3-11
「聖女サマ、好奇心ありすぎて辛い」
ラルスは机に突っ伏した。紬喜が寝入った深夜。居間で昼の報告をさせると、街を散々連れ回され、質問攻めにされたと何が悲しいのか項垂れて話し始めた。挙句、体調を崩したのを労わって抱えてやれば嫌がるし、籠城するしだ。
「俺はもう街には行かねぇ!」
水色の髪を掻き乱して、ラルスは吠えた。そんなに楽しかったのかとクリスが笑えば、ラルスは金の瞳をくわっと見開いて叫んだ。
「どこに楽しさが!?クリス様も行けば分かりますよ!!」
「僕が行くと、目立つから無理だね」
「羨ましいですよラルス・レイナス。何か欲しがった物は無かったんですか?」
紬喜ときたら、欲しがるよりも素材と工程を聞いてきて、その作り手に興味を示すのだ。私にも出来るかな、と。
「仕事だ」
「仕事ですか?」
「やっぱり仕事なんだね」
アルフレートが仕事って仕事ですかっ、あぁ、と頭を抱える。また明日から、紬喜のお仕事下さい病が始まるかもしれない。彼女が来て以来、この家は本当に賑やかになった。
「二人とも、上手くやってね?」
笑いながら言うと、アルフレートはもう自信がありませんと項垂れた。何でも最近、顔色が悪いという身体的特徴から始まり、貧血を心配され、増血作用の有る食品を紹介されたらしい。
「私は怪我なんてしませんし、こちらの毒では死にませんよ」
「それ言ったら、紬喜は驚くだろうね」
はぁ、と嘆息の絶えないアルフレートは、自分が過保護にする少女に心配されるという状況に陥っていた。紬喜は、アルフレートさんってお母さんっぽいよね、と遂に母親へ昇格させるつもりらしい。
机の角に腕をぶつけただけで血相変えるし、危ないから階段を一人で降りるなって。転んだら泣く歳の子どもじゃないんだよ。そう言って脹れていたのは記憶に新しい。
確かに過保護だ。
クリスは笑いを堪えながらも、その愛情に気付く紬喜を羨んだ。
薄暗い部屋で、一人静かに眠りに落ちていく。
紬喜はその時、自分が余計な事を考えると知っていた。どこか似ていて、どこも似ていない世界。ここに来て、生理が一度も来ていないのはストレスだろう。来たら面倒で、来ないと来ないで不安になる。不安はいくらでも量産出来るから困りものだ。
髪の毛の伸びだって依然として早く、もはや不気味の一言に尽きる。私は呪われているのだろうか。もう毛先が腰に届いてしまう。
たったのふた月。
私の体は、急速に年を取っているのではないか。地球と時間の経過が違っていて、私だけどんどん早送りで老いているんじゃ…………
鏡に映るのは、何時もの見慣れた顔だった。
外出しないから色白で、ソバカスは無いけれどニキビは心配だ。化粧水が欲しいなんて言えないし、この中途半端な髪型。それでもカット出来ないのは、未練なのだ。毛先の茶色は、美容院でカラーリングしたばかり。大学に行く初日の為に、気合を入れて――――でも、今、頭の中に流れる音楽は、ポップスでも演歌でも無い。
冷たく感じる高音と、息苦しい低音の入れ替わり。何処かで知っているメロディーがあるかもしれない。そんな望みが痺れる腕を動かした。
「紬喜、休憩にしよう?」
クリスの声に顔を上げる。
魔導書の写本はなかなか進んでいない。三十七字の似たり寄ったりな正角暗晶文字は、一文字ずつ見ながら書いていくしか無く、発音が音階なので読みでの暗記もままならない。それは何処か写経に似ている。雑念だらけで、申し訳ないが。
「今日は、ここまでにしようか」
「うん、中々進まないなぁ」
居間に移動すると、すぐさまアルフレートが茶器を用意し始めた。一瞬目が合ったクリスは、ひとつ頷くと紬喜と並んでソファーに座る。
「クリスは凄いよ。あの文字スラスラ書けるんだもんねぇ」
「慣れれば、紬喜もたくさん書けるようになるよ」
「だと良いんだけど…………」
そう言って伸びをした。背中を伸ばすと、疲れが取れるらしい。受験戦争を生き抜いた猛者を舐めるでないよ。紬喜は自分を叱咤した。志高く目指すはコピー機並み、と気合いを入れる。そんなの無理に決まっている、と自分でつっこみながら。
「紬喜様、お疲れさまです」
アルフレートが差し出したカップから、甘い香りが漂った。
「あ、これ、カカオでしたっけ?」
「えぇ、たまには良いかと思いまして」
「…………こんな色でしたっけ?」
濃いオレンジ色は赤に近く、以前ジュースと間違えた色とは程遠い。
「薄めないと、こんな色なんです」
「へぇ~」
口に含むと、噎せ返るような深く濃厚な甘さ。鼻に抜ける呼吸さえ、くらりとするほど甘かった。
「あっっ!」
「無理しない方が」
「あ、あまぁっ!!くうぅっ~」
ナニコレ、全然別物じゃないか。たった一口で骨まで溶けそうなほど甘いよ。水飲まなきゃ。水を飲まないと、口が開いてるのか閉まっているのか分からないレベルで甘すぎる!!
