6-2
「ラルス、アルフレートさん…………クリス。今まで、ありがとうございました」
召喚の塔の入口で頭を下げて、上げ事が怖くなる。喉の奥が痛くて、目頭も熱くて、もう一度顔が見たくて――――紬喜は背を向けて、一目散に赤い絨毯の上を走り出した。
塔の地下一階で、聖句を唱えながら浄化魔法を使えばいい。クリスは一節と指定していたから、それが終わったら…………ありったけの魔力を開放して、塔を崩壊させる。地上八階、地下二階。私の体は、きっと召喚素材には出来ないレベルで破損するだろう。
もし、それが叶わなくても…………クリス達が、私の身体を残しはしない筈だ。
窓の無い真っ暗な地下室は、まるで黄泉へ続く入口のようだった。怖い。幽霊もおばけも、怖い。今からそれの仲間になるのに、恐かった。自分を勇気づけるように、部屋に足を踏み入れながら聖句を詠い出す。足元に展開紋が広がり、白い光が徐々に部屋を照らした。水の波紋のように、白い石床に光は線を描き、やがて魔力吸出の効果が加わる。流れ出すものは増えたけれど、それは微々たるものだった。がらんとした部屋の床は展開紋で埋まり、聖句もさして長く無い。
これで大丈夫なの?
そう思うほどあっけなかった。外はどうなっているのだろう。世界中の魔獣達が浄化される筈なのに、これほど穏やかで良いのだろうか。見上げた天井も、床と同じ白石。
え?
その天井に展開紋が現れる。白いレースの花――――光属性。
なんで!?
聖句を唱えながら、紬喜は焦りを覚えた。その場所には、魔法を展開していない。では誰か居るのか。そんな筈ない。だって、光属性を使えるのは私しか居ないのだ…………もしかしてあれは、かつて抜き取られた私の魔力!?
どうしたらいい?
クリスは居ない。自分で決めるしかない――――彼は、一節で良いと言った。
私はその言葉を信じる!
聖句の最後の言葉を叫びながら、紬喜は一気に魔力を開放した。展開紋は壁にまで広がり、量では天井を上回る。
この世界で、無力に嘆く只人じゃなかった事に感謝しなくてはならない。私を召喚したのが運の尽きと、思い知るがいい。自分を強く保って、貧血みたいな気持ち悪さを押し込める。展開紋が初めて見る多重展開に変化し、一気に魔力が流れ出た。天井の展開紋が自分の多重展開紋に書き換えられる様を見て、口角を上げる。
クリスに見せたかった。私がちゃんと魔法を使えているところを。
紬喜と、名前を呼ばれるのが好きだった。空のような澄んだ瞳で見上げてくる、可愛い少年。
死なないで、と彼は言わない。それに薄々気が付いて。天使の微笑みの裏で、どんな気持ちだったのかとその時考える余裕も無かった。子どもらしい外見に見合わない、真剣な表情をする。
それに、ただただ気圧された。
ごめんねクリス。
私には、大人になったクリスに並ぶ勇気も、生涯逃亡生活を送る自信も無い。出来る事はこれ以上、煩わせない事だけだ。生きていれば、いくらでも前を向ける。同胞達の骸の上に築かれたこの世界ごと…………
私が、その憂いを払ってあげるよ。
思いを込めて、更に魔力を開放する。ピシッと石のひび割れる音が聞こえ、紬喜は唇を噛んだ。
時間が無い――――
落雷のような激しい光が目を焼く、同時に体中に痛みが走った。
しかし、何の音もせず、それ以上の衝撃も来ない。恐る恐る瞼を開くと、そこは真っ白に染まった世界で、上も下も分からない場所だった。もう死んでしまったのか、水の中のように包み込まれる冷たさの中で漂っている。ぽこり、ぽこりと沸き上がる泡に視線を下げると、足先が泡に包まれていた。
人魚姫の最期みたい。
勢いを増して、キラキラと光が眩しい。それでも目が逸らせない。シュワシュワと音がしそうな泡に変わっていく身体。それがどんどん感覚を奪っていく。こんなに綺麗で痛みも無い。良かったと安堵する。これで良かったんだ。無意識に伸ばした右手。高く上げたその人差し指で、紫水晶の石がキラリと光った。
――――クリス。
きっと泣くだろう。彼は、私が死んだら泣いてくれる…………それを喜ぶ自分は最低で、こうして居なくなる以外に答えを出せない。私が消えれば終わるのだ。白い泡が視界を埋めていく。
もう駄目かと目を閉じかけた紬喜の前を、何かが横切った。
紺の巾着。洗濯ばさみ。眼鏡。銀の指輪――――
「え?」
ハンガー。スリッパ。フォーク。割れたカップ、それに描かれた不格好な猫の柄。紬喜は口を押えた。あれは母の仏前に供えていた物だ。不思議な事に、割れた破片だけを残して無くなってしまった、陶器のカップ。
なんで――――
身体の感覚は指先と顔しか残っていない。漂う紬喜を上に押し上げるように、泡が勢いを増す。その流れの中で、見覚えのある帽子とクッションが飛んで行く。掴もうとしたのに、手の感覚を喪失していて、目を見開く事しか出来ない。
花柄のシュシュ、何処かで落としたと思っていた。
シルバーのピアスは、片方無くした筈だった。
