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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と祝福
41/63

6-2

「ラルス、アルフレートさん…………クリス。今まで、ありがとうございました」


 召喚の塔の入口で頭を下げて、上げ事が怖くなる。喉の奥が痛くて、目頭も熱くて、もう一度顔が見たくて――――紬喜は背を向けて、一目散に赤い絨毯の上を走り出した。


 塔の地下一階で、聖句を唱えながら浄化魔法を使えばいい。クリスは一節と指定していたから、それが終わったら…………ありったけの魔力を開放して、塔を崩壊させる。地上八階、地下二階。私の体は、きっと召喚素材には出来ないレベルで破損するだろう。


 もし、それが叶わなくても…………クリス達が、私の身体を残しはしない筈だ。


 窓の無い真っ暗な地下室は、まるで黄泉へ続く入口のようだった。怖い。幽霊もおばけも、怖い。今からそれの仲間になるのに、恐かった。自分を勇気づけるように、部屋に足を踏み入れながら聖句を詠い出す。足元に展開紋が広がり、白い光が徐々に部屋を照らした。水の波紋のように、白い石床に光は線を描き、やがて魔力吸出の効果が加わる。流れ出すものは増えたけれど、それは微々たるものだった。がらんとした部屋の床は展開紋で埋まり、聖句もさして長く無い。


 これで大丈夫なの?


 そう思うほどあっけなかった。外はどうなっているのだろう。世界中の魔獣達が浄化される筈なのに、これほど穏やかで良いのだろうか。見上げた天井も、床と同じ白石。


 え?


 その天井に展開紋が現れる。白いレースの花――――光属性。


 なんで!?


 聖句を唱えながら、紬喜は焦りを覚えた。その場所には、魔法を展開していない。では誰か居るのか。そんな筈ない。だって、光属性を使えるのは私しか居ないのだ…………もしかしてあれは、かつて抜き取られた私の魔力!?


 どうしたらいい?


 クリスは居ない。自分で決めるしかない――――彼は、一節で良いと言った。


 私はその言葉を信じる!


 聖句の最後の言葉を叫びながら、紬喜は一気に魔力を開放した。展開紋は壁にまで広がり、量では天井を上回る。


 この世界で、無力に嘆く只人じゃなかった事に感謝しなくてはならない。私を召喚したのが運の尽きと、思い知るがいい。自分を強く保って、貧血みたいな気持ち悪さを押し込める。展開紋が初めて見る多重展開に変化し、一気に魔力が流れ出た。天井の展開紋が自分の多重展開紋に書き換えられる様を見て、口角を上げる。


 クリスに見せたかった。私がちゃんと魔法を使えているところを。


 紬喜と、名前を呼ばれるのが好きだった。空のような澄んだ瞳で見上げてくる、可愛い少年。


 死なないで、と彼は言わない。それに薄々気が付いて。天使の微笑みの裏で、どんな気持ちだったのかとその時考える余裕も無かった。子どもらしい外見に見合わない、真剣な表情をする。


 それに、ただただ気圧された。


 ごめんねクリス。


 私には、大人になったクリスに並ぶ勇気も、生涯逃亡生活を送る自信も無い。出来る事はこれ以上、煩わせない事だけだ。生きていれば、いくらでも前を向ける。同胞達の骸の上に築かれたこの世界ごと…………


 私が、その憂いを払ってあげるよ。


 思いを込めて、更に魔力を開放する。ピシッと石のひび割れる音が聞こえ、紬喜は唇を噛んだ。


 時間が無い――――


 落雷のような激しい光が目を焼く、同時に体中に痛みが走った。


 しかし、何の音もせず、それ以上の衝撃も来ない。恐る恐る瞼を開くと、そこは真っ白に染まった世界で、上も下も分からない場所だった。もう死んでしまったのか、水の中のように包み込まれる冷たさの中で漂っている。ぽこり、ぽこりと沸き上がる泡に視線を下げると、足先が泡に包まれていた。


 人魚姫の最期みたい。


 勢いを増して、キラキラと光が眩しい。それでも目が逸らせない。シュワシュワと音がしそうな泡に変わっていく身体。それがどんどん感覚を奪っていく。こんなに綺麗で痛みも無い。良かったと安堵する。これで良かったんだ。無意識に伸ばした右手。高く上げたその人差し指で、紫水晶の石がキラリと光った。


 ――――クリス。


 きっと泣くだろう。彼は、私が死んだら泣いてくれる…………それを喜ぶ自分は最低で、こうして居なくなる以外に答えを出せない。私が消えれば終わるのだ。白い泡が視界を埋めていく。


 もう駄目かと目を閉じかけた紬喜の前を、何かが横切った。


 紺の巾着。洗濯ばさみ。眼鏡。銀の指輪――――


「え?」


 ハンガー。スリッパ。フォーク。割れたカップ、それに描かれた不格好な猫の柄。紬喜は口を押えた。あれは母の仏前に供えていた物だ。不思議な事に、割れた破片だけを残して無くなってしまった、陶器のカップ。


 なんで――――


 身体の感覚は指先と顔しか残っていない。漂う紬喜を上に押し上げるように、泡が勢いを増す。その流れの中で、見覚えのある帽子とクッションが飛んで行く。掴もうとしたのに、手の感覚を喪失していて、目を見開く事しか出来ない。


