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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と青い空
60/63

7-11

「明日?」


 クリスは溜息と共に笑った。紬喜は、コテンと首を傾げる。


「よく分からないんだ。光でも闇でも、正直どっちでも良いんだよ。でもね。選べるなら、闇の方がいいなって」


 転化の為の婚約だから、終えてからが本番ではないかと思った。人を試すなんて出来ない。だから、退路を断つ事で私を試す。どの道、転化以外でこの世界を渡り歩く術は無いのだ。


「僕が君の感覚を理解できないように、紬喜にも分からないんだね」


 伸ばされた手が頬を包む。すっかり大きくなって、少し硬い。けれど暖かくて、気持ちがいいその手を、ずっと前から…………好き。そう、好きだった。


「転化したら、魔力は僕と同じ色になってしまうよ」

「何か問題がある?」

「誰かと同じだなんて、嫌じゃない?」

「クリスと同じなら、嫌じゃない…………よ?」


 なんか、きわどい事を言った気がした。はたと気付き、慌てて、仲のいい人同士で同じ服を着たりするんだよ、そんな感じ、と付け足す。


「姿は変わらないと思うけれど」


 クリスは笑みを深めた。その目元が、すっかり苦手になっていた。目線を合わせたら赤面する事が分かっているからか、それとも、心の中を見透かされそうで怖いのか。空色から視線を逃がし、紬喜は彼が転化を急がない理由を考えた。


「僕らの身体はね。他者と意思を交わし、触れる為だけにあるんだ。君に触れられるのは、物質体という魔力とは違う性質のものを纏えるからに過ぎない。本来は、輪郭すら曖昧なんだよ。それを僕達はいとった」

「難しいよ、クリス…………」


 要するに、人より面倒くさい身体だからおススメ出来ないって事?


「私はクリスに触れて。ちゃんとこう、触り心地とかもして」


 同じようにクリスの頬に触れる。暖かい手の平と違って、少し冷たさを感じる顔。目を細めたその表情に、トンと鼓動が跳ねた。翻弄されるのを恐れ、目線が泳ぎ、また戻る。揺らぎない色。それを、恐る恐る見詰める。


「体温も、分かるし。姿も見えて。それだけじゃ駄目かな。私が人じゃなくなっても、この姿で居られるなら…………他に、望みなんて無いんだよ」

「…………君から奪う事しか出来ない。その最たるものが転化式だ」


 僕は、こんな方法を取る心算では無かった。


 転化陣なんて大昔の隷属魔法式を掘り起こして、それ以外を選べない土台を国に作られ。更に婚約者を帰還前に立てたとなれば、帰国後、即転化となってしまう。阻止できたのは、その相手が僕で、実兄エールことエーレンフィートが手を貸してくれたからだ。この隔離結界内に居れば、紬喜が光を失う事は無い。翡翠宮を巡る魔力が、彼女を何時でも握り潰せると示している。


 それで守れるというのに…………この僕からも。


「違うよクリス。私は貰ってばかりなんだよ?クリスに奪われてなんかない。魔力の属性なんて、どうでもいいんだよ?」

「甘いよ紬喜」


 何故辛そうな顔をするのか、本当に分からなかった。クリスは私にどうなって欲しいのだろう?


「ねぇ、よく分からないよ。本当は転化を、望んでないの?」

「望んでいるよ。僕が一番、望んでいるとも。ただね、急いでする必要は無いんだ」

「私は急ぎたいよ。だってクリスには、幸せになって欲しいから」


 子どもじゃないから、ずっと好きでいてくれるかもしれない。願いと同じくらい、駄目かもしれないと諦めている。眩しい未来へ進む後姿。何度も想像した、幼い彼の未来。その方が、隣に並ぶ自分よりも容易に想像出来るほどだ。


「転化すれば、私はこの世界に溶け込める。クリス、人は変わるよ。皇子様だし、頭も良くって…………私なんかっ!?」


 腰に回った腕が、一気に距離を埋めた。思わず詰まった言葉を告げようとした口に、一本の指の背が押し当てられる。その指は、開いてしまった唇を割り、僅かに前歯に触れた。


「君が選んでくれたんだ。ずっと紬喜が欲しかった、僕を」


 近付いた空の色。あまりに驚いて目が閉じられない。クリスは自身の、その指に口付けた。決して唇に触れないように、一瞬の事だ。


「僕達は、魔力の属性が合わない。だから、唇を合わせる事さえ叶わないんだ。まるで君に触れる事を、禁じられたように」


 解放された唇は、半開きのまま震えている。歯に触れられた衝撃。キスしても構わないと思った自分。もう後戻り出来ない気持ちに、気付かされる。彼を失うのは身を裂かれるように、辛いということ…………


「怖いかい?僕の闇に染まるのは」


 少年には、求めなかったものがある。疚しいと思ったからだ。だから踏み込めなかった。クリスは怖くない。恐いのは私だ。心も温もりも、見守りたいと思いながら、抱えてしまいたいと思った私自身。