こんな所にあったんだ。
白い白い世界で、最後に足元から現れた影。それは、二度と見る事が無い筈の姿だった――――
召喚の塔から、真っ白な光の柱が上がる。
夜空を昼のように照らし、仕掛けによって一気に増幅されていく。王城の守りであった守護陣は既に別物だった。第三の塔から上がった光は、一気に残りの四塔へ流れて巨大な五芒星を描く。
更に魔力は増幅され、その頂点からも光の柱が上がり始めた。その圧に耐えかねた王城中の心部は、たちまち轟音を上げて崩壊する。さらに光の帯は外側の小塔へも伸び、一度五芒星を描いた後、十五の角を持つ星へと姿を変えた。外壁上に円を浮かび上がらせ、完成したのは二つの星を抱く直径六キロの魔方陣。
「アルフレート」
クリスの指示に、次の仕掛けを起動する。紬喜の浄化魔力を貯めた魔石。それに施した封印は、彼の制御下から切り離す事によって、すぐさま場に満ちた光の魔力に浸食され、崩壊を余儀なくされる。
紬喜本人の魔力に触れた浄化魔石が、一斉に力を放出し始めた。王城を囲い込む正方形。その頂点でも白い光の柱が空へと昇る。次々と王都の街で柱が上がり、正方形は八芒星へと変化した。
「ラルス」
彼は魔導書を起動する。世界各地に仕込まれた黒い伝達の魔導書は、この日、言葉ではなく白い魔力を届けた。空が白く焼ける。世界中で白い光の柱が立ち、それは頂点を結び、大きな星を描いていく。降り注ぐ光の魔力。夜空を白く染め上げ、レースのような花柄の展開紋に変化した瞬間、ひときわ強烈な光の雨が降った。
共存出来ない二つの力。何倍にも増やされた光に、世界の闇は成す術も無く消滅するしかない。
「紬喜はまだ、余力があるか。アルフレート、魔道具の維持は大丈夫?」
「…………なんとか」
「ラルス、援助を」
「行かれるのですか」
「うん。紬喜を迎えに行ってくる」
クリスはひらりと魔道具の結界を越えた。辺りはまだ、浄化の魔力に満ちている。身に付けた光属性疎外の魔導具が、クリス自身の魔力を糧として一斉に輝きを増す。それを一瞥して、召喚の塔へ足を向けた。
光の中を歩く。
本当に、死ぬ気でいたんだね。
クリスは目を細めた。紬喜は何も言わない。それは、彼女の中で人生の終わりという答えがあったからだろう。永遠に答えをくれないものに執着する。それは、紬喜なりに現実逃避だったのかもしれない。
彼女は死にたくないと、言わない。
臆病で怖がりなのに、助けてとも言わない。
輝きを増す召喚の塔の内部。屠った召喚士達の体が、光の魔力に晒されて粒子分解を始めている。煌めきに体を変える、人だったもの。
「紬喜、もう十分だよ」
地下の召喚の間は一面光の展開紋で埋め尽くされていた。白い曲線で描かれた大輪の花の中心で、少女は自身の魔力を制御しきれず気を失っていた。多分、そうではないかと思っていた。紬喜は大きな魔力を動かす訓練を一度も受けていない。受けさせる用意が出来なかったという理由もあるが、クリス達は家で練習させていたような、ごく低量の魔力しか望んでいなかったのだ。この世界を包むのに必要な魔力は、紬喜にとって、さしたる量ではないのだから。
この部屋は、魔力を吸い上げる性質を持つ。
「やはり塔を破壊するしかないか」
流石のクリスでも、魔力を放出し続ける紬喜に触れる事は叶わない。しかもこの場で、闇に属する魔法は瞬時に浄化されて使い物にならない筈だ――――床の魔法性質が残っている、ということは、浄化は術者の足元には及んでいない?
この下にある地下二階は、贄の間だ。階段を下りると、まだ大量に残されていた死体には防腐の魔法が――――闇に属する魔法が掛ったままだった。
魔法初心者は、自身の足元に効果を及ぼす事が出来ない。
クリスが教えた通りの、初心者らしいミス。差し出した右手に紫の魔導書を乗せ、一気に多重展開を開始する。紫色の蔦が贄の間に広がり、触れた死体の腐敗を急速に早めた。九層の障壁が床と並行に完成する頃には、贄の間で姿を保っているのは淡い金髪の少年だけとなる。
「さぁ、紬喜。落ちておいで」
自身の魔力によって形成した風の魔法が、天井を四角く切り抜いた。落ちる床材は障壁に触れる度に相対する魔法の余波でそれを割り、落下速度を落とす。残り三層で、遂に紬喜の魔法が消失した。雪が舞い上がるような白い残滓が舞う。切り落とされた床材の上で倒れたまま動かない紬喜に、クリスは近付いた。彼女からは、一切闇の魔気を感じない。
成功だった。
紬喜を蝕む闇は、全て消えた。彼女が過剰放出した魔力により、仕掛けた魔道具が動いたのだ。完全な光属性の人間――――人間と言えるかは若干怪しいが。もう、闇との対消滅に怯える事は無くなった。
「紬喜」
柔らかな頬に触れ、そのまま首筋をなぞる。確かに脈打つ生命の証。生きているだけで愛おしいという事を、君が知る日は来るのだろうか――――
何時も笑って過ごせるように。
許されるなら、願っていたい。




