3-9
「昨夜、王都北西部に魔獣が出たそうですよ」
アルフレートが朝食の席で言った。はっとした紬喜を他所に、クリスは少し目を細めて、そうなんだ、と一言だけ口にする。
「被害は少ないようですが…………」
言い淀むアルフレートは、ラルスに肩を叩かれて口を閉ざした。気を使われたのだ。紬喜は何と言えば良いか分からず、隣に座るクリスに目線を動かした。
「丁度良いかもね。紬喜、街に出てみる?」
「え?」
「ごたごたしてるから、いい機会かもしれないよ?」
「…………」
この家に居たら、自活は夢のまた夢。街に慣れておくのは悪い話ではない。けれど――――魔獣が出た混乱を利用する、というのは気が進まない。だってそれは、聖女が居なくなって出た被害かもしれない。誰か怪我をしただろうか。魔獣はどうなったのだろう。
「紬喜は、街に出たかったんじゃないの?」
「うん…………そうなんだけどね」
「仕方ないとはいえ、僕は君を閉じ込めたい訳じゃ無いんだよ?」
クリスは渋る紬喜を不思議そうに見上げた。行くと、言わなければいけない。紬喜はクリスの心遣いを歯痒く思った。この天使のように愛らしい少年には、綺麗なままで居て欲しい。欲望により呼ばれ、聖女など名ばかりな紬喜は、そう勝手に望む。思いとは自由なもの。それを強制してはいけないだけで。
「じゃぁ、出かけてみようかな」
「うん。いい気晴らしになると思うよ」
「…………見つからないと、いいけど」
「大丈夫だよ。魔法をかけてあげるから」
クリスの言い方は、カボチャを馬車に変えてしまう魔法使いのようだった。思わず笑った紬喜の肩から、力が抜けていく。
受け身は駄目。私は、進むしかない。
その後、すぐに街へ出る準備が始まった。まず、アルフレートに衣装替えを要求される。スカート丈が踝丈へ。未婚を示すヴェールを掛けて顔を隠し、外出用のローブを羽織る。スカートもローブも引きずるのに、これが外出用なのだ。痛みやすい裾部分は縁取りがされていて、なんだかなぁと見下ろした。
「紬喜、魔法を使っても大丈夫?」
一階の玄関ホールで、クリスが心配そうに言う。以前、ひょいと魔導書を使った時に、驚いて腰を抜かしたと思われている紬喜だ。ちょっと複雑だったが、事前報告はありがたい。
「大丈夫だよ。魔法は、毎日アルフレートさんにも掛けてもらっているし」
アルフレートはドライヤーだ。語弊があるのに、妙にしっくりくるのが否めない。濡れた髪を放置していると、彼はすかさず乾かしに寄って来た。しかもその後、渇いた髪に手櫛を入れてくるからたまらない。あんな綺麗な顔に見詰められながら、地肌を触られると、武者震いが止まらなくなる。思い出した紬喜は、二の腕をさすった。
「自分で乾かせたら良いんだけどね」
呟けば、クリスは属性が足りないね、と困ったように微笑んだ。そのままラルスの方を向いて、手招く。
「結局、俺か」
「え、ラルス?」
「一人で行かせる訳ないでしょう。ラルスにエスコートさせるから、楽しんでおいで?」
「と、言う訳だとさ、お嬢さん?」
アルフレートから上着を受け取ると、ラルスはお手をどうぞ、と言わんばかりに手を差し出した。因みに、本人は面白いようで笑顔だ。怖いよぅ!これと一緒に出掛けるの?私達、会話が成立しない不具合があるんだけど!!
