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漸く熱の下がった紬喜に、アルフレートは一つの箱を渡した。
真紅のビロード張りで、ちょっと大きな宝石箱を思わせるそれ。左右の留め金を外して開けてみると、中には色紙のような物が詰まっていた。自分で作った翻訳の魔導書には、文字の知識が含まれていない。だから紬喜は、丁度良くやって来たクリスに尋ねたのだ。
「クリス、これは?」
何故それが此処に。クリスは目を見開いて固まった。その後、みるみる意地悪な笑顔になっていく。
「あいつ…………」
唸るような言葉に、隠しきれない棘があった。
「クリス…………?」
おそるおそる名前を呼ぶと、ニッコリ微笑んだクリスがアルフレートの所在を聞いてくる。そこはかとなく、嫌な予感がした。
「これ、何?」
「釣書」
「なにそれ?」
「…………知らない方が幸せな事もあるよね」
「クリス…………私、文字が読めないんだ。これ、何て書いてあるの?」
「人の名前だよ。紬喜、アルフレートは何処に行ったの?」
そのゆったりとした声に、重さを感じた。笑顔なのに、背筋が寒くなる。
「何で、怒ってるの?」
「…………中を見てごらん?」
言われて、箱に視線を戻す。明らかに高価な、装飾の施された厚紙。手に取って複雑な文様の描かれた表紙を開くと、写真のような絵に目が留まった。波打つ長い金髪に、明るい青い目の青年。かっちりとした黒の衣装には紐飾りが絡み、手に持つ槍が精悍な印象を際立たせる。豪華というよりは洗練された装いで、ファッションモデルや普通の人という雰囲気では無かった。
「これは?」
「ヴァスカディアの皇太子だよ」
無言で次の紙を手に取ると、また金髪に青い目の青年が描かれていた。悪い予感に、紬喜はすぐに表紙を閉じる。
「これは?」
「第二皇子」
「これは…………?」
「アルフレートの兄上だよ」
「…………なにこれ」
釣書って、釣り…………私を釣るって事?なんで男の人ばっかり?というか皇太子って、随分偉い人だと思うんだけど。
それと名前を並べる、アルフレートさんの兄?
「アルフレートは何処?」
「お風呂の掃除に行きました!」
問題の箱をベッドに放置し、紬喜はクリスと一階へ降りた。容疑者は、階段下の踊り場で荷物整理している。
「アルフレートさん、何ですかあれ!?」
「あぁ、もう目を通されましたか」
至って穏やかな彼に、紬喜はぐぐっと詰め寄った。
「ちょっとしか見てないです。釣書って何ですか!?」
「紬喜様の後ろ楯となる、転化式の婚約者候補ですよ」
「はぁ!?」
寄った分後退した紬喜の背を支え、クリスはスッと目を細めた。
「アルフレート」
その程度で動じる男では無い。彼の視線を勝ち取ったのは、うぎゃぁと妙な声を上げた紬喜だった。
「なんであんなに!」
「落ち着いて紬喜。僕達の国でも、未成年と婚約なんて異例だよ」
「じゃあっ!」
じゃぁ、あの箱の大きさは何。あと何人入っているの!?
「君はね、僕らの世界では既に有名なんだよ。召喚阻止の功労者としても、同胞達を女神の元へ誘った聖女としてもね」
「なっ!」
世界を越えても、また聖女扱い!?ガーンと、金属音が頭に響く。婚約者と聖女のダブルパンチだ。へなへなと力が抜けて床に座り込むと、重力を何時もより多く感じた。ズーンとのしかかる何かに、思考が追い付かない。
「私…………どうしたら」
転化を望んだから、あんなものが届いてしまった?だからクリスは、あの時困ったように話していたの?疑問が脳裏を飛び交う。けれど、転化は諦める事が出来なかった。
「紬喜は、どんな暮らしを望んでいるの?」
「え?暮らし…………」
さっぱり分からない。クリスの国が、此処と似ている事くらいしか知らなかった。だから、単純に望みであれば口にする事が出来る。
「今と変わらないような生活なのかと、思って」
それでも、今みたいな生活は無理なんじゃないかな、とも思って。だから自立を目指した。なのに。
「いきなり婚約者?だって、どんな人かも知らないのに」
そんな風に将来が決まるなんて、考えもしなかった。
「なら、アルフレートを選ぶかい?」
「えっ!?」
「ラルスのもあるよ?」
「いやいやいや…………ん?ラルス、のも?」
紬喜はまじまじとクリスを見詰めた。
「僕を選んでも構わないよ?」
クリスがにっこりと微笑んだ。
「本気で言ってるの?」
「酷いよ紬喜…………」
「だってクリス、まだ子どもなのに」
そんな普通の事みたいに言えちゃうの?そういうお国柄?
「あぁ、またそこから始まるんだね…………」
困ったように笑うクリスが、ひとまず立てる、と手を差し伸べた。彼の傍に居たいと、その気持ちに嘘は無い。クリスには幸せになって欲しい。明るく無邪気に、笑っていて欲しい…………
「クリスは、嫌じゃない?」
「どうして?」
私の気持ちは、きっと恋じゃない。
だから口約束でも良いんだ。彼に本当に好きな人が出来るまで、隣で私が出来ることをする。精一杯、クリスの幸せを守っていく。それが、こんな狡い決断をする私の責任だ。
「紬喜が選んでくれるなら、僕は頑張って長生きするよ」
「クリス…………」
嬉しいのに、湧いてくる罪悪感。澄んだ空色がこんなにも眩しい。転化をすれば寿命が揃う、たったそれだけだ。子どものクリスなら年齢という猶予で、将来も選び直せるだろう。
優秀で優しくて、大切な男の子。
少しでも長く、見守っていたい。だからごめん。後悔したって思わせないよう頑張るから。少しだけ、未来を貰っていいですか。
「あの…………その内の破棄して良いから。私と…………私と、婚約してくれますか?」
「喜んで――――」
クリスは嬉しそうに微笑んだ。
その裏で、苦い気持ちが渦を巻く。破棄が防波堤なのだろう。紬喜の表情は安堵一色に変わって、なんと分かり易いのかと溜息を付きたくなった。知らない男を押し付けられそうになったら――――怖がりで臆病な彼女は、知り合いを選ぶだろう。そして、婚約という考えてもいなかった事柄と結びつかない子ども、僕を選ぶ確率が高い事も分かっていた。
こんな強固な手段を取られた理由が分からない。
国は、父は何を考えている?
もう彼女を手放せないと自覚している分、こうなってしまったのは辛い状況だった。




