。始めにその場所を手当てしたのは、王城のブラックサンタこと、召喚士長だ。その時も裸足だったし、当然、靴下は目の前で自ら脱いだ。


「自ら足を見せるという行為は、主導権を渡す――――服従するという意味がある」


 奴隷が丈の短い服を着せられるのは、この為だよ。なんて事のないように話しながら、クリスはスカートを膝まで押し上げる。赤い曲線が走る脛の状態を一瞥すると、迷わす青い瓶に入った軟膏を取り出し、足首から膝下へと慣れた手つきで塗布していった。


 ハッカの様なスッとした匂い。ヒリヒリした痛みが増し、熱を持った感じがする。良薬口に苦しなのだろう。息を詰めて我慢する紬喜に、クリスはニコッと作ったような笑みを向けた。


「ちなみに僕の国では…………女性が足の指を見せるという行為に、特別な意味があるんだ」


 うん、わかった。ここまで来ると、嫌な予感しかしない。


 少年は治療のために顔を伏せた。淡い金色の後頭部、首後ろの水色のリボンの先。黒いベストに包まれた背中で、しっぽの様な毛先がサラりと動いて。


「私を抱いて下さい」


 目を細めて、意味を分かっていないだろう年頃のクリスが毒を吐く。アルフレートじゃなくて、クリスが来させられた意味と、子どもに言わせる事じゃ無いだろうにとする眩暈か、叫び。いや、これが大人だった場合…………シャレにならないという脅しか。


「クリス、ほんとごめん!後は自分でやるから。以後、気を付けます!!」


 文化の違いって、此処に落とされて初めてぶつかったかもしれない。王城で、何か粗相をしていたのだろうか。だから私は、要らない聖女になってしまったのだろうか。


 かなり頑張っていたつもりだった。でもそれは、無意味でしかなかったのか。


「紬喜」


 クリスの声に、ハッとする。既に包帯がまかれた片足の先に、布靴が履かされた。


「この痣は出来るだけ、君が触らない方がいい。だから手当は僕がするよ。でも、明日は靴下を脱がないで居てくれるね?」

「肝に銘じます」

「良かった」


 脅かしてごめんね、と穏やかに微笑んだクリスの言葉に内心ほっとする。


 しかし、一人にになって気が付いた事がある。脅しと分かっていたという事は、あの言葉の意味を分かっている、という事ではないか。十歳前後の少年には早すぎる内容だ。誰なの、天使のクリスにそんな事教えたのは。ラルスか、やっぱりラルスなの!?


 紬喜の中で、クリスをここに追いやった男の存在は、第一印象の悪い男に摺り変わった。

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