4-2
午前中に店舗を片付け、午後は魔導書の写本をする。時々、アルフレートさんがお菓子作りを手伝わせてくれたり、ラルスが街に連れ出したりしてくれた。
目を背けたいのは、理想か現実か。
水晶玉に逆さまに映る自分を見て、紬喜は顔を上げた。その日もラルスと街に出ていたのだが、店の入口にとんでもない二人組を見つけてしまったのだ。ここは庶民の街の中心、北王道街。守護石店の大店だった。やって来たのは王城の召喚士達。入口付近にたむろする彼らの目を盗む事は、流石のラルスにも難しかったようだ。
「じっとしていろ」
そう言った彼の背に背を付けて、棚の隙間に押し込められた。不服は無いが、不満はある。けれど、声も出せないほど唇は震えていた。
「また、第三の塔から死体が出されているらしい」
男の声が近づいて来る。第三の塔、別名を召喚の塔という。紬喜にとって、因縁の場所である。
「質の悪い奴隷でも使ったんだろう?」
「第二王子も、こうなりゃ自棄だろうさ」
「とばっちりて死んだら堪らんな」
遠ざかる声。紬喜の白く霞んだ思考の中で、死体という言葉が響いた。質の悪い奴隷ってなに?第二王子は王城での保護者で、召喚士長の上司みたいなぽっちゃりさんだ。とばっちりで死ぬ、どういう事か。まさか…………
「ぎゃあぁぁぁっ!!」
野太い男の絶叫と同時に、紬喜はラルスに担がれた。
「ラルスっ!?」
「堂々と見せ物にする気かっ」
吐き捨てたラルスの肩の上で、視界を覆ったヴェールを上げる。急に騒然としだした辺りを伺うと、人々は悪態を付きながらも逃げ惑ってはいなかった。ラルスは既に店から通りに出ており、人の流れに逆らって端に移動する。露店の物陰に降ろされた紬喜は、ラルスが顎で指した方を見た。
「な、何で町中にっ!?」
押さえきれない叫びが、喉の奥から飛び出した。紬喜の声は、悲鳴と怒号に消されてラルスにしか届かない。
「パフォーマンスだろう、聖女の力を示す」
「そんなっ!」
「まぁ見てろよ、偽物にやらせる気だぜ」
午前中の王道街。人だかりの先に、黒い煙を纏った大きなものが居る。
「…………偽物?」
おうむ返しに呟いて、紬喜は身を硬くした。あれは、魔獣では無いのか。雄叫びを上げる大きな獣。垂れる涎も黒い。燃えているのか、黒い煙を立ち昇らせている。どうして、こんな所に。
「お前の力を込めて作った魔道具ってところか。第二王子派の自演だろう。見ろよ、襲っても来ねぇ」
「私そんな事してない、魔道具なんて知らない!」
「幾らでもあるんだよ、対象から魔力を抜く方法は、な」
そんな事無い、なんて言えなかった。私は従順な聖女で、何も教えては貰えなかった。怒り狂うように唸り叫ぶ黒い獣は、道の真ん中から動こうとしない。
ラルスの言った、偽物の聖女は現れなかった。けれど街の人々は口々に、聖女様が助けてくれる。聖女様に殺されてしまえばいい、そう言って苦しむ魔獣に侮蔑の籠った目線を向けていた。あんなに苦しんでいるのに、どうして誰も助けようとしないのか。見た目が不気味だからなの?
