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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と青い空
58/63

7-9

 その夜の事だった。


 何時もより遅い時間に、それでもクリスは約束通り来てくれた。ただ、扉を開いたアルフレートの後ろから現れた姿に、驚きで言葉を無くす。


「遅い時間に、ごめん」


 普段より低い声で、気まずそうに彼は言う。どうにか気を持ち直し、紬喜は恐る恐る名前を呼んだ。


「クリス、だよね?」

「ごめんね。本当は、少しずつ慣れて貰うつもりだったんだけれど…………アルフレートに怒られて」


 クリスの背が伸びた。私と然程変わらない身長。頬の丸みが消えて子どもらしさが薄らいだ顔は、困ったように眉が下がっている分、幼さが残って見えた。


「人のように、緩やかに変化する事は出来ないんだ」


 彫りの深くなった顔で、クリスは弱った笑みを浮かべている。その少し首を傾げるところが、とても彼らしい仕草だった。


「びっくり…………した」


 しかし、他に感想が出てこない。


「ごめんね、怖い事は無いと言ったのに」

「こ、怖くは無いよ…………凄く、驚いた、けれど」

「本当に?」

「…………う、うん。クリス、背、伸びたね」


 もう少年というより、同い年の男子だ。淡い金の髪。涼やかさの増した目元、その瞳の色は変わらない。それなのに、感動とも違う鳥肌が立った。不思議と違和感は無くて、ちゃんとクリスだと認識できる、けれど。


 けれど…………彼は、婚約者なのだ。


 子どもからは想像出来なかったそれが、背の伸びた彼からは生々しく感じる。心がゆらりと揺れた。訳の分からない焦燥。背筋の震えは、やっぱり恐怖なのだろうか。成長を喜べば良いのか、何かを誉めれば良いのか、もはや、どうしたら良いのか分からない。


 あまりに、突然だったから。


「紬喜、君に触れても良い?」


 低くなってしまった声で、クリスは尋ねた。扉の前から一歩も動かないのは、彼も戸惑っているからかもしれない。紬喜はそこに、少し安堵した。寝間着の裾を踏まないように歩いて、慎重に近づいてみると、クリスは少し肩の力を抜いたようだった。


 目線は、彼の方が少し高い。ゆったりとした白いシャツに、丈の長いベスト。細身のスラックスに包まれた足先で、見覚えのある灰色の靴先が見えた。


「その靴…………」


 アストレブンで履いていた物だと思う。足は成長しなかったのだろうか?


「これは、魔法布まほうふといってね」


 クリスは首後ろから、水色のリボンを引き抜いた。しゅるっと衣擦れの音を立てて、淡い色の髪が広がる。髪が長いなんて、女の子みたいだと…………クリスを初めて見た時思った。けれど今は、到底そんな風には思えない。自分が髪をおろした姿との違いを、まざまざと見せ付けられるようだった。


 柔らかな髪と対比する、筋のある首。張りのある肩。


 子どもじゃなくて、もう、大人に近いんだ。


「紬喜?」


 呆然としていると、クリスは目の前で水色のリボンを振ってみせた。


「魔法布は、魔力を流すことで様々な形状に変化するんだよ。見てみたいだろう?」

「う、うん…………」


 逃げ腰になった紬喜に疑問を持ちながら、クリスはリボンに魔力を流す。それはたちまち大きく膨らむように伸び、灰色の布となる。それを広げ、ふわりと紬喜を包み込んだ。


「いくら婚約していても…………寝間着一枚で出て来てはいけないよ?」

「うっ…………」

「やっぱり君には、此方の常識が身に付くよう、女官を付けるべきかな?」


 クリスはクリスだった。そのお小言に、紬喜はがっくりと肩を落とす。何を身構えていたのだろう。思わず苦笑して、高さの近い顔から目を反らす。


「女官はね、なんか必要かもしれないって…………実はちょっと思ってるよ」

「そうなの?」

「気の合う人なら、部屋に閉じ籠っていても話し相手になってくれたり、する、かな?」

「部屋に閉じ籠る?」


 首を傾げたクリスに、もう言っちゃえ、と紬喜は手を握りしめた。


「…………実はね、凄く苦手な人が居るんだ」


 身体にはまだ、グッと抱き締められた感覚が残っているようだった。あの人が怖いのに、嫌いじゃない。そこが更に恐かった。


「この宮殿によく来る、王族の人なんだけど…………」

「あぁ…………」


 クリスは何とも言えない声を出した。


「そんなに苦手なの?」


 だから、素直に頷いた。


「じゃあ、今夜はその話を聞かせて?」

「え?」

「苦手なんでしょう?」


 そうだけど…………紬喜はとたんに言葉に詰まる。来ないようにして欲しかっただけなのだ。苦手な理由をクリスに話す?婚約しているクリスに話せる?急速に形を持っていく気持ちに、紬喜は慌てて首を振った。


