7-2
クリス達が居間に帰ってきた後。明日帰る、と急な決定が告げられた。
バタバタしている内に、日が暮れ夜が明ける。心の準備が出来なかった紬喜は、手持無沙汰でソファーに身を沈めていた。
殆ど置いて行くとクリスが言った通り、家には色々な物が残ったままだ。胸のざわめきを花茶で流す。今日アストレブンを発つというのに、空は珍しく陰っていた。
もう、この世界でやる事は無い。
生きていれば前を向けると…………私が思ったように、ここの人達も思うだろうか。復讐と言いつつクリス達は、この世界を焦土にしたりしなかった。そこにやっと希望が持てた。
けれど、あんなに買ってもらった服も、揃っている食器も、全部置いて。まるで夜逃げだ。自分の使っていた物が、その後どうなるのか…………それが分からないと言うのは、そこはかとなく気持ちの悪い事だった。
「紬喜、緊張しているの?」
隣に座るクリスが、不安げに見上げてくる。さっきまで散々心配していたアルフレートがラルスと準備に出てしまい、元々何もやる事の無い紬喜は、こうして、お茶で時間を潰すしかない。
「緊張もしてるけれど、この家の事が気になって」
「家の移転は流石に…………向こうで、同じような家を建ててあげようか?」
「えっ!?」
気安く家って建つの?そんなはず無い。そういえば、クリスの金銭感覚はおかしかった。
「家が欲しいんじゃ無いよ。私は、なんか…………惜しいなって。こんなに置いて行くでしょ?毎日使っていた物、とかさ」
クリスは、そうかと笑みを浮かべた。彼女は潔癖なところがある。この家がその後、誰かに踏み荒らされるのが、嫌か。
「実はね、物を大切にするから、紬喜には言わなかったのだけれど…………移転陣を閉じたら、この家は壊れてしまうんだ」
「えっ!?」
「魔力の無い世界で、変わらず魔道具に頼る生活をしていたんだ。目隠しや他の結界が移転によって消える。歪み戻りの調節をね、誰も出来ない」
「そ、そうなんだ」
勿体無いって感覚、クリスには難しいのかな。紬喜は苦笑しながら思った。それを教えるべきなのか。多分、教えた方が良い。ただ、持っていけないから残す、という部分もあるのだろう。この状況で言うのは、彼に無駄な負担を掛けかねない。
「寂しいなぁって。馴染んだ場所を離れるのは」
「紬喜にそう言って貰えると、此処を去るのも惜しい気がするね」
言い方が、本当に可愛くない。もともとこんなノリの少年だったが、今日はその調子が鼻に付いた。背伸びしようとしないで欲しい。紬喜はカップを置くと、淡い金の髪に手を伸ばす。サラサラで、触れたとたんに指先を擦り抜ける。短い顔周りの髪で遊びながら、遠くを見る様な目で聞いた。
「クリスは、皇子様、なんだよね?」
目を細めたクリスは、緩やかに首を傾ける。
「紬喜は聖女様だよね」
「…………聖女って言わないでよぅ」
「僕も、君に皇子と言われるのは嫌だな」
「そんな事言われても」
事実じゃないか、と思う。けれどそうなると、聖女呼びも訂正出来ない気がした。サラサラと髪を梳いていた手が取られる。真っ直ぐに見上げる空色の瞳に、泳ぎそうになる視線が囚われた。
「今までの僕と、線を引こうとしているように感じるんだ」
苦しそうに言うクリスに、紬喜は目を伏せた。
「ごめん、そんなつもりは…………」
「紬喜はそのままで良いんだよ。態度を変えられるのは」
――――嫌だ。
はっきり言われて、逃げられない空色を見返す。そんなにじっと見られたら、穴が開きそうだと思った。
「…………努力するけど」
「けど?」
「周りの人に、私、怒られない?」
皇子様対応が、まず分からない。そう、変えようにも、変える態度が分からないのだ。
「…………君を怒る?」
「クリスに気安すぎるって、言われない?」
少し見開かれた瞳が、やっと逸らされた。くすくす笑うから、逆に目線を揃えて諭したくなったのは紬喜だ。
「ま、真面目に、考えてる!?」
「王家に入ることが内定している紬喜と、僕が親しくしていて、一体誰に咎められるというの?」
僕達は婚約しているんだよ、と紬喜には殺し文句になるだろうから、クリスは言わなかった。王家に入る、内定、もしかして後戻り出来ない?加減されていても、紬喜は十分不安になった。こんな大きな話しになるとは、思わなかった。
子ども同士の口約束、みたいな雰囲気から始まったのに。
数年傍に居られればと、狡い事を考えたツケなのか。どうしよう。歳上の気に入ったお姉さんと婚約しました的なクリスと、少年に唾つけましたって私の構図が浮き彫りになる。クリスの国全体に…………!
「クリス様、準備が整いました」
聞こえた声に、紬喜はぎょっとして振り向いた。一瞬誰の声か分からなかったのだ。癖のある水色の髪に金の瞳。間違いなくラルスなのに、背が低い。声が違う。その上…………
「若返った!?」
中学生くらいの男子になっていたのだ。思わず駆け寄ると、自分の方が背が高い。
「嘘でしょ!?縮んだの?どうしたの!?」
「つむぎさま、落ち着いてください」
少女のような高い声がした。まさかと視線を下げると、腰辺りに白銀の頭が見える。紬喜は、きゃーっと甲高い悲鳴をあげた。
「落ち着けよ嬢ちゃん」
耳を押さえて眉をしかめたラルスの顔は、全く怖くなかった。収まらない衝動に、ラルスの肩を掴みガクガク揺さぶる。
キラキラ白銀ストレート。透明感のあるピンクルビーの瞳は大きく、睫毛の影が落ちる。ほんのり色づく頬は丸みを帯びて、困った笑みで精一杯見上げる、この…………この破壊力!!
「可愛いっ!どうしよう、ラルスぅっ!!アルフレートさんが!アルフレートさんがぁっ!!」
「暴れんな、落ち着けって!」
「落ち着いたら、頭が可笑しくなっちゃうかもっ!!」
「どういうことだよ!?」
「紬喜、その辺にしてあげて?」
クリスの声に振り返ると、すかさずラルスが逃げて行く。
「クリス、どうなってるの?夢?私、寝てる?」
「移転の為に、二人には成体を解いてもらったんだ」
「成体を、とく?」
「移転陣は質量制限があってね。紬喜は今より質量を減らせないから、二人に減らしてもらったんだよ」
減らすって、減り過ぎだよ。主に年齢が!!
「人型の不完全な姿、中齢体って言うんだけれど…………アルの麗しさには、確かに驚くね」
「くりすふぁるとさま…………」
「嘘みたいに…………かわいい」
「つむぎさま」
「その姿は負担だろうから、もう行こうか。あちらも準備が出来ているんだろう?」
「はい」
アルフレートの少女声に、胸キュンってこの事だと紬喜は思った。階段の前で、クリスが彼に大丈夫かと気遣う姿にときめいた。
「ラルス、私可笑しいかも」
「元からだろうが」
小さくても彼は、可愛げが迷子だ。
「見てないで行くぞ」
階段を数段降りたラルスが、紬喜に手を差し出した。思わず首を傾げると、階下でクリスとアルフレートが見上げているのが見える。
「紬喜、早くおいで」
未来へ踏み出す。私は生きているのだから。




