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「紬喜、ちょっと良いかな」
魔導書作りに没頭していた昼過ぎ、クリスが部屋にやって来た。扉を開くと、香ばしい焼き菓子の香りが漂う。少年が持つにしては大きいトレーを受け取り、何処に置こうかと部屋を見回した。
紙に埋もれた机、床で山積みになっている本。いつの間にか、部屋の片付けを怠っていたようだ。
困り果てていると、無ければ作ればいいとクリスは魔法で机を作ったようだった。魔力が目視出来ない紬喜には、トレーが浮いているようにしか見えない。
「君に、話しておくことがあるんだ」
ベッドの端に並んで座る。クリスの小言は最近少ない。諦められたか、それが少し残念だった。コトンと花茶のカップをトレーに戻したタイミングで、魔獣達の浄化についてなんだけれど、と彼は言った。
ドクンと心臓が軋む。鷲掴まれたような胸の痛さに、目の前が真っ黒になるような錯覚を覚えた。魔獣の浄化…………聖女として、クリス達の仲間を殺してきた過去。
遂に、この話をする時が来てしまったのだ。呼吸さえ止めてしまいそうな紬喜に、クリスはただ確信を強めた。
「紬喜に頼んでも、いいだろうか」
耳を疑う。今、何と言った?
「仲間、なんだよね、魔獣達は…………その、私が浄化しちゃって、いいの?」
震えた声で聞けば、クリスは首を縦に振る。君が嫌でなければ頼みたい、そう繰り返した。どういう事なのか、少し力が抜け紬喜は困惑を表情に滲ませる。
「ところで紬喜は『鏡の魔導書』について何処まで知っている?」
「えっ、さ、さっぱり?」
「成程ね。じゃあ其処から話そう」
鏡の魔導書というのは、今から百五十年前にこの世界に広めた物でね。クリスはゆっくりと話し出した。枷を召喚者から魔導書に移す事で、その魔導書を使える召喚士それぞれが、魔獣を呼び出すことが出来るようになる。そういう画期的な魔導書なんだ。しかも知性が失われ、非常に従順な魔獣になる。この世界の人間は、喜んでその魔導書を使った。
「ここまではいい?」
「うん。魔獣が量産しやすくなってしまったんだね?」
「そうだよ。それが僕達の狙いだったんだ」
「えっ?」
「『鏡の魔導書』の本来の目的は、新たな召喚の阻止。同族の召喚を防止するための贄なんだ。人間達は必要な数が居ればそれで、一先ず良しとするからね。そして紬喜、この魔導書に枷を付けられている仲間達は終わりを望んでいる者達でもある」
「終わり?」
「浄化され、物質体を失う事だよ」
「…………それは、死んでしまうって事?」
「そうだよ。召喚された彼らは、純粋な魔力体では無くなってしまった…………この世界で、意思のある者は少ないから、親族や縁者が魔導書の贄になる事を許した者が大半だけれど」
「私…………今までたくさん、魔獣達を殺してきてるんだよ?怒っていないの?」
「それを心配していた?」
やっと合点がいったという様子で、クリスは笑み浮かべた。
「怒っていないよ。僕らにとって、死とは名誉なんだ。穢されて使役され続ける彼らに、救いをもたらす事が出来るのは、紬喜しかいない」
許された事に、良かった、と胸に僅かな安堵が広がった。しかし気持ちが弛んだ途端、喉の奥で叫び続ける自分が、悲鳴のような言葉を形にする。慌てて喉を手で圧迫し、紬喜は小さく呻いた。
「やはり、嫌だよね」
「っそんな事無いよ!」
望みに染まる事は、恐ろしい。とても、恐ろしい。本当の気持ちを理解してしまうことが。泣き叫ぶ自分を封じ込め、紬喜は苦しげに言った。
それが最善なのでしょう、と。
この世界からクリス達の世界への召喚を封じる為に、彼は仲間を全滅させるつもりなのだ。この少年は、どうしてそんなものを背負おうと思ったのだろう。
哀れ、だと思う。
虫やボールを追いかけて、走り回っていい年頃のはずだ。最近はすっかり違和感が無くなってしまったけれど、彼は自分の半分しか生きていない。
「紬喜、君に背負わせるつもりは無いよ」
クリスが右手を掬い上げる。その恭しい手付きに言葉を失っていると、人差し指にスッとリングがはめられた。金色の輪に紫水晶のような透明の石が一粒煌めく。
「っ!?」
思わず引っ込めようとした手を握り込まれ、クリスと咎めるような声が出た。空色の瞳が憂いを帯びて細くなり、その声が有無を言わせぬ重さを纏う。
「僕らは本来、寿命以外では死ねないんだ。だから、蒼き月――――女神の膝下へ誘う聖女よ。安らかな慈悲を。その咎は、全て僕に」
一瞬の間。
自分が何処にいるのかさえ吹き飛んでから、紬喜はクリスの手を掴んだ。ガシッと、かなり乱暴に。
「クリスって幾つなの?そんな難しい言い方しなくても、私は大丈夫だよ!?」
びっくりするほど狼狽えて、それに驚いて。紬喜は何故か熱くなる顔に、妙な恥ずかしさを覚えた。クリスは困ったように苦笑する。
「幾つって、僕の年齢?」
「十歳…………だよね?」
「…………その具体的な数字は?」
「せ…………」
言いかけて口をつぐむ。身長の話題は避けるべきだと思ったのだ。十歳だった近所のサッカー小僧は、ともかく元気で日焼けして真っ黒な少年である。髪も黒く短くて、紬喜の事を見掛けると真っ先に菓子を要求してきた。
どう考えても、クリスの方が大人びている。
「紬喜が僕の事を聞いてくるなんて珍しいから、教えても良いと思ったけれど」
クリスはそこで言葉を切った。その顔に浮かぶ天使の笑みが、口角と眉が僅かに上がることで崩れる。
「言わない方が面白そうだ」
「な…………なんで!?」
「気になるなら、僕の口を割らせてごらんよ?」
とても意地悪な顔でクリスが言った。面食らった紬喜は、ふふふと意味もなく笑い声を洩らす。既に可笑しなテンションだった。お子様に反抗的な態度を取られた事は、間々ある。そういう時の行動は決まっていた。
「私のゴッドハンドを、堪能させてあげますよー!」