 花柄のシュシュ、何処かで落としたと思っていた。


 シルバーのピアスは、片方無くした筈だった。


 こんな所にあったんだ。


 白い白い世界で、最後に足元から現れた影。それは、二度と見る事が無い筈の姿だった――――



 召喚の塔から、真っ白な光の柱が上がる。


 夜空を昼のように照らし、仕掛けによって一気に増幅されていく。王城の守りであった守護陣は既に別物だった。第三の塔から上がった光は、一気に残りの四塔へ流れて巨大な五芒星を描く。


 更に魔力は増幅され、その頂点からも光の柱が上がり始めた。その圧に耐えかねた王城中の心部は、たちまち轟音を上げて崩壊する。さらに光の帯は外側の小塔へも伸び、一度五芒星を描いた後、十五の角を持つ星へと姿を変えた。外壁上に円を浮かび上がらせ、完成したのは二つの星を抱く直径六キロの魔方陣。


「アルフレート」


 クリスの指示に、次の仕掛けを起動する。紬喜の浄化魔力を貯めた魔石。それに施した封印は、彼の制御下から切り離す事によって、すぐさま場に満ちた光の魔力に浸食され、崩壊を余儀なくされる。


 紬喜本人の魔力に触れた浄化魔石が、一斉に力を放出し始めた。王城を囲い込む正方形。その頂点でも白い光の柱が空へと昇る。次々と王都の街で柱が上がり、正方形は八芒星へと変化した。


「ラルス」


 彼は魔導書を起動する。世界各地に仕込まれた黒い伝達の魔導書は、この日、言葉ではなく白い魔力を届けた。空が白く焼ける。世界中で白い光の柱が立ち、それは頂点を結び、大きな星を描いていく。降り注ぐ光の魔力。夜空を白く染め上げ、レースのような花柄の展開紋に変化した瞬間、ひときわ強烈な光の雨が降った。


 共存出来ない二つの力。何倍にも増やされた光に、世界の闇は成す術も無く消滅するしかない。


「紬喜はまだ、余力があるか。アルフレート、魔道具の維持は大丈夫?」

「…………なんとか」

「ラルス、援助を」

「行かれるのですか」

「うん。紬喜を迎えに行ってくる」


 クリスはひらりと魔道具の結界を越えた。辺りはまだ、浄化の魔力に満ちている。身に付けた光属性疎外の魔導具が、クリス自身の魔力を糧として一斉に輝きを増す。それを一瞥して、召喚の塔へ足を向けた。


 光の中を歩く。


 本当に、死ぬ気でいたんだね。


 クリスは目を細めた。紬喜は何も言わない。それは、彼女の中で人生の終わりという答えがあったからだろう。永遠に答えをくれないものに執着する。それは、紬喜なりに現実逃避だったのかもしれない。


 彼女は死にたくないと、言わない。


 臆病で怖がりなのに、助けてとも言わない。


 輝きを増す召喚の塔の内部。屠った召喚士達の体が、光の魔力に晒されて粒子分解を始めている。煌めきに体を変える、人だったもの。


「紬喜、もう十分だよ」


 地下の召喚の間は一面光の展開紋で埋め尽くされていた。白い曲線で描かれた大輪の花の中心で、少女は自身の魔力を制御しきれず気を失っていた。多分、そうではないかと思っていた。紬喜は大きな魔力を動かす訓練を一度も受けていない。受けさせる用意が出来なかったという理由もあるが、クリス達は家で練習させていたような、ごく低量の魔力しか望んでいなかったのだ。この世界を包むのに必要な魔力は、紬喜にとって、さしたる量ではないのだから。


 この部屋は、魔力を吸い上げる性質を持つ。


「やはり塔を破壊するしかないか」


 流石のクリスでも、魔力を放出し続ける紬喜に触れる事は叶わない。しかもこの場で、闇に属する魔法は瞬時に浄化されて使い物にならない筈だ――――床の魔法性質が残っている、ということは、浄化は術者の足元には及んでいない?


 この下にある地下二階は、贄の間だ。階段を下りると、まだ大量に残されていた死体には防腐の魔法が――――闇に属する魔法が掛ったままだった。


 魔法初心者は、自身の足元に効果を及ぼす事が出来ない。


 クリスが教えた通りの、初心者らしいミス。差し出した右手に紫の魔導書を乗せ、一気に多重展開を開始する。紫色の蔦が贄の間に広がり、触れた死体の腐敗を急速に早めた。九層の障壁が床と並行に完成する頃には、贄の間で姿を保っているのは淡い金髪の少年だけとなる。


「さぁ、紬喜。落ちておいで」


 自身の魔力によって形成した風の魔法が、天井を四角く切り抜いた。落ちる床材は障壁に触れる度に相対する魔法の余波でそれを割り、落下速度を落とす。残り三層で、遂に紬喜の魔法が消失した。雪が舞い上がるような白い残滓が舞う。切り落とされた床材の上で倒れたまま動かない紬喜に、クリスは近付いた。彼女からは、一切闇の魔気を感じない。


 成功だった。


 紬喜を蝕む闇は、全て消えた。彼女が過剰放出した魔力により、仕掛けた魔道具が動いたのだ。完全な光属性の人間――――人間と言えるかは若干怪しいが。もう、闇との対消滅に怯える事は無くなった。


「紬喜」


 柔らかな頬に触れ、そのまま首筋をなぞる。確かに脈打つ生命の証。生きているだけで愛おしいという事を、君が知る日は来るのだろうか――――


 何時も笑って過ごせるように。


 許されるなら、願っていたい。



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