6-8
うっすらと浮上した意識。白い光の差し込む部屋で、紬喜は身を起こした。ふらふらと寝間着のまま出窓に歩みより、何となく飾られた花瓶から花を一輪抜き出す。
その花に指先から小さく魔力を流すと、サラサラと白い光が舞った。
「私も、クリスと同じ…………」
何故、気が付かなかったんだろう。窓から目を反らすと、鏡に映る自分と目が合った。見慣れた姿。不気味に伸びた髪を切ろうとした時、クリスは何と言って止めた?
この世界に召喚された時点で、私は人とは違うものに変わっていたんだ。
以前は受け入れられなかったそれを、今は安堵に似た気持ちで受け止める事が出来る。手を伸ばして触れた鏡の中の私が、困ったように微笑んだ。どうなってしまうのだろう。
私は、どうしたい?
その問いに、結局答えは出ないのだ。けれど、一つだけ確かな事がある。長生きしたい――――死を目の当たりにして、そう強く思った。
「紬喜、起きたの?」
ノックと共に、廊下からクリスの声がした。思わずビクついた紬喜は、急に気まずくなって一人でオロオロ狼狽える。大泣きして縋りついてしまった。顔合わせるのが、恥ずかしくなったのだ。パッと頬を抑えて、横目で鏡を見る。耳が赤い気がする。そんな自分の姿を見るのも、猛烈に恥ずかしくなった。
「紬喜?」
その声に含まれる疑問符に、慌てて扉に走り寄る。両手で扉を押さえつけ、開かない扉にやっと人心地が付いた。
「…………うん、大丈夫だよ」
「熱は?」
言われて額に手を当てると、狙ったように扉が少し開かれた。もう一度押し返す事は流石に出来ず、数歩後退してクリスの入室を許すしかない。顔色、大丈夫かな。余計に気まずくなった紬喜は、そのままどんどん後退った。
「…………紬喜、僕が怖いの?」
「クリス…………」
よく考えたら、とても失礼な事をしている。そう思い至り、ゆっくり息を吸い込んだ。肺が満たされる感覚が、気分を少し落ち着かせる。
「違うよ。ごめん、何だかまだ、整理が付かなくて…………」
「うん」
「でも、気が軽くなったよ」
クリスは優しく微笑んだ。
「紬喜は結構、内向的なんだ。これからは、もっと話そう?そうすれば、悩み事は話した方が良いって、すぐ分かるようになる」
「そうだね」
「心配したんだよ。人は簡単に死んでしまうから」
本当に頭の下がる思いだった。話せば良かったのに、たったそれだけの事が出来なかった。
「ねぇ、君に触れてもいい?」
「え?う、うん、いいよ?」
近寄ってきたクリスはそっと、壊れ物を扱うように腕を伸ばしてきた。一番心配をかけたのは、クリスなんだ。その事に気付いて、情けなさに苦しくなる。頬に触れた手は少し冷たかった。それが熱の引かない身体には心地良い。無意識にすり寄った紬喜に、クリスは小さく笑みを溢した。
「まだ、寝ていた方がいいね」
淡い金の髪が光を弾いて、とても綺麗で。思わず見とれていると、水色の瞳が緩やかに笑みの形を描く。
「クリス天使みたい」
「え?」
うっかり言ってしまった口を押さえて、それも変だと思い直し、紬喜は両手を振ってみせた。あからさまに失言した、という行動を取った彼女に、クリスはゆっくり目を細める。
「天使と言うなら、光属性の紬喜だろう?」
「えっ」
「捕まえておかないと、空の国に帰ってしまいそうだよ」
「えぇ…………」
私が天使とか、そんな恥ずかしい話になってしまった。紬喜は会話の流れに焦る。
「でも、鳥籠に閉じ込めるのは可哀想だね。いっその事、その羽を捥いでしまおうか?」
クリスの口から、耳を疑うような台詞が飛び出した。可愛い顔して、なんて恐ろしい事を言うのやら。羽をもいだら、死ぬと思うよ?
「私は天使じゃないし、空は元から飛べないから」
「本当に?」
「本当に。それより…………クリスの方が、手の届かないところへ飛んで行ってしまいそうだよ」
こんな出来る美少年、引く手も数多だろう。クリスの国に行ったら、最悪、二度と会えなくなるかもしれない。三人で楽しく、とはいかないだろうと想像できた。
「なら僕を、鳥籠に閉じ込めてみる?」
「…………私、そういう趣味は無いんだよ?これは、ものの喩えだからね?」
クリスなら、鳥籠に入っていても違和感が無さそうではある。けれど、人道的によろしくない。
「残念だな」
面白そうに笑う少年に、紬喜は少し引いた。
「クリス…………まず、閉じ込めるって発想止めようね?そんな事しなくても、懐いたら逃げないもんだよ」
「どうかな?」
疑わしそうな表情をするから、過去にペットにでも逃げられたのかな、と紬喜は思う。そこで一気に血の気が引いた。
「ね、ねぇ、ジジはどうしてる?」
「ジジ?」
「黒い猫…………私、浄化しちゃった?」
困り顔で話していた紬喜は、急に青ざめてクリスの肩を掴んだ。話が飛んだな、とクリスは思いながら少し沈黙する。アルフレートの事は勿論話せない。
「元気にしているよ。ちょっと、会わせてあげられないけれど」
そう答えると紬喜は、余程安心したのか床にへなへなと座り込んだ。
「あの猫は、懐いていても逃げてしまうよね?」
クリスが話を蒸し返すと、紬喜は猫ってそうだよね、と相づちを打った後…………首輪をしてリードにでも繋ぐしかないかな、と不穏な単語を口にした。
「紬喜の世界では、そういうの合法なの?」
「そういうの?」
「首輪とか、リード、とか」
「猫ならね…………ってクリス、この話を鳥籠の話と繋げちゃ駄目だよ?人にやったら違法だからね?」
「そうなんだ?」
不味い。私、子ども相手に何教えてるの!?
