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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と青い空
59/63

7-10

 

「逃げる事ないでしょう?」


 クリスが怖い。幽霊とかお化けの怖さではなく、身の危険を感じる恐さだった。


「少しずつ慣れれば良いよ、時間はいくらでもある」


 それは問題を先送りにする、とも言う。


「ねぇ紬喜。大人の僕の、何処が苦手なの?」


 遂に白状したクリスに、覚えたのは怒りだった。まだその話を続けるの!?本人の前で!!


 プツンと何かが切れたまま振り返り、前にある白いシャツをぐしゃっと掴む。収まらない動揺のままに揺さぶって、とうとう叫んだ。


「クリスの馬鹿っ!最初から言ってよ!!私、凄く、怖かったんだから!!怖い事無いって言ったのに!どうして意地悪するの!?私、クリス以外の人を好きになるかもしれないって、怖かったんだからっ!」


 背中に回った腕。近づいた肩。同じくらいの大きさのクリスが、何処までも優しく、弱く抱き寄せた。振り払ってもいいという頼りなさに、紬喜の指先からゆるゆる力が抜けていく。


「分からないと思わなかったんだ。気が付いて欲しかった。でも君が逃げ腰だったから、怖いのかと思って…………ごめん言訳だ」


 紬喜の肩に頭を伏せたクリスは、ぽつりと言った。


「僕は言いたくなかったんだ。君よりずっと年上で、成人していると」


 子どもだと思って、頭を撫で、抱きしめ、頬にキスまでしてしまった相手。両手で顔を覆う。墓穴でいいから入りたい。私は彼に何をした?


「どうして紛らわしい事したの…………私もう」


 お嫁に行けない、と言おうとして。新たに掘りそうになった墓穴に気付く。


「君が怖がると思って。あの家に、子どもが一人居た効果は分かるでしょう?」


 成人男性三人組の家に居候なんて、流石に考えものだ。でも、このモヤモヤが晴れる訳じゃない。大切で恩あるクリスが実は、直視して良いのか戸惑うほどの青年で、しかも婚約者。


 大問題だ。


 子どものクリスに年齢という猶予を見出していた。


 それはクリスだけの猶予ではなく、私の心の猶予でもあったのだ。私の婚約した相手は、子ども、じゃない。


「クリス…………」

「君が好きなんだ。だからごめん、僕はもう手放せない」


 背中の腕に力が入る。きゅうっと抱きしめられて、息苦しい心までもが締め付けられた。


「僕らは魔力体。人とは違うんだよ。紬喜が人の目線で居る限り…………僕は成長をしてくフリをする。だから、どの姿にも慣れて欲しいんだ」

「クリス…………」

「昼間は簡易冠を被らなきゃならない。成体になるしか無い僕に会いたくないなら、此処から出ないで」


 会いたくないんじゃない。夜しか会えなくなって、寂しかった。逢えなくて、淋しかったんだ。


 私は、姿が違うと受け入れられないの?


 あの人を好きになってしまうのは、怖い。年上で、目線を合わせるのも恥ずかしいような人を。会うたびにからかってくる余裕も、違う体格も。それこそ、届かない青い三日月のよう。明るく照らしてくれるのに、触れる事は許されないような。


 あれが、クリス?


「人が死してその骸を長く残すように、僕達は長く生きて、骸で残る時間はない。大体、八百歳が平均寿命になるのだけれど」

「は?」


 思わず顔を上げる。同じ背丈になったクリスの顔は、見えなかった。


「安心してよ。二百と九十歳のアルより年下だから。紬喜が慣れるまで待つよ。時間は沢山あるからね」


 アルフレートさんが、二百九十歳。そんな馬鹿な…………どう見たって、二十代後半が上限だ。


「ク…………クリスって何歳なの?」

「それは、聞かない方が良いんじゃない?君より年上だよ」

「血液型は?」

「血は流れていないよ。音楽を内包する人間とは、作りが違うから」

「え?えぇっ!?」

「教えたでしょう?魔力体だって」

「だって、だって血筋がなんのって話し、したよね!?」

「…………血の残し方について、聞きたいの?」


 近すぎる位置で言われたから、吐息が耳朶を掠めた。身体に力が入る。少年には聞けなかった内容だ。ずっと抱きしめられていたままの身体。放そうと押しても、びくともしない。今のクリスからも、あのクリスからも、そんな話を聞く勇気は到底無かった。


「クリス…………」

「ねぇ教えてよ紬喜。成長は喜ぶべき事なんでしょう?ならば何故、成体の僕をそんなに怖がるの?」

「ま、待つって、言ったよね!?」

「慣らすのは待ってあげるよ。でも努力はしたいから」


 首の血管を辿るように、クリスの唇が降りていく。なのに震えは下から上がってきて、緊張から呼吸が乱れた。努力するのは私の筈だ。絶対にこれ、わざとやってる!


「良いでしょ、紬喜?」


 全然良くない…………!!


 頭の中はぐちゃぐちゃだ。天使の少年は、実は、悪魔だったのかもしれない。震える指先は、彼を押し返すどころか縋りついていて。なのに突き放したい、とも思う。けれど力では敵わない。


「今日は駄目!」

「今日、は?」


 墓穴だった!!穴を掘っている間に、色々終わる。相手はクリスなんだ。煮ても焼いてもクリス。口だって勝てないかもしれない。


 相手が悪すぎる。


「…………クリスぅ」

「そんな声出さないで」


 腕が緩んで、身体が離れた。ほっとしたのに、とても切ないから泣きたくなる。どちらなのかと自問するなら、どっちも嫌だと答えるしかない。


「おやすみ紬喜。今日はもう、帰ってあげるよ」

「…………クリス」


 やっと見えた空色の瞳が、困ったように歪んだ。


「紬喜、僕は君が…………好きだよ」

「…………うん」


 白いシャツを掴んだままの手に、クリスの指が絡む。指先から滑って股に食い込むそれは、細いと思ったのに、自分より太くて大きい。放してしまったら、彼はここから帰ってしまう。


「クリス、私の転化は、まだ出来ないの?」

「何時でも出来るよ」

「えっ!?」


 取り上げられた右手。その指輪に、クリスは戸惑いも無く口付けた。見据える瞳。澄んだ空色の筈なのに、焼け付く黄昏のように危うく見える。


 揺らめく熱が、ままごとみたいな子どもの好意ではないと示した。彼を選んだのに、どっちつかずなのは私だ。


「じゃぁ、明日、転化できる?」




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