「紬喜?」
クリスがカップを取り上げる。開いた手で口を押えた。良かった、口は閉まっている。
「つむぎ」
心配そうなクリス声が遠くなり、その顔が白く染まって見えなくなった。ぱたん、とソファーに倒れた紬喜を、クリスは複雑な顔で見下ろす。
「効きすぎだよアル。これは、怪しまれるよ?」
「まだ人、という事でしょうか?」
「どうだろうね」
紬喜は魔導書の写本で、かなりの集中力と魔力を使っていた。そういう時が狙い目だったのだ。召喚によって膨大な魔力を浴びた彼女の体は、人ではない者に変質を始めていた。食い止めてやりたいが、試して模索するしかない。
原液のカカオが効いたのならば、体は人では無い。この実は本来、気を失う作用など無いのだ――――この濃度は、人の身には刺激が強すぎたか。
「部屋に運びましょうか?」
アルフレートが心配そうな声音で言った。穏やかな寝息を立てる紬喜は、まだ口を押えている。その不自然な行動に、クリスは少し考えた。魔木カカオの本来の作用は、精神弛緩だ。媚薬や自白剤の原料にされるのに、中毒性が低く、薄めて飲む者も少なくない。押さえたのは、声ではないか。何か言いそうになった?
「全く効果が無い訳じゃないかもしれないよ。動かすのは止めた方が良い」
「では、何か掛けるものを」
「予備のブランケットを出してあげて」
アルフレートは返事をすると、すぐさま一階へ降りて行く。クリスは紬喜を見た。どう見ても彼女から漂う闇属性の魔気。でも魔力は光属性、単一であり変化は見られない。
時間が無い、かもしれない。
内包する光、蝕む闇。共存など出来るのか。夕方の日差しは弱く、部屋の闇は深まるばかりだ。刻々と日は沈み、やがて夜になって――――
「クリスファルト様」
アルフレートの声に、クリスは黙って目を伏せた。方法が無い訳ではない。ただ彼女は、その方法を選ばないだろう、というだけだ。フッと息を吐いて、クリスは不満げな声でアルフレートに言う。
「紬喜は、僕に心配されるのが不満らしいんだ」
「年下の面倒は見るもの、なんだそうですよ」
そう言うアルフレートは、小さく年下、と呟いて笑いを堪えながらブランケットを掛けた。だから心配するのは自分の方で、心配されるような事をするのは年上として駄目なんですよ、と紬喜の口調を真似る。
「彼女の世界の年齢格差について、気になるな」
「単に、クリスファルト様に心配されるが嫌なのでしょう?」
「子どもだから?」
「紬喜様は心配したいようですよ、貴方を」
「納得できないね。大体、アルだって心配されているじゃないか」
「…………私の顔色は、どうにもなりませんから」
そう言って、二人で小さく笑った。
「どれだけ平和な世界で育ったんでしょうね」
「自分の身を心配せず、会えない家族や、面識もない魔獣の事なんか気にするし。根本として、自身の身が一番危ない、という意識が無いとしか思えないよ」
運命とは残酷なもの。時は止めど無く流れるもの。闇に包まれた室内で、アルフレートが敬称だけでクリスを呼んだ。
「どちらに転んでも、計画に不備はないんだ」
けれど、それを中々実行に移せないのは…………紬喜を死なせない為だった。




