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聖女のコトワリ  作者: 秀月
聖女と働かざる者
20/63

3-11

「聖女サマ、好奇心ありすぎて辛い」


 ラルスは机に突っ伏した。紬喜が寝入った深夜。居間で昼の報告をさせると、街を散々連れ回され、質問攻めにされたと何が悲しいのか項垂れて話し始めた。挙句、体調を崩したのを労わって抱えてやれば嫌がるし、籠城するしだ。


「俺はもう街には行かねぇ!」


 水色の髪を掻き乱して、ラルスは吠えた。そんなに楽しかったのかとクリスが笑えば、ラルスは金の瞳をくわっと見開いて叫んだ。


「どこに楽しさが!?クリス様も行けば分かりますよ!!」

「僕が行くと、目立つから無理だね」

「羨ましいですよラルス・レイナス。何か欲しがった物は無かったんですか?」


 紬喜ときたら、欲しがるよりも素材と工程を聞いてきて、その作り手に興味を示すのだ。私にも出来るかな、と。


「仕事だ」

「仕事ですか?」

「やっぱり仕事なんだね」


 アルフレートが仕事って仕事ですかっ、あぁ、と頭を抱える。また明日から、紬喜のお仕事下さい病が始まるかもしれない。彼女が来て以来、この家は本当に賑やかになった。


「二人とも、上手くやってね?」


 笑いながら言うと、アルフレートはもう自信がありませんと項垂れた。何でも最近、顔色が悪いという身体的特徴から始まり、貧血を心配され、増血作用の有る食品を紹介されたらしい。


「私は怪我なんてしませんし、こちらの毒では死にませんよ」

「それ言ったら、紬喜は驚くだろうね」


 はぁ、と嘆息の絶えないアルフレートは、自分が過保護にする少女に心配されるという状況に陥っていた。紬喜は、アルフレートさんってお母さんっぽいよね、と遂に母親へ昇格させるつもりらしい。


 机の角に腕をぶつけただけで血相変えるし、危ないから階段を一人で降りるなって。転んだら泣く歳の子どもじゃないんだよ。そう言って脹れていたのは記憶に新しい。


 確かに過保護だ。


 クリスは笑いを堪えながらも、その愛情に気付く紬喜を羨んだ。


 薄暗い部屋で、一人静かに眠りに落ちていく。


 紬喜はその時、自分が余計な事を考えると知っていた。どこか似ていて、どこも似ていない世界。ここに来て、生理が一度も来ていないのはストレスだろう。来たら面倒で、来ないと来ないで不安になる。不安はいくらでも量産出来るから困りものだ。


 髪の毛の伸びだって依然として早く、もはや不気味の一言に尽きる。私は呪われているのだろうか。もう毛先が腰に届いてしまう。


 たったのふた月。


 私の体は、急速に年を取っているのではないか。地球と時間の経過が違っていて、私だけどんどん早送りで老いているんじゃ…………


 鏡に映るのは、何時もの見慣れた顔だった。


 外出しないから色白で、ソバカスは無いけれどニキビは心配だ。化粧水が欲しいなんて言えないし、この中途半端な髪型。それでもカット出来ないのは、未練なのだ。毛先の茶色は、美容院でカラーリングしたばかり。大学に行く初日の為に、気合を入れて――――でも、今、頭の中に流れる音楽は、ポップスでも演歌でも無い。


 冷たく感じる高音と、息苦しい低音の入れ替わり。何処かで知っているメロディーがあるかもしれない。そんな望みが痺れる腕を動かした。


「紬喜、休憩にしよう?」


 クリスの声に顔を上げる。


 魔導書の写本はなかなか進んでいない。三十七字の似たり寄ったりな正角暗晶文字は、一文字ずつ見ながら書いていくしか無く、発音が音階なので読みでの暗記もままならない。それは何処か写経に似ている。雑念だらけで、申し訳ないが。


「今日は、ここまでにしようか」

「うん、中々進まないなぁ」


 居間に移動すると、すぐさまアルフレートが茶器を用意し始めた。一瞬目が合ったクリスは、ひとつ頷くと紬喜と並んでソファーに座る。


「クリスは凄いよ。あの文字スラスラ書けるんだもんねぇ」

「慣れれば、紬喜もたくさん書けるようになるよ」

「だと良いんだけど…………」


 そう言って伸びをした。背中を伸ばすと、疲れが取れるらしい。受験戦争を生き抜いた猛者を舐めるでないよ。紬喜は自分を叱咤した。志高く目指すはコピー機並み、と気合いを入れる。そんなの無理に決まっている、と自分でつっこみながら。


