2-5
午後はクリスの部屋から数冊の本と筆記用具を持ち出し、ダイニングのソファで事情聴取と相成った。
彼らは私が、異世界から召喚された人間であるという事を知っていたのだ。
天より舞い降りし、救いの乙女――――
それが一般に広まっている聖女の情報だ。つまりクリスは、ただの子どもでは無いのかもしれない。あの賢い黒猫の飼い主で、私を保護しても問題ない何かがある?
無邪気に笑う少年は、興味深々といった感じで、根掘り葉掘り聞いてはメモを取る。筆記体の綺麗な文字は、ちゃんと教育を受けている証拠だ。しかし彼は、この国の公用語でメモを取ってはいなかった。
他国の人なのだろうか。
少々難ありな翻訳魔法のお陰で、幸い言葉に不自由はない…………クリスが他国の人間なら、聖女を手に入れるメリットもあるだろう。何しろ私は、この世界で増え続ける魔獣を消滅させる力を持っている、らしいから。
自覚は全くないけれど。
願わくば、異世界の人間でも同じ人間だと思ってくれればいい。この国の人達と違って、化け物と思わなければ――――そして、もう召喚によって人を攫うのは止めて欲しい。召喚は結局、誰も救わないと思う。浄化と言いつつ、聖女は沢山の魔獣を殺してきたのだ。
「紬喜様、少し休憩されませんか?」
丸いトレーに三つのカップを乗せ、アルフレートが紬喜の傍に膝を付く。ソファーに座ったまま差し出されたカップを覗くと、三つとも中身が違う事が分かった。
「甘い物と酸味のある物、と普通のお茶です」
「え、えぇーと、甘いのがいいかなぁ?」
「…………どうぞ、熱いのでお気を付けください」
「ありがとう」
何で出来ているのか、渡されたカップの中身はオレンジ色だった。ホットのオレンジジュースかな。王城ではこういうイレギュラーは無かった。けれど、こういう時、ここは異世界だと再認識する。
「うっわぁ、本当に酸っぱいね!」
隣でクリスが声を上げた。アルフレートは目の前のソファーに座って、こちらを見ている。
飲んで感想言わないと…………
「ん、これ、ココア?」
「カカオという飲み物ですよ。どうです、甘いでしょう?」
甘い。何処にも苦みが無くて、ただひたすらに甘い。沈みかけた気持ちが、甘く優しい忘却に包まれるように緩む。
「甘いです。ちょっと、懐かしい」
「そうですか」
アルフレートは微笑んでいた。あぁ、もしかして。紬喜は力無く微笑み返した。
「ありがとうございます。元気出ました」
「気軽にされていて下さいね。クリスファルト様は子ども故、加減をお間違えになられます」
「…………え。ごめん、嫌だったの!?」
慌てたクリスの言葉に、緩く首を横に振る。むしろ、何故匿われたのか分かっている方が気楽だろう。世の中良い人ばかりじゃない。それは、痛いほど知っていた筈だ。
「大丈夫、何の話をしていたっけ?」
そう言った紬喜の顔を見て、クリスは水色の瞳を見開いた。
「今日はもういいよ。ごめん、僕…………君を傷付けたみたいだ」
「そんなことは――――」
そんなことは無い。気が付いて勝手に落ち込んだ。深手を負う前に自分で自分を傷をつけて、そうして臆病にも守ろうとした。
「クリス…………私の国はね、お祭りがたくさんあったんだよ」
紬喜は記憶の中に逃げ込んだ。痛い事なんてない、平和で懐かしい、そんな思い出に。
ちなみに、クリスはその成果を嬉々として夕食の席で披露した。アルフレートは食文化に興味を持って、こちらには無い生食に驚いていた。ラルスは動物園と水族館に興味を持った。なんとなく予想通りだ。お子様め。
クリスはアニメとコスプレに興味を持った。世界共通、子どもはアニメが好きなのか…………リア充には厳しい話題である。
「ハロウィンというイベントでは、魔物の格好をした人間が街で祭りをするんだって」
ハロウィンについて語るクリスは、可笑しくて仕方がないという様子だ。かぼちゃでランタンを作る事。お菓子をくれと家々を練り歩く事。午後一緒にこの話を聞いていたアルフレートは、菓子で魔物を退けられるとは、と笑って相づちを打つ。
実際に魔物で困っている世界の人々にしたら、信じられないイベントだろう。
しかし、魔物のコスプレは説明が難しかった。結果、紬喜はクリスに正しく伝える事が出来なかったのだ。
「青い機械仕掛けの人形を真似たり、大きな医療器具を持った看護婦の格好をしたり…………」
未来から来た猫型ロボットが、全くの別物になった。注射器という単語が、アストレブン公用語に無かったため、看護婦が何を持っているのか分からなくてコワイ。
「凄いマリオ、っていうオジサンの格好も人気があるんだって!!」
アルフレートは笑いを堪え、ラルスはぶっと噴出した。何故か、異世界でも彼は人気だ。流石だね。紬喜は遠い目をした。ピカピカ光って無敵になれるアイテムの話はすまい、と心に誓う。
やっと長い一日の終わり――――
入浴後に居間でアルフレートに捕まり、髪を乾かしてもらった紬喜は、彼の過干渉っぷりに大分疲れて気が抜けていた。
座ろうとすると椅子を引く、ソファーから立つ時は手を貸すし、早くも届いた服を紐解いていれば、手術中の医者に器具を渡す看護師のように、ハサミを渡し、ゴミを受け取り、しつけを外そうとすれば、適度な地点で糸を切って待っているのだ。面倒になってハサミを持ったまま作業をすれば、白くて長い男の指が手に絡む。ぎょっとアルフレートに振り向くと、危ないですよ、ですって!
いい加減にしてください、と言えない紬喜は笑みを引き攣らせて謝った。何故謝ったのか、どこも悪くなかったと自問自答していると、近くで見ていたクリスが、紬喜が、じゃなくて服がね、とクスクス笑っている。
ラルスがこの二人に近づかない理由を、そこはかとなく理解した。構って欲しくない時が、人にはある。
紬喜は、贅沢にもそれを実感した。