「だだだ、駄目だよ?言葉が通じる相手にそんな事したら、犯罪だからね!?」
「あぁ分かった。お仕置き用なんだ?」
ひぃぃぃっ!クリスっ!!何なのこの会話、私、天使のクリスに何やらかしてるの…………あまりに愕然として、目尻に涙が浮かぶ。
「…………ごめん紬喜、泣かないで」
クリスは苦笑して、紬喜の頭を撫でた。不馴れだろうと分かりきっている彼女を、からかいすぎた。勿論、そうとは言えなかったが。アルフレートに首輪、吹き出してしまいそうだ。
「クリス…………」
罪悪感の籠った目線を遮るように、クリスは紬喜の額から髪を払った。まだ熱が高い――――
「僕は不安なんだよ。国に帰ったら君が、傍に居てくれないかもしれないと…………」
「やっぱり、傍に居られなくなるの?」
そんな気はしていた。分かりやすく悄気た紬喜が、とても可愛らしく目尻を下げる。
「君が僕を選ぶなら、傍に居られるよ。ずっとね。でも、まだ猶予があるから、急がなくていい。立てる?」
クリスは意外としっかりした力で、手を引いてくれた。立ち上がった紬喜は、少年を見下ろす。
きっと、あっという間に大人になるだろう。背だってすぐに追い越されて、綺麗で歳の近い彼女が出来る。それを傍で見ていて、自分は祝福出来るだろうか。
彼の好意を疑う訳じゃない。でも、人は変わる。
「クリス、私から魔力を無くす事って出来ないかな?」
「…………そんな事、出来ないよ」
一瞬湧いた怒りを収め、クリスは取り繕って無難な言葉を返した。紬喜はまだ、自分が魔力体に成りつつある事を知らないのだ。魔力が無くなれば死ぬと知らない。
「どうしてそう思ったの?」
「私が光属性じゃなければ良かったなって」
そうしたら私は、多分クリス達の世界に溶け込める。それこそ一人でも生きていけるだろう。クリスは綺麗な笑みに表情を隠した。困った子だ、とはっきり思ったからだ。
「…………闇属性に転化する事は可能だよ」
「転化?私、闇属性になれるの?」
思わぬ事を聞いた。紬喜はクリスを覗き込む。
「なれるんだけど…………」
「だったら私、闇属性になりたい!」
「えっ?」
「だってそうすれば、クリス達のところにいても問題無いよね?」
非常に乗り気な彼女に、クリスは内心狼狽えた。魔力の転化は、隷属の魔法なのだ。傲慢な天の人族を地に落とし、誇りとも言うべき寿命を縛る。この話は、今すべきではないと言うのに。
「そうなんだけれどね…………」
「クリスの魔導書も、使えるようになるんだよね?」
紬喜には、良い事づくめに思えた。これで不安の一つどころか、大半が無くなる気がする。
「…………そうだね。下位属性の揃う範囲でなら」
「クリスは、反対なの?」
しかし、クリスの歯切れは悪かった。
「反対?まさか…………ただ、転化をする場合」
とても困った顔で紬喜を見上げたクリスは、重い口を開いた。
「君は、婚約者を立てる必要があるんだよ」
「こんやくしゃ…………」
婚約者?って、結婚相手!?
「はぃ!?」
硬直した紬喜に、クリスは申し訳なさそうな顔をした。聞き間違えでは無いようだ。思い返せば異世界魔法、恥ずかしいものが条件でも不思議ではない。婚約者と聞いて、キス以上の関係かと紬喜は一気に飛躍した。
「ど、どど、どういう事っ!?」
「転化をすると、軸となった相手と寿命が揃ってしまうんだよ」
「え?」
「軸となった相手が死ぬ時、一緒に死ぬしかないんだ…………」
「それだけ?」
頷くクリスに、紬喜は盛大に拍子抜けした。つまりあれだ。死でさえも二人を別つ事がないと。本命同士なら美談だろうけど…………婚約までする必要ある?いや、凄い返事が来なくて良かった。ほーっと大きな安堵の溜息が零れる。そこで安心する紬喜に、クリスは眉を寄せた。
「急いで答えを出さなくても良いよ。紬喜が何を選んでも、僕はそれを支持していく」
「クリス…………」