「紬喜様、お疲れさまです」


 アルフレートが差し出したカップから、甘い香りが漂った。


「あ、これ、カカオでしたっけ?」

「えぇ、たまには良いかと思いまして」

「…………こんな色でしたっけ?」


 濃いオレンジ色は赤に近く、以前ジュースと間違えた色とは程遠い。


「薄めないと、こんな色なんです」

「へぇ~」


 口に含むと、噎せ返るような深く濃厚な甘さ。鼻に抜ける呼吸さえ、くらりとするほど甘かった。


「あっっ!」

「無理しない方が」

「あ、あまぁっ!!くうぅっ~」


 ナニコレ、全然別物じゃないか。たった一口で骨まで溶けそうなほど甘いよ。水飲まなきゃ。水を飲まないと、口が開いてるのか閉まっているのか分からないレベルで甘すぎる!!


「紬喜?」


 クリスがカップを取り上げる。開いた手で口を押えた。良かった、口は閉まっている。


「つむぎ」


 心配そうなクリス声が遠くなり、その顔が白く染まって見えなくなった。ぱたん、とソファーに倒れた紬喜を、クリスは複雑な顔で見下ろす。


「効きすぎだよアル。これは、怪しまれるよ?」

「まだ人、という事でしょうか?」

「どうだろうね」


 紬喜は魔導書の写本で、かなりの集中力と魔力を使っていた。そういう時が狙い目だったのだ。召喚によって膨大な魔力を浴びた彼女の体は、人ではない者に変質を始めていた。食い止めてやりたいが、試して模索するしかない。


 原液のカカオが効いたのならば、体は人では無い。この実は本来、気を失う作用など無いのだ――――この濃度は、人の身には刺激が強すぎたか。


「部屋に運びましょうか?」


 アルフレートが心配そうな声音で言った。穏やかな寝息を立てる紬喜は、まだ口を押えている。その不自然な行動に、クリスは少し考えた。魔木カカオの本来の作用は、精神弛緩だ。媚薬や自白剤の原料にされるのに、中毒性が低く、薄めて飲む者も少なくない。押さえたのは、声ではないか。何か言いそうになった?


「全く効果が無い訳じゃないかもしれないよ。動かすのは止めた方が良い」

「では、何か掛けるものを」

「予備のブランケットを出してあげて」


 アルフレートは返事をすると、すぐさま一階へ降りて行く。クリスは紬喜を見た。どう見ても彼女から漂う闇属性の魔気。でも魔力は光属性、単一たんいつであり変化は見られない。


 時間が無い、かもしれない。


 内包する光、蝕む闇。共存など出来るのか。夕方の日差しは弱く、部屋の闇は深まるばかりだ。刻々と日は沈み、やがて夜になって――――


「クリスファルト様」


 アルフレートの声に、クリスは黙って目を伏せた。方法が無い訳ではない。ただ彼女は、その方法を選ばないだろう、というだけだ。フッと息を吐いて、クリスは不満げな声でアルフレートに言う。


「紬喜は、僕に心配されるのが不満らしいんだ」

「年下の面倒は見るもの、なんだそうですよ」


 そう言うアルフレートは、小さく年下、と呟いて笑いを堪えながらブランケットを掛けた。だから心配するのは自分の方で、心配されるような事をするのは年上として駄目なんですよ、と紬喜の口調を真似る。


「彼女の世界の年齢格差について、気になるな」

「単に、クリスファルト様に心配されるが嫌なのでしょう?」

「子どもだから?」

「紬喜様は心配したいようですよ、貴方を」

「納得できないね。大体、アルだって心配されているじゃないか」

「…………私の顔色は、どうにもなりませんから」


 そう言って、二人で小さく笑った。


「どれだけ平和な世界で育ったんでしょうね」

「自分の身を心配せず、会えない家族や、面識もない魔獣の事なんか気にするし。根本として、自身の身が一番危ない、という意識が無いとしか思えないよ」


 運命とは残酷なもの。時は止めど無く流れるもの。闇に包まれた室内で、アルフレートが敬称だけでクリスを呼んだ。


「どちらに転んでも、計画に不備はないんだ」


 けれど、それを中々実行に移せないのは…………紬喜を死なせない為だった。

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