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とんとん、と階段を下って台所に向かう。絶対にやらせてくれない皿洗いが終わっただろう頃合いの時間は、夕食の仕込み、とかしているかもしれない。クリスのとお話し時間は、もう少し後になる。この暇は活用すべきだ。紬喜は癖になってしまった聖女スマイルを浮かべて、ほっそりとした背中に呼び掛けた。
「アルフレートさん」
その声に、エプロンをしていても損なわれない美貌の青年が、白銀の髪を広げて振り向いた。紬喜の姿を見付けて、果実のような赤い瞳が微笑む。
「如何されました?」
「えーと、ちょっと時間の活用についてお話がありまして」
「私に、でしょうか?」
「あの、アルフレートさん、何かお手伝いする事、ありませんか?」
良い言葉が浮かばない、と紬喜は今更ながら気付いて苦笑を浮かべた。そもそも彼は、手伝われる事を喜ばない。笑っても祖国のようには誤魔化せない現状に、じわじわと焦ってくる。もっと考えて声をかけるべきだったのだ。でも、ここで引いては何時もの二の舞。
「あの!片付けを手伝いましょうか!」
「それは業者の仕事ですよ」
「窓でも、拭きましょうか?」
「危ないのでお止めください」
「買い物の手伝いとか、荷物持ちになりますよ?」
「殆どの食材が配達なのですよ。それに紬喜様、生きた物を捌けないでしょう?」
「うっ!」
アルフレートが先回りして言うと、紬喜はあからさまに言葉に詰まって狼狽えた。
その様子が可笑しくて、アルフレートは少し考える。彼女の祖国は、生食文化がある。にも関わらず、本人は肉も魚も絞められないし、捌けない。それでいて料理は出来る方だ、と言うから笑ってしまう。未知の異界育ちで、こちらの常識が余りにも無い紬喜は、時に危なっかしくも面白い存在だ。王城という最先端の場所で暮らして来た後に、下町暮らしという落差。もっと、戸惑っても良いはず…………むしろ戸惑い、泣き暮らすのでは無いかと案じていたのに。
彼女はそれを内面に隠す。
追われる身の上、異様に親切な住人達。何処を取っても不安でしかないだろう環境。
なのに紬喜からは、どうにか馴染もうとする努力すら伺えた。
挙句の果てに――――
「ともかく私、働きたいんです。将来に備えて仕事がしたいんですよ!」
仕事が欲しい、とは如何に。全く訳が分からない。労働する性別でも、歳でも無いだろう。ここでも祖国でも、働きたいという身分ある女性は珍しい。結果アルフレートは、こう言うしか無くなった。
「…………その様な事は、私共にお任せ下さい」
むむっと紬喜は眉を寄せる。
アルフレートは過保護で、紬喜に何もさせない。仕事をその様な扱いした彼が、この家で一番働いているというのに。しかも任せてとか、言い切っちゃって…………調子に乗って生涯住み着いたらどうするつもりなのだろう。
この家に何年先まで居ると思っているのだろうか。私は絶対、自立する。自分に責任を持つ、大人になるために。突っ込むべき点は多々あったが、紬喜は気付く。言外に、このまま何もするな、と言っている事を。
家の主にしては幼いクリス。口調の丁寧過ぎるアルフレートが、お目付役であっても可笑しくない。その彼が何もさせる気が無い、そういう事だ。
しかし、諦めるのはまだ早い。
「ねーねー、ラルス」
一階の客間は時間によって日が入り、彼のお気に入りの場所だった。長椅子に寝そべるラルスは、歩み寄る紬喜を見て、上手い具合に、二階から追い出されたのだろうと気付いた。
なんだか子守を押し付けられた気分になり、思わず眉が寄る。
「私に出来る仕事、無いかな?」
溜息が漏れる。仕事ときたか、大人しくしていれば良いものを、物好きな。ラルスの様子を否定と取った紬喜は、焦ったように言い募る。
「何でもいいんだよ。掃除とか、掃除とか、掃除とか必要だと思うんだよね」
「掃除ね…………」
そんなにしたいのか、掃除?
住居の清掃は業者が入るから完璧だ。しかし店舗の惨状を知っていれば、確かに掃除もしたくなる。だが――――あそこは散らかっていてこそ意味があるのだ。
「必要ない」
「何で!?すっごい汚れている部屋があるよね?」
「店は、あれでいいんだよ」
「なんでっ?!」
めんどくせぇ…………ラルスは無言で呻いた。二人がどうやって言い逃れたんだと考え、紬喜が目の前にいるという答えに辿り着く。
色々と押し付けられたようだ。
「あそこは散らかっていてこそ、意味があるんだ」
「えぇ~っ」
まぁ、納得も出来ないだろう。しかし、あれでまともな方なのだ。魔導書店なんていうものは、綺麗に使おうという客など来ない。むしろ汚れて散らかっていた方が落ち着く、と評判だ。
「じゃぁ、ラルスはっ!?」
紬喜はまだ諦められないらしく、足元で抗議を続行中だ。頭に響く高い声。勘弁してくれよ。額を抑えて上を向く。二階で面白可笑しく思っているに違いない二人が憎たらしい。抓み出そうと立ち上がれば、くいっと服が引っ張られた。
視線を下げると、紬喜がシャツを引っ張っている。背が低くて、襟を掴めなかったのだろうか。サマにならない上、余計駄々をこねる子どもに見えた。
「俺が何だって…………?」
「ラルスは、なんの仕事をしているのっ、よっ!」
服を引っ張っても何も起こりはしないが、そこで八つ当たりされるのも困る。細心の注意を払って、ラルスは紬喜の肩を掴んで引き離した。これで、小柄な少女の手は届かない。
「俺は警備が仕事だから、掃除は管轄外だ…………誰に聞いた?」
「えっ?!」
口止めされているのか、驚いた様子の紬喜にラルスは眉を寄せる。アルフレートは何処まで話したんだ?
