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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と願い
32/63

5-5

「戻ります戻ります戻りますから!」


 三階から紬喜の声がする。時間は深夜。本来なら、彼女は眠っている時間だ。


「聞いてます聞いてます聞いてますッ!!」


 だんだん悲鳴じみてきているのに、敬語のままなのが妙に笑える。おそらく、いっぱいいっぱいなのだろう。クリスは可笑しくて肩を震わせた。前に座るラルスは困惑顔だ。こうなる事を、予想していなかったのだろう。


「分かりました分かりましたっわぎゃあぁぁっ!!」


「アルフレートのやつ、何やってるんだ?」

「寝かしに行った筈なんだけどね」


 目線だけを上げた二人は、ペタペタと走る足音に次、勢いよく閉まる扉の音を聞く。ラルスにはその後、ボスンとベッドに倒れ込んだ音まで聞こえてきた。


「随分楽しそうだったね?」


 クリスに問いかけられたのは、居間に来たばかりのアルフレートだ。物憂げに嘆息した彼は、片耳を押さえて叫ばれましたと肩を落としている。


「わぎゃあ、だって?」

「色気ねぇなー」


 遂に吹き出したクリスと、同情的な視線を向けてくるラルス。対照的な二人に、アルフレートはもう一度溜め息を付いた。あんなに興奮してしまっては、余計眠れないだろう。本末転倒。どうしてこうなってしまったのか。本気で分からない様子のアルフレートに、ラルスが何をしたんだと聞く。クリスはまだ笑っていた。アルフレートは過保護に、そして優しく接した筈だ。あの羞恥の位置が少々ずれた紬喜に、まるで兄のように親密に――――


 事の始まりは、クリスの一言だった。


「紬喜は熱心だね」


 深夜の居間で呟いた少年に、ラルスが寝てねぇのな、と声を返す。アルフレートはぎょっとしてクリスを見た。


「紬喜の魔力が動いているよ。努力家だよね」


 そう言いながら、彼女が何をしているのか予想の付いているクリスは花茶に口を付けた。紬喜は羞恥心を発揮する場所が、やや可笑しいと思う。文化の違いなのだろうが、カップには口付けられても魔石には出来ないなんて。あの調子だと、人となどもってのほかなのだろう。彼女の世界はどうなっているのか。


「早く休むように言って下さい」

「気が済めば寝るよ」

「身体に障ります、クリスファルト様」


 アルフレートがクリスに訴える。この家に少女を迎えるにあたって、クリス達はそれなりに気を使った。例えば、無闇に三階へ上らない…………子ども姿のクリス以外は。


「少し放っておけば、疲れて寝るよ」


 行く気はしない。せっかく頑張っているのだ。自己努力で、口以外から魔力を流せるようになれば儲けたものである。


「こんなに夜も深いのに…………病気になったらどうするのです?昼間から魔力操作の練習をされているのですよ。まだ成人してもおりませんし、夜間は速やかに眠るべきです。子どもなのですよ?」


 アルフレートは切々と訴える事を止めない。過保護だし頑固だし、クリスは早々に方針を変えざるを得なくなった。自分は戦略的にも行きたくない。ならば替わりを立てるまでだ。


「分かったよ。なら、君が行けば良いだろ?」

「宜しいのですか?」

「うん。但し、紬喜の格好には目を瞑ってね」


 アルフレートはあっさり引き受け、居間を出て行く。この辺りから、クリスは笑いを堪えなければならなかった。


 事故が起こる。


 分かっていた。行かせたのは、わざと以外の何者でもない。彼の罪を知っているのは、金の瞳を反らせたラルスだけだった。


「クリス様、相変わらず容赦ねぇ」

「ラルスは僕の共犯だって事、忘れないでね」

「は?」

「君が行っても、良かったんだよ?」

「…………俺は何も見ませんでした」


 しっかりラルスの口も封じ、後は少し待つだけだ。多分ものの数分で結果が出るだろう。


「うーん、やっぱり駄目なのかなぁ」


 そんなやり取りを知らない紬喜は、魔石だらけの部屋で座り込んでいた。何処からやって来るのか、この部屋には次々と空の魔石が持ち運ばれる。一つだけの魔法ランプに照らされ、影の濃い新たな箱を開けた。並ぶ透明な水晶玉を手に取ると、ひんやりとした石の冷たさを感じる。それに少し息を吐きながら口付ければ、あっさり白く染まってしまった。


 悔しい。こんなに簡単に染まるのに、唇が接触していなければ駄目なのだ。クリスは簡単そうに指で触れただけで、魔石に魔力を込めてみせた。あれが出来なければ、今度は何とキスさせられるか分からない。


「練習あるのみ!」

「紬喜様」

「ひゃっ!」


 アルフレートが、音も無く背後に立っていた。そういうのは、能面メイドで懲りている。懲りているが、心臓に悪いので止めて欲しい。


「もう夜中ですよ?」


 アルフレートは腰を曲げて、紬喜を覗き込んだ。さらりと滑り落ちた白銀の髪。妙に近い距離に、魔石を手にしたまま引き吊った笑みを浮かべる。紬喜は反射的に、小さく謝罪の言葉を口にした。


 しかし、アルフレートは目を細めただけだった。


 彼女の行動はイタズラが見つかった子どもみたいなのに、その姿は男を誘う女のようだった。薄地の寝間着は白いワンピース。上半身の曲線を描いて床に広がる裾。そこから、あろうことか素足が覗き、辛うじて爪先を隠す布靴。


 格好には目を瞑って。言われた理由わけを理解する。確かに、反らす前に瞑る方が賢明だ。これは早急に部屋に戻さねばならない。アルフレートがその手から魔石を取り上げようとすると、紬喜は自分の手ごと石を胸に抱き込んだ。


 あぁ、もう薄地の寝間着は着せるまい。


 アルフレートが笑みを深める。


 とても不吉な微笑みだった。


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