5-11
クリスの脇腹に両手を当てる。そのまま遠慮無く、くすぐった。一瞬きょとんとしていたクリスは、途端に笑い声をあげる。
「紬喜っ!」
「秘技!大根おろしー!!」
「あはははっ!こら、やめっ!!」
「肋骨階段登り!!」
「うわあぁぁぁっ!」
居間にまで聞こえたクリスの声に、ラルスは咄嗟に立ち上がる。多分、主の身に危険は無い。驚いたのだ。彼が声を上げて笑っている事に。
「クリス様、遂に嬢ちゃんに感化されたか?」
しかしそこで、しんと声が途絶えた。結界だ。多分これは魔導書を使っていない。その分強力で、物音さえ遮断されてしまった。
「…………嬢ちゃん、大丈夫か?」
ラルスは金の瞳で天井を見上げた。クリスが魔導書を使うのには理由がある。それが出来ないほどの事態。ラルスは一先ず、自分の身に起こらなくて良かったと思う事にした。
予想通り紬喜は、大丈夫では無かった。過剰な反撃に合い、呼吸もままならない。
「くっすっやっあぁーっ!」
「んー?」
「ぎぶっぎっ!」
「何処の言語かな?」
肋骨の隙間はとてもくすぐったいのだ。教えてしまった紬喜は、笑い過ぎて涙目になっていた。どうにか彼と距離を取り、呼吸を整える。
「僕にこんな事させるなんて」
呟くクリスを尻目に、ぜーはーと肩で息をする。しかし、基本的に紬喜は諦めが悪い。すでに本来の目的も忘れ、背を向ける無防備な少年の脇腹目指して襲いかかる。ぽすん、とベッドに背を付けたのは、紬喜だった。
「延長戦がお望みかな?」
クリスは容赦無かった。
体格差的には有利な筈なのに、紬喜は敗北した。解放されてからも、ネジが抜けてしまったのかお腹を抱えて笑い転げたままである。身悶えし続けて暫し、やっと落ち着いてきた頃に仰向けになる。お腹を吊るかと思った。頬もひくついている。ひどい目にあった…………
「こんなに簡単に、君を笑わせる方法があったなんて、ね?」
クリスが隣に、腹這いになって寝転んだ。
「呼吸困難で、死ぬかと思った…………」
不満げに言い返せば、嬉しそうに微笑む少年が、心外だなぁと答える。紬喜は苦笑しか返せない。
「私、こんなに笑ったの、久しぶり」
「楽しかった?」
「もうやらないよ!?」
「えー」
クリスは、隙があるようにしか見えない。けれど、また反撃されたらお腹と頬の筋を吊る。確実にダメージを受けるのは、私だ。
「もうしません…………」
「…………紬喜はさ、そうやって笑ってる方が良いね」
笑顔の天使は、優しげな微笑みを浮かべている。
「もぅ、バカにしてー」
「酷いな、本気で言っているのに」
「言い回しが、子どもっぽく無いんだもん。せっかく可愛い見た目なんだからさ。なんか、こう、もっと」
「君の笑顔が好きだよ」
気管に何かが詰まった。
「クリスっ!」
「ふふふ、耳が赤い」
慌てて耳を隠す。起き上がって、思わず距離を取った。
「大人をからかうんじゃ、ありません!」
「君は未成年、子どもだったよね?」
「クリスだって、子どもじゃん…………」
くるりと身を翻して起き上がった少年は、ベッド隅に逃げた紬喜に向かって意味深な笑みを浮かべた。
「見た目だけね?僕は、ラルスより年上だよ」
「まっさかぁー」
「信じられない?」
大きく首を縦に振る。ラルスより年上など、到底信じる事が出来ない。これはもしかして、クリスお得意の分かりにくいジョークなのだろうか。
「悪い冗談はやめてよね?嘘つきは嫌われちゃうよ?」
肩を竦めて言うと、クリスは穏やかな、天使の笑みを浮かべてみせた。
「君はいずれ、僕を嫌うだろうからね」
「え?」
部屋がオレンジ色に染まっている。
「でも僕は、紬喜を気に入っているよ。だから君の言う事は、聞かない」
「な、何そのワガママ…………」
「わがまま?」
聞き返す声に、何だかとても気が抜けた。クリスはどう頑張っても少年で、未来のある子どもだった。偉そうな事は言えないけれど、ワガママくらい言った方がそれらしい。
「まぁ…………良いんじゃない?やりたい事やればさ。それでちゃんと責任が取れたら、大人なんだろうけど…………」
「大人になりたくない?」
「…………なれない、かな」
言葉が尻窄みになる。私は保護者を無くして、嫌でも子どもでは居られない。召喚を阻止する事の責任、クリス達に加担する事の責任、自分が死ぬ事でチャラになるのか。
多分ならない。
それでも、そういう責任の取り方もあるのだと知っている。
「私は結局、一人で何も出来ない、子どもなんだよ」
「紬喜は、子どものままで良いよ」
即座に言ってきたクリスに、カチンと来て叫ぶ。
「ほんと生意気!」
クスクス笑う少年は、紬喜はそのままで居てね、としっぽのような毛先を翻して背を向ける。
「魔導書作りも、ほどほどに」
扉を閉めながら言われた一言で、紬喜のやる気は更にみなぎった。邪魔しに来たと言えないくらい、真面目な話をしたし、何故かくすぐりあって、時刻は夕方だ。
「もおーっ!」
叫んだ私が、残念ながら時間ロスの原因だったのだ。




