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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と青い空
61/63

7-12

「紬喜、本当に良いの?」


 呼ぶ声が、震えているようだった。私に纏わり付く恐怖は、痛いかもしれない、という事だけだ。クリスはそれを恐れているのだろうか。自ら手を下す事を、優しい彼は嫌なのかもしれない。


「痛いのは…………我慢するよ?」


 その首に頭を寄せた。震えてはいないけれど、怖くない訳じゃない。


「大丈夫。私はクリスを信じてる」


 恐怖は、生きているからあるものだ。それを教えてくれたクリスに、私の気持ちなど簡単に伝わるだろう。


「すぐ終らせよう…………」


 入口の無い特別な塔。壁を擦り抜けるように入った内部は、深淵の世界だった。真っ暗な中で、確かなぬくもりに身体を寄せる。肩越しに見えた光が円形の魔法陣をかたどり、塔の床一面を埋めた。ぽぅっと淡い紫色に光を灯し、見た事の無い文字が浮かび上がる。そこから、ゆらゆらと光が立ち昇り、浴槽にお湯が溜まっていくように足元からクリスを染めて――――抱き上げられた私のつま先に触れる。


「っ!!」


 激痛だった。身を削られるような、言葉も出ない痛さ。逃げるように上へとしがみ付いて、声を堪えて。けれど腰回りにそれが触れた瞬間、紬喜は切り裂くような悲鳴を上げた。


 ぎゅっと抱き絞められる。痛みで朦朧とした意識は、おやすみ紬喜、と場違いにも穏やかな声を聞いた。


 隸属魔法だ。


 悲惨な事になるだろうと思っていた。魔法陣の上に横たえた紬喜は、うっすらと透けている。クリスはその右手から体制限の指輪を抜いた。冬の吐息のように弱い白が立ち昇り、彼女はとうとう姿を失って――――痛みから解放される。


 魔力を一気に流せば、魔法陣は輝きを増した。自然布の服は魔力に分解され、その場に満ちる魔気の濃さを示す。床に残されたリボンを拾いながら、クリスは虚しく床を撫でた。


 婚約は最低条件だった。


 この魔法陣を使えば、紬喜は意思以外、自分のものを失う。そればかりか、人族としての誇りである天命の時すら無くし、隷属状態になるのだ。だから身分を守る為の条件になったのだ。


 転化を恐れない彼女の強さ。人間としては、大した事でも無いような口ぶりで言う。それでいて、怯えながら信じていると向けてくる思いが熱くて、愛おしいと思った。苦しめる事しか出来ない。実際、辛い目に会わせてきた。なのに紬喜は、そんな僕に命を預ける事を躊躇わない。


 自惚れても良いのだろうか。


 死ぬまで傍に居る事を、望んでくれていると。


 紬喜だけは幸せにする。それが、こんな方法を課す自分を許せる条件だ。


 世界を満たす淡い紫。


 シュワシュワと炭酸の抜ける音が聞こえる。気が付くと紬喜は、沸騰した水の中にいた。ここは白く冷たい筈の世界なのに、今は煮えたぎるように泡で掻き乱されている。


「またここ?」


 身体はもう、泡に変わってしまったのか残っていない。意識だけで、白い世界が別の色に染まる様を見ている。クリスの魔力の色、淡い紫。毛先を染める色だと、前に聞いた。もう痛くもないから、怖くない。


 私は、クリスが好きなんだ。


 しかも結構、重症かもしれない。


 可愛い少年でも、生意気な男子でも、あの青年でも。中身は変わらない。意思を失い形だけ保つ魔獣に、クリスは何処か冷たかった。重要視していたのが中身だから。姿に惑わされていたのは、私だったんだ。


 目が覚めたら、何をしよう?


 痛かったって文句言う?ありがとうってお礼する?


「好きって、ちゃんと言おう」


 それが先だ。届かない空が、もしも掴めるなら…………私は。貴方を望んでも良いですか。寄り添い生きる幸せを、最期の時まで欲しいと言っても良いですか?


「つむぎ」


 クリスの声。聞き間違えたりしない、その声が呼ぶ。


 まだ泡の揺らめく、アメジストのような世界。声の方に行きたくて、丸いと思った空間を意思だけで押した。それはとても柔らかくて、すぐに星のような5つの角を持つ。逢いたい。心配しているだろう彼に、大丈夫だよって、笑って言ってあげたい。


 広がる世界。


 二本の足、伸ばす両手、見上げる顔と形を持って、慣れた体の感覚が甦り、やっと目を開く。青い空のような瞳が優しく見下ろして、紬喜、ともう一度名を呼んだ。


「…………くりす」

「紬喜」


 空が落ちてくる。吸い込まれそうな青に、自分が映って見えた。それが怖くて目を閉じる。羽が触れるように顔に吐息が掛かって、びくりと首を竦めた。咎めるように、頬を包む手が顔の位置を変える。


