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朝食の後、クリスが追加の衣装について話がしたいと言い出した。
一文無しの上、追われている身としてはあまり贅沢をする訳にもいかない。そうは思うものの、最低限は確かに必要で…………紬喜は腹を括って臨む事となる。
出世払いって、こんなに怖いものだとは。いくら稼げるのかも分からないのに、先に支払い明細書が手元に来るって事だ。
ちなみに、服や生活雑貨等は街に専門のコーディネーターのような職種の人が居て、その人が用意するらしい。この地区に住む人々は、洗濯や掃除、食事や買い物等を自分でする事が少ないという。やはりこの地区はブルジョア階級の住むエリアなのかもしれない。貴族の区画は南王都だから、彼らは平民なのだろうけど。手を引いて居間のソファーに誘うクリスを見下ろし、紬喜はそっと息を吐く。
左に発注書を持つクリス。正面にアルフレートという布陣が敷かれた時には、まぁ頑張るだけ無駄だぞ、とラルスが面倒くさそうに言い置いて階下に降りた後だった。
「私は業者の窓口役なのですよ」
そう言いながらアルフレートは、服飾見本の冊子を差し出した。こちらの女性服は、何枚スカートを重ねて着るかが裕福さの表れらしい。聖女の時は四枚はあった。現在は二枚。下着を含めて三枚だから、まぁそれなりに動きずらい。
「普段着が最優先だね」
そう言うクリスは、一番上に着る事が多い膝丈のラップワンピースを指す。袖の無いチュニックで、形状は巻きスカート。まず、それが八着。またまた一般的らしい、ベル袖のブラウスワンピースが十着。インナーワンピースが十着。
ちょっと待った、数が可笑しい。
ワンピースが多すぎやしないか。出世払いが何カ月分になるのか、と冷や汗が止まらない。というのに、口を挟んだ紬喜にクリスは不満顔だ。
「最低限だよ。これ以上は減らせないからね?」
「下着類は十五セットくらいで、装飾品は…………」
アルフレートの発言にぎょっとし、装飾品は要りませんと叫ぶ。クリスの金銭感覚が可笑しいのか、本当に町の常識なのか分からない。だが、絶対にそんなには要らない筈だ。下着なんて二着でどうにかなるだろう。このままでは、初任給にボーナス払いという、カード地獄のような未来が待っているに違いない。
「クリス、私そんなに要らないよ。働きだしたら自分で買うし、この費用も返すけれど…………」
「紬喜、そんな事心配していたの?」
「そんな事って…………」
衝撃発言に絶句していると、おっとり微笑むアルフレートが注文書の下部を指差す。そこには既にサインがされていた。アルフレート・ラ・ローデンシュヴァルト…………アルフレートさんのツケだった。なのに、その注文書を我が物顔で書いているクリス――――クリスっ!?
「アルフレートさん、こんなに要りませんっ!!」
説得する方を間違えていたのだ。しかし、時は既に遅かった。
「これでひとまず出してみよう」
出来上がった注文書。ひらりと手にする少年は、得意げに微笑んだ。金額が書いていない。どうしよう、怖い!!
「僕らは紬喜に、出させる気は無いよ?」
「クリスファルト様が甲斐性のある方で良かったですね」
出世払いすると言い切れなかった私を、誰か責めて下さい。
出掛けたアルフレートに替わり、紬喜は昼食を机に並べていた。溜息が漏れるのは致し方無い。変化の無い王城生活から一転、半日で色々な事があり過ぎた。神出鬼没なジジはまだ姿が見えないし、クリスとアルフレートは優しいのに押しが強く、ラルスは…………ちょっと変だ。
四人で囲む昼食の席には、黒小麦のパンがサンドイッチになってスープと共に登場した。野菜の水気で適度にふやけた硬いパンと、甘辛ソースの肉が美味しい。
作ってくれたアルフレートは、長い白銀の髪に、恵まれた容姿。肌はちょっと白過ぎるけれど、熟れた果実のように赤い目は優しげで甘い。女性的な美しさだが、モテるに違いなかった。その上料理も上手いし、頭も良さそうだし、スポーツも万能だったら文句の付けどころがないだろう。どういった経緯で、居候になったのか。
彼は紬喜が見詰めていた事に気付くと、緩く微笑んで、艶のある視線を絡めてきた。
「紬喜様、お口に合いましたか?」
「お、美味しいです」
噎せかけたのを堪え、すぐさま視線を反らす。窓の外は良い天気だ。呑気に鳩サイズの鳥が飛んでいく。鳥と言えばこの肉…………
「あの、この肉は何ですか?」
「これは、フーナという魔鳥の肉を寝かせたものです」
「フーナ…………?」
「ご存じありませんか?今度、生きているのを買って参りましょう」
「…………い、生きてる?」
まさか、家で鳥さんを絞めて調理する気なんじゃ…………というか、魔鳥って食べて良いの?しかも生きたまま売っているって衝撃的だ。生肉の鮮度ならまだしも、生きてる鳥を見て新鮮ねって、自分はならないかもしれない。当然と言えば当然なのだが、途端に口の中の物が重みを増した。
「そういえば、食材って、どんな風に売られているんですか?」
「値段と鮮度でいえば、出店ですね。生も燻製でもありますよ。落ち着いたら、紬喜様にもご案内致しましょう」
「ありがとうございます…………あの、アルフレートさん、その”様”って止めません?」
「…………おや、何故です?」
「止めておけ。アルフレートには、様って呼ばせてた方が良い」
ラルスが渋い顔で口を挟む。様って呼ばれている間は優しくしてくれる、との事だ。経験者は語る、みたいな態度がしみじみしていて逆に怖い。
「ラルス・レイナス」
微笑みを浮かべたアルフレートが、ラルスの頬を抓った。
「って、抓んなって!」
「貴方の頬はね、私に抓られる為にあるんです、そうでしょう?」
「…………言ってろ」
昨晩の光景が、再び目の前に広がった。
「仲いいね」
思わず零れた言葉に、隣のクリスは、そうだねと答える。
「紬喜は、あそこに混ざっちゃ駄目だよ」
「うん」
混ざりたいとは思わない。でも、二十は優に超えていると思われる大人の男がじゃれ合う様子は微笑ましい。頬を抓るアルフレートさんはイイ笑顔で、口でしか抵抗しないラルスは食事を続行中。
言葉を間違えたな、これはカオスって言うのかもしれない。
「何時もこうなの?」
「ふふふ、どう思う?」
クリスは止める気すらないようで、パンに小さな歯型を残す。美味しいよね、このサンドイッチ。
「ラルスは痛くないのかな?」
「…………痛くないだろうね」
「え?」
クリスはニコっと笑うと、抓ってみたいかと聞いてきた。ラルスの頬を?今だって若干座った金の目でこっちを睨んでいる、ラルスの?むしろ、手を出したらあのパンみたいに噛まれそうだ。
確実に、私が痛い。
「…………まったく抓ってみたくない」
「そう?」
クリスはナプキンで手を拭うと、おもむろにその手を伸ばしてきた。意図を察した紬喜が、微笑んで顔を差し出す。
「つまんないな、嫌じゃないの?」
こんなに優しく抓まれては、痛いとも言えないが――――
「クリス抓んな~」
ラルスの真似をして、笑いを取る事には成功した。約一名、もの凄く怖い笑みだったけど。