6-10
「クリスファルト様、南の客間を使われますか?」
アルフレートが、ラルスお気に入りの部屋を指す。誓約をしておけ、という事だろう。その部屋が無人という時点で、謀られた事が分かるというものだ。急ぐ話では無かった筈――――本国からまた、何か来たか。
ふっ、と吐息を溢し、クリスは繋いだままの手を引いた。
「紬喜、少し時間を貰うよ」
冬晴れの光が差し込む客間は、家全体を包む結界と魔道具で温められている。二人きりにされて、不安になったらしい紬喜の瞳が揺れた。並んでソファーに座っても離されない手。何を話せばいいか、紬喜には分からない。片親で夫婦というものに馴染みが薄い。彼氏も作った事が無い上、相手は少年。
勢いで選んでしまったけれど、これからどうなるのか、どんどん不安になってくる。
しかし、アルフレートを選ぶという選択肢は無かった。彼を婚約者にした場合、確実に猶予が無い気がする。それに、男性というより母のような人なのだ。むしろ、そう思わないとやってこられなかった。
「心配しなくていいよ」
余程変な顔をしていたのか、クリスが穏やかな笑みを浮かべて言った。諭すような声音に、紬喜は苦笑する。私がしっかりしなくてどうする。
「僕の国では、成体以下の男女交際は原則禁じられている。だから怖い事は何も無いよ。紬喜、聞いておきたい事はある?」
「えーと。ご兄弟は…………?」
咄嗟にベタな言葉が出て来た。自分で言って、ドラマの見過ぎだと突っ込みたくなる。聞きたい事はあり過ぎるのに、もう頭が上手く動かない。
「僕は四人兄姉の末っ子だよ。父は一人だけど、母親は二人いるんだ」
「二人!?」
「二人とも紬喜を歓迎してくれるよ。急に家族が増えちゃってごめんね?」
「…………う、うん。あの、もしかして、一夫多妻とか、なの?」
「僕は紬喜一筋だから、安心して?」
紬喜の笑顔が一気にぎこちなくなった。婚姻は性別も人数も関係なく結べるなど、今の彼女には流石に言えない。そして、離婚制度が無いという事も言わなかった。
「私、クリスを選んで大丈夫だった?」
「何が不安なの、紬喜?」
優しく聞いて来るクリスに、大いに迷う。クリスが嫌がっていない様子が嬉しい反面、彼の家族の反応が気になってしまう。それに婚約って、彼氏とも違うんだよね?どう接していけばいいのだろうか。
「クリスの国では、私達くらいの年齢差って、大丈夫なの?」
「…………歳の差が、どうして問題になるの?」
不思議そうな顔をするから、全く問題が無いんだとすぐに分かった。
どちらかと言えば、とクリスは思う。僕が随分と若い子に手を出したな、と言われるだろう。だから、歳の話を彼女の耳に入れる気は無い。紬喜は好意を寄せてくれたのだから、手を掛ければそれ以上の気持ちも育つだろう。だからこそ、急ぎたく無かった。
なのに、いきなり婚約だ。
「ごめんね紬喜。こんな目に合わせる心算じゃ無かったんだ」
クリスのせいじゃない。転化を望まない道もある。それでも、一人で生きていける道を作っておきたいと思った。だってクリスは、眩しすぎる。成長すればするほど、私には過ぎた相手になるだろう。
「難しく考えては駄目だよ。時間はあるんだ。だから思い詰めてはいけない」
曇っていく彼女の表情に、クリスは目を伏せた。気になるのは、歳の差以外にもあるのだろう。紬喜の口は、早めに割った方が得策だ。
「クリスには、迷惑かけてばかりだね」
「どれの事を言っているのかな?僕には心当たりが無いのだけれど?」
とぼけた少年に、紬喜はくすりと笑い声を溢した。笑うところでは無かったのに、クリスも笑うから二人でくすくす笑い合う。漠然とした不安が、笑い声に溶けていく。
気持ちが解けて、どうしようもなく胸が痛んだ。
吸い込まれそうな空色の瞳を見る事が出来ず、目線は窓の外に流れる。人通りの少ない道。灰色の煉瓦。この家に逃げて来た時の事が、昨日の事のように思い出された。
「私、クリスに助けてもらえて、良かった」
ぽつりと言ってから、本当に良かったと胸の中で繰り返す。
「クリスありがとう」
「…………」
弱った笑みで、クリスは首を横に振った。ここで感謝などされたら、居た堪れないのはクリスだった。なのに紬喜は、これからもよろしくお願いします、と頭を下げてくる。彼女はよくこの動作をした。頭を下げる文化があったのだろう。クリスにしてみれば、身体より頭を前に出す分、相手との距離が縮まる行為。
近くに差し出された紬喜の頭を両手で挟み、顔を自分に向けさせる。
「略式だけれど、婚約の誓約を立ててもいい?」
「え?」
「言葉遊びのようなものだよ。僕が言った事に、君は『はい』と返事をすればいい」
硬い言葉の割には簡単な事のようだ。
紬喜が頷くと、クリスはサガラって家名だよね、と聞いてきた。一瞬何を言われたのか分からない。相良は私の苗字だ。彼には一度しか教えた事がないのに、本当に頭が良い。覚えていたんだ――――
「私の国風にすると、相良 紬喜って呼ぶんだよ」
「サガラ、相良か…………」
「誕生日とか血液型とか、そういうのも必要?」
クリスは首を横に振った。
「僕と紬喜の間では、魔力に触れる事は一切出来ない。だから本当に形だけだよ。この誓約は、ただの口約束…………でも僕は、君に対して手順を省きたくはないんだ」
クリスは真面目で細かいところがある。言われた紬喜は、こそばゆい気持ちで神妙に頷いた。澄んだ空色の瞳を少し伏せ、右手を胸に当てたクリスは、逆の手で紬喜の頬に触れたまま口を開いた。
「蒼き月に導かれし、救済の聖女」
穏やかな声が、歌うように流れる。淡い光を揺らす睫毛。陽だまりのような少年。
「穢れ無き光の魔力を纏う相良 紬喜に、地の国を統べる一族、クリスファルト・ディートリス・ラ・シュリック=ヴァスカディアが、婚約を希う」
開かれた空色の瞳が、強張った紬喜を映す。なんか、聞いてはいけない単語があった気がする!
「お許し頂けますか?」
「えっ!?…………は、はいっ!」
「ありがとう紬喜」
クリスが嬉しそうに微笑むので、紬喜は思考がストップしたまま、頬への口付けを許した。ちゅっとリップ音が聞こえ、驚きに上体を仰け反らせる。
「くくく、クリス!」
「これは祝福だよ」
咄嗟に頬を押さえる。驚きと焦り、羞恥が混ざって目が回る。
「…………名前、長すぎる」
聞かなければならない事が沢山あったのに、絞り出した声はどうでもいい感想を音にした。ふふっ、とクリスは口元を隠して笑う。上品な仕草なのに、悪戯が成功したという目をしているから台無しだ。
どうして、フルネームを聞いておかなかったんだろう。歳とか、誕生日とか、血液型とか、聞いておく事は山ほどあったのに!
「紬喜、難しく考えないでね?何不自由無く、今と同じような生活を約束するから」
「…………クリス」
確実に早まった。気軽な口約束どころじゃない。
口から魂が抜ける、という体験を紬喜は経験した。国名を名に持つ…………クリスは間違いなく王族だ。