「ね、ねぇ、クリス。私が言うのもどうかと思うけど、婚約者の前で、他の男の人の話をするのって良いの?」

「…………ふふふ、可愛いことを言うね」


 嬉しそうに微笑んだ後、クリスはくしゃりと紬喜の頭を撫でた。


「正直言えば、聞きたくないな。他の男の話なんて」


 その指先は、頬を撫でて離れていく。優しげに微笑んだ彼は、一変して、にっこりと楽しそうな満面の笑みを浮かべた。


「でもね、君の話を聞くのは、僕の楽しみなんだ」


 君の口を割るのは、と言わなかった所がせめてもの配慮だ。洗いざらい言わせる気でいる彼に、紬喜は妙な冷や汗をかく。


「でもクリス、今日はもう遅いから」

「眠たいの?」


 全く眠くなかった。紬喜は誤魔化すことが出来ず、しかしどうにかして追及の手から逃れようと考える。


「クリス、早く寝ないと大きくなれないよ」

「僕が成長しないと困る?」


 むしろ、これ以上成長したら困る。


「…………男は、見た目より中身だよ」


 だから急いで大人にならないで。


「良い言葉だね。身体が仮初の僕らには、もってこいだ」

「クリス、もう寝た方が良いよ」


 子どもは速やかに寝るべきだ。


「じゃぁ、一緒に寝室へ行く?」

「えっ!?」

「僕はまだ、紬喜の話が聞きたいな。この部屋で」


 此処か寝室の二択にしようとするクリスに、紬喜は頬を膨らませた。


「…………意地悪。言い難い事を言わせようとしないの!」

「言い難いの?何故?」

「な、なぜって…………」


 言える筈がない。あの人が気になるから苦手だなんて。他でもないクリスに言ってしまったら、自分を信じられなくなる。可愛くて、大切で、幸せにしたい彼が、いつか別の人を選ぶまで。


 私の一番はクリスだ。


 それが辛いからって、他を見ようとした?そんなつもりは無いけれど。あの人は多分、駄目だ。紬喜は首を横に振った。


「じゃぁ、君の苦手な人はどんな人なの?それが分からないと、僕も困るな」

「…………簡易冠をした王族の人だよ。クリスの兄弟でも従兄でも無いって」

「容姿は?」

「…………金髪に青い目」


 思い出したくない紬喜は、投げやりに答えた。


「ねぇ紬喜。ヴァスカディアの王族は、皆その容姿だよ。女神の恩恵を受ける光の髪と、氷の瞳」

「氷の瞳?」


 紬喜は思わず、クリスの瞳をまじまじと見詰めた。相対的に小さくなったとはいえ、睫毛の影が落ちて暗いとはいえ!そんな冷たい色じゃない。誰だ、氷だなんて例えたのは。だからその瞳を見詰めて、はっきりと言った。


「クリスの目の色は、空の色だよ。青い晴れた空の色。私の故郷では、秋の空が一番高くて綺麗だったんだよ」


 高くて手の届かない、天上の青。まるでクリス本人みたいな色なんだ。


「ありがとう。僕の色は薄いから、少し気にしていたんだ」

「贅沢者め」

「酷いなぁ」

「クリスは――――」


 容姿端麗で――――言おうとして、紬喜は息を止めた。


『人のように、緩やかに変化する事は出来ないんだ』


 クリスは変化と言った。成長、じゃない。


『見た目だけね?僕は、ラルスより年上だよ』


 何故、あの人の事を言わせようとしている?何故、アルフレートさんが怒ったの?


『少しずつ慣れて貰うつもりだったんだけれど』


 何に?


「ク、クリス…………!」


 嫌な予感がした。警鐘が聞こえる。その答えを出してはいけないと。


「どうしたの?」


 その笑顔が、幼さから遠のいた分だけ艶やかに見えた――――あの青年と似ている。


 きっと自分の顔は蒼白だろう。冷たい汗をかいている。だってクリスに、分からない筈が無いんだ。この結界に守られた宮殿に入った王族の名を。


「クリス、子どもの姿に戻れるんだよね?」

「そうだね」

「じゃぁ大人の姿にも、なれるんだ」


 空色の瞳が弧を描く。薄く形の良い唇が、ばれてしまったかな、と――――


「いやゃぁぁぁっ!!」


 絶叫だった。肩から滑り落ちた布をそのままに、寝巻を捲し上げて走る。開いたままの次間を抜け、内鍵のかかる寝室の扉に手を掛けた。けれど扉は開かない。三本目の手が押さえているからだ。




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