「あ、あの魔獣の様子、おかしくない?」
「それ以上、顔を出すなよ?」
紬喜はラルスを見上げた。吊り上がった金の瞳は鋭い怒りを宿し、冷たい光を湛えている。なのに口角は笑みを浮かべたままだ。機嫌が悪い。紬喜はラルスから感じる圧迫感に、早くここを離れた方がいいと焦った。
「四次を出して来たか。おい、見物は終わりだ」
願いは届いた。しかし、見えた光景に紬喜の方が凍り付く。
「ねぇ、魔獣同士を戦わせるの!?」
呻くだけで動かない魔獣の近くで、召喚士の男が新な魔獣を連れて来た。鎖で捕らわれた獣は、黒くて大きく、道の真ん中で低く吠えた魔獣によく似ている。
「あれ、同じ種類だよね?仲間じゃないの!?」
「どっちも自我なんて残っちゃいねぇよ。これが奴らのやり方だ」
「そんな!」
「叫ぶなよ」
鋭い指示と共に抱き上げられた紬喜は、ぐっと歯を食いしばる。肩越しに見えた背後。はっきりと熊の二倍はありそうな魔獣の姿が見えた。二匹は兄弟がじゃれ合うように一瞬抱きつく。走り出すラルスの振動と体にかかる圧力に目を閉じれば、次いで落下する浮遊感。
必死で目の前の肩にしがみ付き、涙目を開けば、青い空が広がった。獣の咆哮が聞こえる。胸を締め付ける、悲痛な声だと思った。その声に交じって人々の歓声が響く。ラルスは屋根の上を疾走しており、既に先程の場所は分からない。
王都は住宅密集地。魔獣に暴れられればひとたまりも無い筈だ。聖女は居ない。あの魔獣は、どうなってしまうのか。
「ラルス・レイナス、状況は?」
「熊の奇形だな」
「アルフレートさん!」
「紬喜様、早くお戻りを」
「でも…………っ!!」
「あの程度、城の兵士でも片付けられます」
屋根の上だというのに、穏やかに微笑むアルフレートが居た。お口に合いましたか、とでも言い出しそうな笑顔に紬喜は押し黙る。あまりに不自然だった。
聖女でない自分に、出来る事など無いのだ。のこのこ出て行ったら、匿ってくれている彼らに迷惑が掛かってしまう。
何より、王城に連れ戻されたりしたら…………
「行きなさい、ラルス」
赤い目を細めて向ける背中に、白銀の長髪がヴェールの様に舞う。アルフレートは現場に行くのだろう。そんな気がした。
白いヴェールを被った聖女に背を向けて、それでも欲した自由。召喚の阻止。紬喜は王城から逃げて今まで、何もしてこなかった。その事を、酷く責めた。召喚されたら、召喚士の言いなりだ。知っていたはずなのに。あの魔獣達は、兄弟だったかもしれない。それでも逆らえないのだ。
知っていた、なのに――――
街に響いた獣の叫び。人々の歓声。食べ物は喉を通らない。言葉が詰まったように、息まで苦しい。
暗い夜の自室で、紬喜は自身を抱きしめた。私が私のもので無くなってしまったら、それは私と呼べるのか。私は呼べないと思う。でも、私を知っている人は、そうは思わないのではないか。たとえ自我が無いと言っても、姿が変わらなければ――――
カリカリ、と部屋の扉が音を立てた。ハッと息を飲んで、紬喜は顔を歪ませる。
「ジジっ!」
するりと細い腕が巻き付いたのは、黒い毛並みの猫だった。その毛並みに埋まった顔から、会いたかったと声がする。柔らかな少女の体に包まれながら、彼は思わず嘆息した。
「にー」
「あ、ごめん。苦しかった?」
魔獣に抱き着くなんて、どうかしている。この姿で無い時は、触れてすら来ない癖に。ジジがそんな事を思っているなど知らない紬喜は、頭を撫でて首の下をゴロゴロとかいた。
「ジジ…………会いたかったんだよ。ずっと」
首の下が好きなのは猫だろうと思うのだが、猫扱いを甘んじて受けて入れている彼は、何も言えない。
「今日ね、暴れている魔獣を見たんだ」
ポツリと溢される言葉は、猫だからこそ聞ける呟きだった。彼女は人前で、不の感情を見せないようにしている。内面に隠して、そして勝手に傷つき苦しむのだ。
「可哀そうだよね。好きで来た訳でも無い世界で、酷い目に合わされて。私、どうしてこんな世界に来ちゃったんだろう」
「なーん」
「ジジ…………あ、そういえば、クロなんだっけ」
「にぃー」
「意外とクリスって、ネーミングセンス無いね」
再び毛並みに顔を埋めた少女は、そう言ってやっと泣き出した。
会いたかった。もう会えないのかもしれないと、クリスを見て何度も考えた。だってこの子は、猫じゃない。王城から逃げ出した時、街の人達を見て僅かに感じた違和感。
もしかして、ジジの姿が見えてない?
それでも信じて、此処まで逃げてきた。私を助けたのは、人じゃない。黒い…………魔獣かもしれない。なのに私は、彼らの存在から目を背けようとしたんだ。




