5-3
「じゃぁ、僕の世界の女神さまに祈ってみる?」
クリスの言葉に、紬喜は顔を上げた。神に祈る事に不満を洩らしたからだ。
あれから結局、魔力吸出で自身の魔力の動きを覚え、限界前に流出を止める練習をしたり、指定された数の魔石にだけ魔力を吸わせて止める練習をしていた。
「蒼月女神信仰といってね、双子月の女神を讃える宗教なんだ」
「やっぱり月が二つあるの?」
「そうだよ。紬喜の所は二つじゃなかったの?」
「一つだったよ」
水色の目を細めて、クリスは一人で月が寂しそうだね、と言う。そんな事は考えたことも無かった。だったら太陽も一人で寂しい事になる。
その前に、月にはウサギが住んでいる。寂しくなんてないだろう。
「ウサギが?何で?」
「私の国では、そう言う事になってるんだよ。お餅付きしてるんだって」
「オモチ?つまり、月にウサギの国があるという事?」
「そういう事に、なるよね?」
紬喜は、後ろ暗い気分になった。外国に行って、日本人なのに知らないのかって言われると、きっとこういう気分になるに違いない。ウサギの国があるのか、ウサギの国に繋がる窓か、それとも見えるだけなのか。
これ以上突っ込まれると困る紬喜は、話題を変えた。
「クリスのとことは?月に女神様が住んでいるの?」
「違うよ」
くすくす笑うクリスが、月は女神様自身なんだよ、と教えてくれる。女神と言うから人の姿を想像していたけれど、違うらしい。
クリスの世界で人の形をとるのは、第一の姿を人に持つ王家に敬意と恭順を示す為だという。だから本来の姿は、この世界で見かける獣の姿だったり、物の様な姿をしているとの事だ。
「クリスも、本当は人の姿じゃないの?」
「さて、どうだと思う?」
「全然分からないよ。人じゃないって言われても、実感沸かなかったんだ、実は」
「…………信じてないの?」
「そうじゃないけど。私から見たクリス達は、人間にしか見えないんだよね」
「ふぅん?」
クリスは天使の如き美少年だ。紬喜の中で、理性無く唾を飛ばして、暴れ狂う魔獣とは結び付かない。魔獣達の居た異界の住人というだけで、十分だった。
「逆に僕は、紬喜が人間には見えないけれどね」
「えっ!?」
正真正銘、人間なのに…………人外に言われると、結構グサっとくるものだ。
「褒めているんだよ?」
「…………誉め言葉、なんだ?」
「うん。だからいっその事、人間辞めてみない?」
「は?」
「紬喜はもう、第一の姿があるのだし、結構困らないかもしれないよ?」
「いやいやいや、困るでしょう…………ん、困る、よね?」
第二の姿に変身とか出来て、鳥になれた楽しそうだ。困らないかもしれない。
「ねぇ、そもそも何で王家は第一の姿が人なの?」
「ん、気になるの?」
クリスは、教えてあげても良いのだけれどね、と言いながら唸る。珍しく言い淀む少年は、私の居た世界には人型の種族ってどれ程居たのかと聞いてきた。どれ程って、人間しか居ない筈だ。
「一種類だと思うんだけど」
「昔から、ずっと?」
「え、えーと、たぶん?」
「淘汰された、とか、史実は無いの?」
「淘汰って…………それは流石に無いと思うよ」
ふぅん、クリスは相槌を打った。
「僕達の世界では、元々、人型を模す種族が三種類居たんだよ」
クリスは、長話になるからと紬喜を座らせ、アルフレートを呼ぶ。あたり前のように茶器を手に現れた彼は、そんな長話をと苦笑した。
「その三種類とは、天空の光の人族。地上の闇の人族。海底の水の人族、というんだ。けれど奢り高き光の人族は、自身を神、神族と呼び他の人族を蔑んだ。惑わす者、災いをもたらす者としてね。やがて争いが生じ、化け物と呼ばれ、転じて僕らは魔族と総称される」
人族同士の争いが蔓延したクリス達の世界はやがて、結託した地と海の人族による天の人族の淘汰――――根絶やしによって、ついに終戦を迎える。これが一万年くらい前。残った魔族達――――クリスのご先祖達は混血が進み、別の姿を得るようになっていく。
「血筋を守り、混血を許さなかった王家は取り残された形で居たのだけれど、次第に人型を取る事が難しくなる者が現れて来たんだ。勿論、今は人型が取れなくとも差別など無いけれど、大昔から姿の変わらない存在としてあり続ける王家は、第一の姿を人として保つ稀なる血筋、となる」
「えぇと、王家の人はそれで良いの?」
「それでって?」
「なんかさ、進化から取り残されちゃったみたいじゃない?」
「紬喜様っ!!」
アルフレートが叫ぶと、クリスがすかさず宥めた。
「間違いじゃないと思うよ。僕らの世界で、王族にそんな事いう命知らずは居ないけど」
「っご、ごめんなさいっ!」
咄嗟に謝ると、クリスは紬喜なら何を言っても不思議じゃないよ、なんて言って微笑んだ。それ、全然嬉しくないのですが!