「クリスぅ…………」
「良かったね、紬喜。ちゃんと昼までに帰ってきてね?」
全然良くないよ。問題だらけだよ。物言いたげな紬喜の腕を掴み、ラルスはクリスに視線を投げる。
「二人一緒に掛けた方が、紬喜は負荷が少ないかもね」
「えっ、負荷?」
「大丈夫、一瞬だから怖くないよ」
「えぇぇっ…………っうわっ!」
クリスは身振りも手振りもせず、何かをした。頭から水を被ったような感覚と冷たさ。慌てるとスカートの裾をお約束のように踏んで、ラルスに腰を支えられる。頭上から盛大な溜息が聞こえた。先が思いやられる。心情だけは見事にシンクロした二人は、灰色の煉瓦道へ踏み出して行った。
「いってらっしゃい」
手を振って見送ったクリスは、アルフレートが扉を閉めると息をついた。
「丁度良いタイミングだったね。西の差し金だろうけれど、有効に使わせて貰おう」
「宜しかったのですか?」
「紬喜はさ、家に閉じ込めておくと考えすぎて駄目なんだよね」
最近、彼女はよく眠れていない。この理由で街に出る、という事に難色を示すくらいは聖女を辞めた事を後ろ暗く思っているのだ。助ける義理など無いというのに。
閉まった扉に心配そうな視線を向けるアルフレートに、クリスは視線を流した。全て順調だった。紬喜が召喚されてしまう前までは。
「傍に置かれると?」
聖女の召喚成功から一夜。街はお祭り騒ぎで浮かれ、第二王子を讃えて止まない。双子月を窓から見上げ、クリスは彼女を王城から連れ出せ、とアルフレートに命じた。彼は当然のように難色を示す。死ぬ事が確定している娘を、囲うような事はしたくないのだろう。
「人間は、短命でか弱い種族だからね」
クリスは人間が召喚された時点で、計画の変更を行った。しかし負うものは増える。よって、アルフレートの支持が得られなかったのだ。
――――不要な犠牲は、もう出すべきでない。
二度と故郷の地を踏めない娘。彼女を巻き込んだ責任を、クリスは感じていた。妹を召喚によって亡くしたアルフレートが、同情出来ない筈がない。性別も、年頃も、報告を聞く限り…………この世界で散った彼女を思い起こさせる。
アルフレートは忘れたいのかもしれない。
死した妹を。その骸さえ手に出来なかった彼女の、死を。暗く深い復讐の闇に囚われて生きる心算なのだろうか。
悲しい事だ。
クリスはアルフレートの今を、気に入ってはいなかった。憎しみを糧に生きて、誰が喜ぶというのか。
「アルが何と言おうと、僕は彼女を手元に置く。早々に死なれても困るからね」
「…………はい」
彼が頷けるよう言葉を選びながら、クリスは思う。異世界の少女なら、アルフレートの目を開かせる事が出来るだろうか。
「二週間あげよう。彼女をこの家に連れて来て?」
「…………そこまで生かされている保証はございませんが」
「殺らせるな」
ぴしゃりと言うと、始めから嫌々な彼は顔を顰めた。そんな顔でも美しいのだから、この男は本当に得だと思う。
「そんなに難しくもないだろう?」
「…………」
「異世界の女の子が家に来るなんて、楽しそうじゃないか。僕らとは、違う文化を持っているかもしれないし」
「…………」
「手元で踊ってくれた方が、良いに決まっている、でしょう?」
「…………」
「アル、頑固過ぎ」
「クリス様も頑固でいらっしゃる。嫌いではありませんが…………」
やっと苦笑を浮かべたアルフレートは、無傷で連れて参りますよ、と色好い返事をしてくれた。
しかし、彼女が王城を出たのは四週間後。想像以上に逃げる気の無い聖女様は手強かったのだ。あの手この手を尽くしたアルフレートは、二週間の期限を破る謝罪と同時に、一冊の魔導書を所望した。恐喝でもするのかと思ったそれを使っても、穏便に攫うには更に二週間が必要だった。
僕らよりひと月だけ多く紬喜の傍に居る彼は、逆に彼女に近くなりすぎてしまったのだ。