 唇が重なった。かたちを確めるように食まれ、一度離れてから、また合わさる。


 僅かに触れた場所から、身体を支配する酩酊感。与えられる体温が、ただ甘かった。


「紬喜…………」


 クリスは、簡易冠を付けた青年姿になっていた。それに驚いて目を瞬く。慌てて辺りを見回すと、光を失った魔法陣、明かりを灯す魔法ランプ。投げ出した足は裸足で、何だか寒いと気が付いた。


 床にまで広がる黒い髪。毛先の淡い紫。白い布をかけただけの裸の身体…………


「えっ!?」


 起こした上半身を支えるクリスは、思わずという風に笑った。そして何かを話す。またかと、紬喜は苦笑した。言葉が分からなくなっていたからだ。


「やっぱり五年かかったね。誰も老いていないから、君は気付かないだろうけど。僕には結構、堪えたんだよ?」


 クリスは片手に魔導書を呼び出した。パラパラとページのめくれる音が、とても懐かしい気がする。身体を隠す布を握り締める手、その指に力を入れた。醒めきらない意識が、また微睡みへと引き込まれそうだったから。


 魔力体は血が流れていないなんて嘘だ。高鳴る胸が、他の音を奪うほどなのに。寝ちゃう前に、最初にすること…………決めてあったんだからね。


「ねぇクリス、クリスに会えて、私は良かった。好きです。あなたの、こと、すき…………」

「…………愛しているよ、紬喜」


 額に唇を寄せて、言い逃げして眠ってしまった愛しい人を抱き締める。そうしないと、気の抜けた彼女はまた、魔力体へと戻りそうだった。透けかけた身体に眉を寄せ、体制限の指輪を握り締める。待つと約束したから。無理矢理姿を留めさせる事は出来なかった。


「君が居ないと、昼でも暗い気がするんだよ。寒いような、疲れたような…………分かるかい、僕にとって貴女は光だと。届かない彼方の太陽。そこから落ちて、地上を暖める陽だまりみたいだ」


 抱き上げれば、そのまま浮きそうな軽さに思わず苦笑する。中齢体になれば楽だろうに、それが出来ないのだ。一つの身体しか知らないから。人であった感覚が残っている事は、クリスにとって確実に救いだった。


「何処まで、僕を甘やかすの?」


 愛しさに泣きたくなる。辛いと、幸せである筈なのに思った。塔の壁を抜ける。やっとここから出せる事に、足が急いだ。


「クリスファルト様!」

「おいおい、透けてんぞ!?」


 待っていたアルフレートとラルスが目を見開く。


「すぐ隔離結界を張るよ」

「マジかよぅ」

「ラルスはまた、暫く紬喜に会えないね」


 敏感な彼は、強力な結界が苦手だった。


「…………マジかぁ」


 しょんぼりした様子が、あからさまだったから笑う。穏やかに、暖かい輪が紬喜を囲んだ。


「魔力は、安定されているのですよね?」

「まだ微妙なんだ」

「中齢体になれないのか?」

「やり方が、分からないみたいなんだよ」


 二人は言葉に詰まった。僕らにとって非常識。けれどそれが、彼女らしくもある。


「目が離せませんね。危なっかしくて」

「俺に聞きに来るのは、止めてくれよ」


 腕の中の紬喜が身動いだ。今度は何時目覚めるか分からないと思っていたから、驚いて足を止める。睫毛を震わせて瞳が開く。何故かびっくりしている三人が、私を覗き込んでいて、あれっと目を擦った。久しぶりのラルス、アルフレートさんはどんな顔でも美人で、クリスは菩薩か何かになったような、悟った微笑みを浮かべていた。


「紬喜、大丈夫?」

「お腹すいた」

「はぁっ!?」


 まともに反応したラルスの横で、クリスは何が食べたい、と尋ねる。紬喜はまた眠りそうな目をもう一度擦って、お赤飯、と誰にも分からない暗号を呟いた。


 全部が終わった日だから。


 召喚の阻止。使役からの解放。素材としての身体の放棄。だから、今日はお祝いしないと。これは祝う日にしないと。そう思った。


 結局、食べられなかった『お赤飯』。


 代わりに、関係者でパーティーが開かれた。目覚めてから半年後。その日紬喜は、自分が聖女姫殿下という訳の分からない呼び名で呼ばれている事を知った。




 

 

次話完結です。

明日は「おまけの設定+α」「最終話」の順で2話連続投稿します。

この順番でお読み下さって問題ありませんが、設定不要の方は飛ばして下さい。

 

 

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