「王家が威光を保てる要因の一つに過ぎないんだ。一次体も人の姿も魔力効率が安定する条件を満たす」
「え?」
「魔力体である僕らが、最も効果的に魔法を使いこなせる姿は人型なんだよ」
「えぇと、二の姿を持つようになった事は、進化ではない?」
「進化ではあるよ」
「でも、効率が悪いんだ?」
「うん」
だんだん訳が分からなくなってきた。進化なのに効率が悪い。では退化なのかと言うと、それも違う気がする。二つの姿を持つ民と一つしか姿を持たない王家?
「分かった。王家とその他大勢が別の種族になってしまったの?」
「うーん、まぁ、そうとも言えるね?」
「あれ、じゃぁ、この世界の人間って…………」
「違うよ。紬喜もそうだけれど、此処の人間達はそもそも魔力体では無いだろう?」
「あぁ、そっか…………って、じゃぁ、やっぱり私が人間辞めるの無理じゃない!」
珍しい事もあるものだ、とクリスは思った。長話の前の話題が、ちゃんと戻って来るなんて奇跡的。すぐに彼方此方へ飛んで行ってしまう紬喜の思考が機能するなんて。もしかして、気になったのだろうか。ならばここで、もう一押ししてみようか、と口を開く。
「紬喜は、もう半分人じゃないんだし、出来ると思うよ?」
淡い金の髪をふわりと揺らして、クリスは名案だよね、と微笑んだ。名案なものか、半分人では無くても、残りの半分は人で居たいに決まっている。紬喜は慌ててクリスに詰め寄った。
「何言ってんの。人が人間辞められるハズないよ」
小さな少年の手が伸ばされ、紬喜の頬に触れる。水色の瞳は秋の空のように陰りが無い。彼が本気で言っている事が伺えた。
「聖女である君に触れるなんて、僕には罰があたるなか?」
「え?」
「でも、僕は君に触れる事が出来る」
クリスはもう片方の腕も伸ばした。輪郭を確かめるように優しく顔を包む、何の力も入っていない両手。頬を挟まれ、紬喜は目を瞬いた。
「さて、何故だと思う?」
「…………私が、本当は聖女なんかじゃないから」
するりと手を放し、クリスは咎めるように溜息をついた。
「君は間違いなく聖女だよ。僕達にとって」
柔らかな金の髪をなでて、紬喜は微笑んだ。
「ありがと」
クリスは、言うべき事を言えずにいた。紬喜は、動きそうになった心から目を背けて、蓋をする。
考えてはいけない。生きているだけで火種になる私が、未来を描いてしまったら怖くなるだけだ。人で無ければ、クリス達とずっと一緒に居られるのだろうか――――既に半分は人じゃないと言うなら。
考えてはいけない。
「クリスが子どもで良かった」
未来が詰まっている彼の将来は、簡単に膨らむ。まるで隣で見るかのように、鮮やかに。その隣に私が居なくても、クリスには幸せな未来がある。
それだけでいいんだ。




