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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と願い
35/63

5-8

「お店に二階があったんだね」


 遂に魔法を実践する時が来た。クリスと魔導書店のカウンターの奥にある狭い階段を上ると、そこはがらんとした広い一部屋だった。


「内側に八つ、外側に三つの結界が張ってあるんだけれど…………加減に気を付けてね?」

「うん…………」


 加減は自主練でこなしているから自信があった。一度、練習中に結界を割った事があるけれど、それで強度の方の目安も分かる。八個だもんね、早々壊れはしないだろう。


 部屋奥に向かったクリスが、始めてと手を上げた。


 打ち合わせ通り、均一展開を行うべく目を閉じて感覚を切り替える。揃えた両手を前に伸ばし、その手が硝子を押すイメージで硬さを決める。障壁を作る材料に腹式呼吸で息を吐き出して、ゆっくりと左右に広げた腕。その先で魔法が広がる感覚がした。


 ゆっくりと目を開けば、白い展開紋の光が足元から広がる。それは、レースで編んだ花のような細かい線で淡く輝き、刻々とその形を変化させていた。


 成功だ。


 展開速度以外は問題無いか。クリスは均一展開の障壁を目視して、ひとつ頷く。


「紬喜。そのまま、もう少し前に位置をずらせる?」

「はい!」


 引くよりも前の方が簡単だ。押せば良いから。自信をもって壁を押し出すと、クリスと目が合った。彼の微笑みが良く出来ました、と天界に誘った瞬間…………集中力が切れ、展開した障壁が制御下から離れて独立する。


「あ…………」


 帰宅を前にしてスマホの充電が切れたような、何とも言えないやるせなさだった。


「維持はまだ難しかったね。そのまま、あと二つ同じ物を作れる?」

「うん!」


 返事をした紬喜は、すぐに大きさと厚さが同じ障壁を作り出してみせた。同じ物だと展開速度が格段に上がり、見事なものだとクリスは思う。最小値の魔力操作は難しい上、魔力を可視出来ない人間が同じ大きさの障壁を作るのは難しい。筋が良いのだ。


「上出来。じゃぁ、本番だよ?」


 クリスが差し出した左手の上に、青い魔導書が現れる。淡い水色の光を纏い、開かれていくパラパラという音に、紬喜は唾を飲み込んだ。クリスの足元に青い円が現れ、照らされて色味を増した瞳が穏やかに笑む。


「端の方に当てるから、その感覚を覚えておいて?」


 頷く紬喜は、既に及び腰だ。虐めたい訳ではないが、クリスは笑みが深まるのを止める事が出来なかった。何故なら、紬喜が怯えたからだ。


 彼女は、死を覚悟出来ていない――――


 分かりやすいように、右手で当てる場合を指差す。魔導書の上に現れた水玉が、ぽーん、と飛んできた。キャッチボールのようなそれに、何だかホッとする。水玉は紬喜の前の障壁に当たり、音もなく光の粒に分解した。


「…………クリス、ちょっと感覚が分からないかも」

「うーん、流石に威力が弱すぎたかな?」


 そう言ってクリスは魔導書を閉じる。纏っていた青い光が消えきらない内に、別の魔導書がその手に現れた。よく似た青い光を放ち、足元にさっきより濃い円を描く。


「じゃあ紬喜、もう一度やるよ」


 魔導書の上に現れた水玉は、一瞬消えたように見えた。はっとした時には、一枚目の障壁が割れた音を聞く。


 はやい。


 背中に嫌な汗をかく。あの早さで飛んできたら、目では追えない。しかも、障壁は割れてしまった。あと二枚あるけれど、一枚目を割った水玉は、二枚目に少し傷を付けている。そんな気がした。


「クリス、なんか、障壁持たなそう」

「修復出来そう?」

「よく分からない…………」

「独立してても、展開した術者の魔力は受け付けるんだけど」

「もう一つ作ってもいい?」

「どうそ」


 両手を前に突き出して、障壁を作る。厚さは変えられない。クリスとの距離が縮まるからだ。ならば、密度を上げるしかない。ガラスみたいに透明で、もっと丈夫で堅いもの。そう、機動隊が持っていた透明な盾、あれがいい。素材は確か…………プラスチック。プラスチックが硬い理由は分からないが、おぼろげに思い出す化学の分子式や組成式。理系じゃなかったのが痛かった。


 紬喜に音楽の素養があるなら有利――――


 クリスの言葉が頭をよぎる。硬い物と音楽の関係や如何に。その答えは出そうに無いけれど、堅そうな楽譜になら覚えがある。ピアノの教本ハノンだ。散々練習したこの教本は、同じような音型を繰り返す練習曲で構成され、楽譜は一見真っ黒。しかし、左右の指はシンクロしていて、上がっては下がる繰り返し。ドレミファソファミレと、オクターブずれているだけだ。さぁどうする…………私が作る障壁は、魔力が原料の透明な盾。


 いっその事、指先でハノンを弾きながら作る?


 呼吸と共に紬喜が形成した障壁を見て、クリスは目を瞬いた。それは、魔法初心者が作るような代物では無かったからだ。呆れる程に完璧な障壁たて。下位属性の水魔法では、傷さえ付かないだろう。


「本当に、君って子は予想外だね」


 思わず呟いて、クリスは水玉を一つ投げてやる。透明な壁の向こうで、紬喜が得意気に笑っていた。


 あの地獄のようなハノンの練習が、こんな所で役に立った。後から事実を擦り合わせると、実際に効果があったのは、盾と硬い音のイメージだけだったのだが。そういう残念さには、最近慣れてきている。良いですとも。意味がなくても、私の指はハノンを覚えてますからね!

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