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クリス達の祖国ヴァスカディアは、建国八千年を誇る魔族達の帝国。その中の宗主国だという。
皇帝は慣習として魔王を名乗っているらしく、クリスの父…………あのトウモロコシ髭のお爺さんが、今代の魔王様だとか。全く魔王とは思えないふわふわした雰囲気の人だったので、大丈夫かな、と少し不安になった。
勇者にやられないか、とは流石に言えないけれど。
縦に長い窓から見える空。眼下に広がる建物と森。此処は、浮遊魔石の上に建てられた天空の城だ。全体像をまだ見れていない私に、看病に付いてくれたアルフレートさんが色々と話をしてくれた。
白灰色の自然石を壁材に瑪瑙翡翠石で屋根を飾った絢爛な建造物。塔と宮殿、回廊が今や一体化し、建設当初は王冠の形状をしていたという名残は、残念ながらもう見られないらしい。建物の上に建物が立っている場所があったり、地上八階に森があったり、川が流れていたりと構造は迷宮化している、との事だ。
しかも一番狭いという第一王女の住まいである水晶宮、正式名称ヘルブラウ宮殿で例えても――――宮の上に庭。そこに上宮殿と塔があり、その上宮の上に天宮殿があるという。庭など数えたらきりが無く、名前のない場所もあるとか。
迷子になったら二度と帰れないかもしれない。
聞くだけで不安になる此処で、私が暮らす事になったのがテイルキース宮殿、別名を翡翠宮という。この宮殿は地上四階から始まり、一階部分にある森と池が窓から見えた。三階の上に庭と天宮殿、三つの塔があるらしい。好きに使ってと言われたのはその塔の内の一つ、まるまる一塔だった。その二階の寝室で目覚めた私は、転移から丸一日経った昼間だと告げられたばかりだ。
「また病人食なんですか?」
紬喜が真っ先に聞いたのは、そんな食い意地の張った質問である。元の姿に戻ったアルフレートが笑ったのは、無理も無い事だった。
「熱はありませんでしょう?お好きな食べ物を、ご用意いたしますよ。移転の魔力は闇属性ですから、紬喜様には負担が大きかったのです」
「じゃぁ私、どうしてベッドから出ちゃダメなんですか?」
「クリスファルト様のご指示です」
隠すのは限界かもしれないと、アルフレートは思った。紬喜はもう、人の身では無い可能性が高い。体制限の指輪が二つ。それほど魔力の限界値が上がっていて、尚且つ自覚が無い。この宮殿に殆ど使用人を配置できなかったのは、クリスファルトの敷いた隔離結界の強力さと、光属性の紬喜が恐れられたからだ。
「日が暮れれば、殿下がお越しになります。それまで、私との世間話でお許し下さい」
アルフレートの心配性が、クリスにまで移ってしまったのだろうか。紬喜は思わず溜息をついた。ベッド横に彼が居る以上、出し抜く事など不可能だ。また子ども姿にならないのかと聞いたら、分かり易く嫌そうな顔をして、なりません、と断言された。残念です。
このお城の事は、いくら聞いても尽きない。アルフレート自身も話し上手で、その穏やかな雰囲気が不安を薄れさせてくれた。
大分日が傾いた頃、リンと涼やかな音色が響く。アルフレートのカフスボタンから鳴った音は、傍仕えの呼鈴なのだと言う。知らない事ばかりで気が重い。
「支度が出来たようです。紬喜様、この部屋に二人女官入れますが、良いでしょうか?」
「はい?」
よく分からないまま返事をした紬喜は、寝室からアルフレートが出て行った隙にベッドから逃げ出した。引きずる丈の寝間着を捲し上げ、気になっていた窓に駆け寄る。夕方に向かう空。キラキラと光を反射する屋根や窓が、溜息の出るほど美しい壮観な眺めだった。本当に私は、アストレブンでは無い所に来たんだ、そう実感する。
目線を部屋に戻すと、全体的に黄緑色で春のような雰囲気の部屋だ。調度品も高そうだし、さっきまで押し込められていたベッドの天蓋の見事な事…………部屋奥、開いたままの扉から白銀の髪を揺らせてアルフレートが戻って来た。絨毯のせいで、足音が聞こえない。
「紬喜様、ベッドにお戻り下さい」
「えー…………」
「ほほほ、私達は構いませんよ」
聞こえた女性の声に、紬喜はピシッと固まった。そういえば、何か入れるって言っていた。
「アルフレート様、後は私達が」
「男性は外でお待ち下さいな」
アルフレートを押し退けて部屋入って来たのは、二人の老婦人だった。揃いの栗色の髪に、黒い瞳。お仕着せも同じ深緑で、紬喜はきょとんと目を瞬いた。
「御初にお目にかかります。私達は翡翠宮の専属女官でございます」
「さぁ姫様、まずはお湯を使いましょうね」
「えっ?」
姫様…………って私!?この人達何?双子?
「さぁさ、此方ですよ」
「まぁ、もうお髪が色化を?可愛らしいお色です事」
「えっ、えっ!?」
紬喜は押されて引かれて、あんなに出たかった寝室から引き摺るように出された。アルフレートはもう居ない。私どうなるの!?
「あ、あのっ!」
「水はお嫌いですか?大丈夫ですよ、目を瞑っていれば、痛くありませんから」
「時間に余裕もありますし、天塩に掛けて磨いて差し上げますよ」
何をっ!?
慣れているアルフレートが言いそびれたばかりに、紬喜はとても心臓に悪い目に合った。
「紬喜?ねぇ紬喜、大丈夫?」
夕暮れにやって来たクリスは、翡翠宮本殿の応接室でぐったりしている紬喜と対面した。
「大丈夫じゃない…………なんなの、なんなのぉ」
「…………なんか、ごめんね?」
困惑気味にクリスは謝った。紬喜が女官に不慣れだとは思わなかったのだ。何しろ、アストレブンの王城に一月も居た。その生活の報告もアルフレートから聞いている。紬喜は確かに、女官に付きまとわれる事には慣れていた。しかし、あんなに喋る女官には不慣れだった。
一言いえば、返事は二倍。やたら褒めてくるのもこそばゆく、手取り足取り世話をする甲斐甲斐しさが恥ずかしい。能面メイドは最低限しかしなかったし、それが紬喜にも許容出来る範囲だったのだ。
頭を洗うのにシャンプーハットを付けられたのは、黒歴史だ。
「クリス、ここの人達って、みんなこうなの?」
聞かずには居られない。王族を筆頭に押しが強すぎる。
「ハース達は有能な女官だった筈なんだけれど、駄目だった?」
「駄目じゃないけど、私一人でもちゃんと出来るよ!?」
紬喜があまりに必死に言うので、クリスは苦笑した。
「じゃぁ、用がある時以外は下がらせるよ。それでいい?」
「ありがとうー!!」
クリスは何時もの調子だった。浮かべる笑顔の可愛さも、少し首を傾けて問う様子も変わらない。
安心した。
でも、安心している場合ではないのだ。私はここで、クリスの荷物になどなれない。支える事は不可能かもしれないけれど、せめて、何か役に立たなければ。