「ラルスの仕事って、警備なの?」
何故か、紬喜との会話は噛み合わない。匙があったら、何度も投げていると思う。投げ過ぎて、きっとボロボロだ。いくら自分が気の長い種族とはいえ――――
「ねね、じゃぁラルスって、剣とか使えたりするの?」
ほらな、また可笑しな方向に転がったよ。何時まで続ければ良いのかと、ラルスは力の抜けるばかりだ。
「使える…………」
「私に教えてっ!!」
「はぁ~っ!?」
この細くて小さくてか弱い生き物に、剣? 冗談じゃない。ラルスはブルブル頭を振った。そして、強制的に会話を止める事にする。
「この細い手で、剣?」
彼は良く知っていた。
肩を掴んでいた手を放し、自分と比べて繊細としか言いようのない細い首を撫で上げながら、顔を寄せる。にっこり微笑めば、勝利は確定だ。
「剣を持って、どの首を落とそうって言うんだ、え?」
紬喜は目を見開いた。ラルスの機嫌を損ねたと、その肉食獣の如き獰猛な笑みを見て悟る。
「護身術なら、アルフレートに聞け」
「っそうします!!」
素早くザザザッと後退り、階段を駆け上がる少女は…………ラルスの笑顔が怖いらしい。
不本意ながら、彼はその事を良く知っていた。
やっぱり、ラルスとは会話が成立しない。とんとん、と音を立てて階段を駆け上がった紬喜は、アルフレートを探す。家事の手伝いは不要。仕事もさせる気が無い彼。でも、護身術なら聞けるかもしれない。
脳裏に浮かぶ、槍を携えた神殿兵の姿。あんなので刺されたら、ひとたまりも無い。
「アルフレートさん」
再びやってきた紬喜は、元気いっぱいというような溌溂とした笑顔だった。ラルス・レイナスが何かを吹き込んだのだろう。嫌な予感がする。
「剣の使い方を教えてくださいっ!」
「…………何故、それを私に?」
「ラルスが、護身術ならアルフレートさんにって」
あの頓珍漢、よりにもよって。笑顔の裏で苦虫を噛み潰す彼に、流石に見かねたらしいクリスが近付いた。
「紬喜」
その声に振り返った紬喜は、笑顔でヒラリと手を振ってみせる。非常に気安い対応に、そういうのも嫌いじゃないのだが、とクリスは内心苦笑した。
「本を運ぶの、手伝ってくれるかな?」
何故か仕事を求めていた彼女は、真っ先にアルフレートの所へ行き、出鼻を挫かれた。当然だろうと見ていると、ラルスに食いつき、案の定追いやられ、またアルフレートに無理を言い出す始末。
素直に僕の所へ来れば良いのに、とクリスは思う。
「重いから、気を付けてね?」
「はーい…………って、重っ!!」
そんな紬喜を横目に、どうしたものかと考える。仕事がしたいなんて、想定外もいいところだ。起動していないこの本は、持てない重さでは無いだろうが――――女性に持たせる重さでも無い。
しかし、これで良い魚が釣れるという勝算もあった。本人だって、武器の扱いを教えるよりは数倍マシな事に気付くだろう。
「クリス、これ、どこに運ぶの?」
「…………本当に大丈夫?」
「一冊なら、だいじょぉぉぅぶっ!」
一冊でも駄目そうだ、クリスは困った笑みを浮かべた。
何故にこんなに重いのか、と紬喜は抱えた本を睨みつける。大きさは写真で言うところの四ッ切りくらい。厚さは辞書並みで、光沢のある布張りが高級感を醸し出す。しっかりとした表紙と背表紙に挟まれるページの紙は、何故か真っ黒だ。しかも米袋かという見た目以上の重量。不気味過ぎる。この世界の本は、漬物石かと叫びたい。
「というか、これ、本?」
「実は違うんだ。これは魔導書だよ」
「魔導書って、本じゃ無いの?」
「読むための物を本と呼称するなら、これは本じゃ無いね」
だから重いのか…………って、納得できるかぁ!!
「っ紬喜様!」
台所から飛び出して来たアルフレートは、ぎょっとすると紬喜から魔導書を取り上げた。すんなり持ち上げられた漬物石のようなそれに、目を見開く。
「凄い、アルフレートさん力持ち!!」
「クリスファルト様っ!」
だが、彼は真っ先にクリスの名を呼んだ。
「本人は、大丈夫だと言っていたんだよ?」
「そうです、大丈夫ですよ?」
「今から二人で、店舗に運ぼうと思って、ねー?」
クリスと微笑み合って言うと、アルフレートは溜息混じりに左様ですか、と声を落とした。
「その手伝いはラルス・レイナスを呼びますから」
クリスは、にんまりと笑みを浮かべた。対するアルフレートは、更に肩を落として紬喜を呼ぶ。
「先に、少し店舗を片さねばなりません、手伝って頂けますか?」
「はいっ!」
エプロン姿のアルフレートと共に一階へ下る姿を見送り、クリスは呟いた。
「良い子だよね。確かにちょっと、抜けてるけれど」