 願う事は、半分諦めから出来ている。


 その壁を越えて、望んでしまった。傍に居たいと。この気持ちは、恋じゃない筈だったのに。


 自立の為の転化。それは、自分の心に気付いてしまってからは、全く別の理由を持っていた。少しでも長く、傍に居られるならと。寿命という壁を越える可能性を、人の身で願うなら…………


「怖くないよ。クリスと、お揃いになるの。死ぬ時まで一緒なら、淋しくないよね?私は身体なんて、いらない。光の魔力も要らないよ。それに災いの目は、全部摘んでおきたいの」


 まだ言い逃れようと、何処かで思っている。好きで居続けられる自信が無かったから。


「…………やっぱり紬喜は、僕が男だって分かっていないね?いいよ、君に合わせてあげる。転化は多分、凄く痛いだろうからね」

「えっ、い、痛いっ!?」


 紬喜の決意は、その一言で揺らいだ。なのにクリスは、にこりと微笑んで、言い聞かせるように低く囁いた。


「大丈夫だよ。あまりに辛そうだったら、意識は落としてあげるから」


 不穏だ!!


「ク、クリス、痛いって何!?」

「君の身体は一度無くなって、僕の魔力の一部として再構成されるんだ。転化とは、そういう事だよ。意思は残るから死なないだけ…………ね、止めたくなった?」

「…………止めない。むしろ今すぐでもいいくらい!」

「どうしてそうなるの?」

「恐いの分かってて、安眠なんて出来ない!!」


 紬喜は一気にやる気になった。踏み留まる猶予は、踏み込めないものに変わる。それはもう直ぐに、楽な方に流れるのだ。止まると駄目な事は、誰よりも知っている。


 クリスは肩を落とした。煽った訳では無かったのに、どうして予想外の方に転がってしまうのか。もうお手上げだった。


「そ、そうだ!ハサミ、ハサミを所望します!!」


 僕を本気で苦笑させるなんて、紬喜にしか出来ないだろう。


「何故、ハサミ?」

「髪を切ろうと思って」

「…………今?」

「うん、今!!」


 私は未練を残さない。


 待っていてくれる家族を、忘れない事。受験勉強の末に手にした、未来への一歩。その勉強は無駄じゃなかった。寂しくて泣いた夜。それを越えるなら――――


 カラーリングした髪は切る。


 父さんより長生き出来るのは、親孝行だ。自己満足だって良いじゃない。身体は届かなくても、思いは届く。届くと私は信じている。渋々ハサミを持ってきてくれたクリスを次間から追い出し、地肌に近い場所に刃を入れた。


 パチンと切れ味の良いハサミが、偽りの色を切り落とす。


「随分切ったね」


 驚いた様子のクリスに、満面の笑みを向けた。


「うん、さっぱり!」


 前髪は眉より上で、他はざんばら髪のショートカット。素人の全力などこの程度だ。鏡を見ると、その短さに兄を思い出す。容姿が変わらない事は、救いだった。


「じゃあ、今から行くかい?」


 諦め気味のクリスに、私の返事は一言しかない。


「うん!」

「元気だね、紬喜は…………」


 近寄って来た彼は、リボンの布を掛け直してくれた。そして、ふいにしゃがむ。ふわりと淡い金の髪が、綺麗に舞った。


「歩けるよ!?」


 足を掬われ、腕に抱き上げられたのだ。持ち上げてみたいと思った相手に、そんな事をされる日が来ようとは。火の付いた羞恥心。紬喜は足をバタつかせて抵抗した。


「やだー!おろしてー!!」

「暴れると、成体になるよ?」


 酷い脅しだ。待つって言ったのに。スパルタ反対!しゅんと大人しくなった紬喜は、恨みがましい目線を上げた。


「…………歩けるのに」

「僕が嫌なんだよ。転化陣に、自ら歩いて行かせるような、非道な男にさせないで」

「そんなに痛い?」


 ギロチンにスキップで近寄る死刑囚、みたいな感じだったりするのだろうか。笑顔を張り付けたクリスの表情は読めない。


「…………人間は、脳が揺れると気を失える。怖いなら、もう寝てしまう?」


 彼が話を逸らすあたり、不穏で仕方無い。一晩待たなくて正解だった。寝ない、と言った紬喜を抱え直し、クリスは階段を下りて塔から庭へと進む。その首に自然と腕を回すと、揺れる身体が密着して安定した。


「転化陣って、隣の塔なの?」


 淡く光る草花の向こうで、立ち入った事の無い塔が見える。


「紬喜は、隔離結界から出せないからね。おかげで、ラルスとは会わせてあげられなかったけれど」

「なんでラルス?」

「その言葉、君に言われるのは癪だなぁ」

「え?」


 確かに全然会わなかったけれど。そこで気付く。クリスと今、会話が噛み合っていないような。そんな事は初めてだった――――まさか、緊張してる?




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